日曜の午後のきつい営業。

 2010年11月16日 12:51
残暑きつい日曜日の午後に、将棋の角行の顔をした岸和田の酒屋の男が、「おーバッキー、アンダルシアの食べ物を紹介する催しの案内をしたいし、京都のスペイン料理屋やら回るのつきおうてくれやー」と言って京都に現れた。俺は何がわかったのかわからないまま「わかったー」と返事をして街をぶらついた。

聞けばアポも行く当ても何もないという。遠い昔にスペインで会った奴がいるとか、前に京都に来た時たまたま入った店があるとか、おまえが飲みに行ってるとこでええという感じだった。しかも彼は手ぶらだった。俺はその感じにしびれた。

いろいろあった予定を変更してスペインバルに詳しい酒ピエロにも来てもらって昼から一軒ずつワインやサングリアを飲んでアンダルシアの催しを語ってまわった。二時ぐらいから十時ぐらいまでバルかバールかバーかわからないけど十軒ほどまわった。その中にはお豆腐の[喜幸]さんや[アジェ]やハワイアンの[ケルト]まで入っていた。

チョットきついが素敵な日曜日だった。

ドクター・ロバートの登場。

 2010年11月16日 12:47
最近、ふとDVDを注文してしまった。高倉健の「駅」と「冬の華」と「夜叉」を買った。どれもたぶん何度も見た映画だ。30年ほど前、俺がハタチ前かハタチ過ぎの頃にどの映画も映画館で見た。そのあとテレビでやっているのを見たり、まだレンタルビデオ屋が全盛期の頃にそのビデオを借りてたぶん見た。それなのに急に激しく見たくなった。なんでなんだろうと考えながらDVDのビニール袋を開いていた。

最近というかここ半年くらい前から、なぜかわからないけれどハタチ前に見たこと聞いたこと読んだこと会ったこと行ったところ起こったことを妙に求めている。なぜなんだろう。俺は俺の中の医者に問うてみた。

ココロに立つ波風に怯えてしまっているのか。

ドクター・ロバートは言う。
「バッキーさん、あなた『新しく出来た店に行きたくない、たとえおいしい店や素敵な店であっても行くのがイヤだ』と言ってましたね」
「えっ、先生に言いましたっけ」
「あなたコラムに書いてられましたよ。新しい店に入れないイップスだとも書いていた。面白いことを書く人だなと以前から思っていたけど、『料理や酒なんかうまくなかったっていい。それがうまくなる術を知っているから味なんかどうだっていい』と何かで書かれていて私は少し驚きました。おいしくないものや店で出会ったり起こったりするイヤなことに対しても決して迎え撃たずやわらかなタッチで応酬するバッキーさんらしくないのでは、と思いました。昔から読んでいるからわざと突き放すその感じもよくわかるんですけどね」
「最近僕はなぜかよくわからないのですが、よりおいしいものを食べようとか何かを安く買えるとかから逃げているような気がします。それなのに自分の行動がそうであることに気づいたりした時に、イラついているのかも知れません」
「ふーん、それで」
「うーんうまく言えませんが、最近ココロに立つ波風にとても怯えているのかも知れません。他の人から波風が立つ原因を作られてもいいんです。面倒だけど何とかしようとします。でも自分自身で立ててしまう波風に極端に怯えているような気がします。だからハタチの頃に見た高倉健を見たくなるんでしょうか」

ドクター・ロバートは不意に立ち上がり、「バッキーさんがハタチ前後の頃のものに触れたがろうとするのはおそらく正しい流れなんでしょう。ご自身でそのように処方されているんだと思います。高倉健と舟唄ですか、極めて正しい処方です」と言い切った。俺はドクター・ロバートに、「先生、今日もありがとうございます」と礼をしてお顔を見るとドクター・ロバートは池部良だった。


駅と高倉健。

高倉健が主演している「駅」という映画の中で、健さんが倍賞千恵子のやっている「桐子」という小さな居酒屋で、大晦日に二人で紅白歌合戦を見てほとんど話さずに飲んでいる場面がある。カウンターの隅に置かれた小さなテレビ、その年の紅白のトリの八代亜紀が舟唄を歌っている。二人は何も話さない。倍賞千恵子が「お酒はぬるめのー燗がいいー」と、少しだけ歌をなぞる。俺はその場面こそが現代に生きる俺への投与薬だと確信している。別れ際に敬礼のポーズをとりながらクシャクシャに泣いているいしだあゆみ。警察に通報しながら昔の男を迎えてしまう倍賞千恵子。池部良に書いた辞表を駅で静かに破り列車に乗る高倉健。

映画があって俺は助かった。そう思っていると裏寺の[百練]に宇崎竜童さんがメシを食いに来てくれた。

何かを遮るための、「ええから」というフレーズ。

 2010年11月15日 14:17
最近、「ええから」「ええさかい」「ええし」という「ええから兄弟」的なことを俺がよく言っていることに気がついた。「まあええからいこか」「そんなんええさかいこいや」「どうでもええしいっとこ」などという感じでよく「ええから兄弟」が出てくる。
 
求めに対して説明をするのが面倒なのか、説明をすることが出来ないことなのか、理由など必要ないのか、理由や動機が伝えにくいものなのかわからないが、このところ「ええから兄弟」がよく出てくる。細かいことを説明するのが面倒なことや肝心のその理由や説明が酒と歳によってとっさに口から出てこないことなども「ええから」が出る動機だと思うが、けれどもそれだけではないと俺はバッキーを分析する。
 
みんなどこかに行くことや何かをすることに目的や理由を求めすぎていると、俺は感じているのだろう。だからどこかに行こう何かをしようとする時に、「行ってどうなる、行ってどんな得がある、行ってどんなええことがある、それをしてどうなる、それをして何になる」と思う瞬間考える瞬間を相手に作らせたくないので、「ええから」と言っているような気がする。そんなこととは何かを聞こうともしないで、「そんなことはええから」と目で居酒屋ののれんを見る。

 
俺たちは、求めすぎている。
 
思えば、俺が子供の頃に同じようなことを親父やら近所の年上の人やらによく言われていた気がする。何か指示されたりして、俺が返事をする間もなく間髪入れず「ええから」と言われていた。だとしたら俺は歳をとったのか。いやそれだけではない。時代の空気が俺にそう言わせているのだと思う。
 
どこそこに行って楽しもうとか、得しようとかを求めすぎている。うまいものを食いたいとか、笑いたいとか、飲みたいとかを思いすぎている。そうなった方がいいというのはわかるのだけれど、調べたりしてそれだけを求めたりするのは明らかに損な戦い、不利な戦いだ。求めることはカッコ悪いことではなかったのか。だからそんなこと思うな考えるなと思い、「ええから」と言って返答を遮ろうとしてしまうのか。
 
まあ、そんなことを言っても「ええから」と言って引っ張ってきたりしたら、「ええから」を言ったこっちがしんどいことになり、あまりええことのない夜になったりする。そんな時は「まあええやんけ」で済ませばいいと思う。思えば俺は「ええから」を自分自身に言い、つらいことや情けない思いをしても明くる朝に「まあええやんけ」と泣きながらつぶやいてきた。何十年も。正味の話、あー、と言うしかない。

伏見のおっちゃん。

 2010年6月18日 16:22
 俺の親父は男五人兄弟の次男で現在76歳、俺が子供の頃は「伏見のおっちゃん」と呼んでいた親父の兄が長男で81歳。その「伏見のおっちゃん」という人は20代の頃(昭和30年頃)に自力で家業を開業し、一家のおじいちゃんやおばあちゃんをはじめまだ独身だった4人の弟たちや親戚の面倒を心優しい奥様と力を合わせて見てこられた。いわば本家を長年に渡って身を粉にして支えてこられた人だ。

 俺もメチャクチャ子供の頃から世話になったし山盛り迷惑をかけてきた。子供の頃、自分の家にいるのがイヤになったり辛い時は自転車でいつも本家へ泊まりに行った。また十代の頃は本家で住み込みで働かせてもらい、給料の倍くらいの量のメシを食べさせてもらい鬼のような量の酒を飲ませてもらっていた。仕事の後の晩メシはいつも一日のクライマックスだった。外に食べに行く時やツレや女と遊ぶ時以上に本家での晩メシの時間は俺にとって大切なものだった(本家で住み込みをしていた数年間は外食をすることはほぼなかった)。

 大らかだけどきびしいおばあちゃんがいて叔父貴や住み込みの職人さん達やいとこ達と二つ連なったテーブルを囲み毎日酒を飲みメシを食う。いつもコップ酒を飲んでいる職人さんが酔い出すと必ず俺を的にかけて集中的に仕事とは何かを話し始める。きびしいおばあちゃんが叔父貴を叱り始める時もある。親戚やお客さんはしょっちゅう来ていたし俺のツレまで一緒に食っている時も多かった。

 今から思えば毎日毎日一時間も二時間もいったい何をみんなで話していたのかわからないが本家での晩メシはいつも強烈ににぎやかだった。話と酒が飛び交っていた。そんな本家も今は家を支えてきた「伏見のおっちゃん」がひとりで暮らしている。いとこ達の家族が集まる盆や正月はうれしそうに酒を飲んでいるがたまに俺と二人で先斗町の[ますだ]で飲むと横顔が泣いている。

 それを見てからは二人で飲むことが出来なくなり、いとこ達や弟や妹の家族や仲間や野球部の後輩達やその彼女らにも来てもらい鍋の材料と酒を山盛りぶら下げ、いつも十人以上で「伏見のおっちゃん」が待つ本家に最近はよく宴会をしに行っている。さすがに盛り上がる。「伏見のおっちゃん」も盛り上がる。酒には助けられる。大きい家だと思っていた本家もいつの間にか小さく感じる。俺が十代の頃に住んでいた離れの部屋に懐中電灯を照らして三十年ぶりに行くと壁に愛のフレーズがたくさん書いてあった。『冬の華』の高倉健のポスターも貼ってあった。俺はここでもまた全く変わっていないことを痛感した。

 

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