【江弘毅をはじめとしたスタッフブログ】

編集責任者:江弘毅を始めとした京都・神戸・大阪の編集集団

みなさん、明日の節分には「恵方巻き」を食べるのだろうか。
思い出したように去年の産経連載をここに掲載する。
ちなみに今年の恵方はネットによると「南南東」だそうだ。

「恵方巻き」が「なにわ巻き」だったら...
10年1月25日付

今年の恵方は「西南西」だそうだ。それをオフィスの近くのampmで知った。巻き寿司「丸かぶり」の「恵方巻き」である。
大阪あべの辻調理師専門学校の名物先生・畑耕一郎さんから教えていただいたのだが、その恵方巻きは大阪発祥なのだそうだ。
昭和7年に大阪のすし屋業界のキャンペーンとして、節分の日に恵方を向いて太巻き寿司を食べて、鬼を払い福を呼ぼうというイベントがあったとのこと。さらに昭和40年代に道頓堀のとある大型飲食店で行われた海苔問屋業界の販促で「巻き寿司の早食い競争」なるものが盛況のうちに終わり、それで「節分に恵方を向いて巻き寿司を丸かぶり」が定着したそうである。
畑さんは続ける。
「恵方巻きはコンビニの名物なんかとちゃいます、大阪のもんですわ」
恵方巻きとして食べられる、カンピョウや高野豆腐、椎茸などを海苔で巻く「(太)巻き寿司」は本来、大阪固有の料理である。われわれが普段、大阪の飲食店や家庭で食べている巻き寿司が、節分にそのようにして食べるから「恵方巻き」と称されているだけである。しかし「きつねうどん」同様、その大阪オリジンの巻き寿司を全国に広げ、ひとつの料理として定着させた影響力は大きい。
もしそれを例えば「なにわ巻き」というように称していたら、どんなに大阪固有の食文化として有名になり、「ソース二度付けお断り」の「串カツ」などと同じよう、大阪の街場の食のPRになっていたか。畑さんは大きな目をぎょろつかせ残念がり、わたしは確かにそうだとその話に頷く。
ブランド化される「京料理」に対して、「大阪料理」あるいは「なにわ料理」という記号は限りなく弱い。だが大阪の街場の人々は、その食べ物と同じように、このような地元の物語をせつなくもこよなく愛している。
「何が京都や。ハモかて鯛かて、大阪で食べる方がうまいに決まっている」
「鯛のアラ炊きは、東京でも九州でもどこでも出てくるけど。あれは大阪発祥や」
近世からほとんどが町人のまちである大阪の、基本的に庶民料理ゆえのポピュラーさが全国に伝播される。
それをテーマパークのように経済軸のマーケティング的手法で「都市のブランド化」したり、「ブランドもの」という消費軸で引っ張り込もうとするところに「大阪のしんどさ」があるのではないか。 
巻き寿司が当たり前においしく食べられる街・大阪。それを物語るには、街場の生活軸へアウトリーチが必要なのである。
ナカノシマ大学2月講座「大阪から考える『移行期的混乱』」を前にして、登壇者のお一人である平川克美さんが、ブログ「カフェ・ヒラカワ店主軽薄」において、対談のことを紹介していただいた。平川さんらしい、詩的で熱いお言葉に、胸が熱くなる想いがする。

来月、大阪で講演会と対談のセットがある。

2011年2月18日 大阪市中央公会堂小集会室。

ナカノシマ大学。 徐々に、血糖値が上がってきている。

演題は、このところ続いている『移行期的混乱』であるが、

対談のお相手は大阪の平松市長である。

冒頭の文章だが、「血糖値が上がってきている」というところは、平川さんなりの褒め言葉として受け取らせていただいた。パンチの効いた内容になってきた、発信力が高まってきたというような意味だろうか。考えるのも楽しい。

このブログで平川さんは、今回の対談のお相手が平松邦夫大阪市長であることに触れ、ご自身も東京の千代田区という「地方行政」と関わってプロジェクトを進めた経験から得た見解を書いている。それは、産学協同でも官民共同でもいいのだが、共同する、協力するということは、関係者全員が同じ分だけ得をするということではなく、同じだけ損をすることに同意したときに初めて実現できるものであるということだ。

もし、異なる供給者たちが良好な関係を保ったまま、一つのプロジェクトを持続的に行える可能性があるとすれば、それはかれらがそこから投下した資本や労働力と等価の利益を得るという思考を切り替えたときだけである。

つまり、それぞれが身銭を切ってでもこのプロジェクトを推進しようとしたときだけ、つまり三方一両損によってのみひとつの解決が図られる。

随分荒っぽい議論をしていることは十分承知の上だが、ポイントは、どんなプロジェクトもそれを身体を張って支えるという人間が現れない限りは成功に導くことはできないということである。

なんだか途中から、ナカノシマ大学へのエールのようにも読めてしまった。平川さんはこのあと、「身体を張ってプロジェクトを支える」すなわち「贈与」の中に、移行期的混乱を負債少なく切り抜けていく方法があるのではないだろうかと続ける。はたして、どんな話が聞けるのか、楽しみだ。そしてこれを受けた平松市長は、どんな言葉を述べるのだろう。

◎ナカノシマ大学2月講座  2月18日(金)@大阪市中央公会堂
平川克美×平松邦夫「大阪から考える『移行期的混乱』」 お申し込みはこちら!

◎ナカノシマ大学東京編  2月8日(火)@講談社 講堂
中沢新一×釈徹宗×平松邦夫「アースダイバーで読み解く、東京・大阪」お申し込みはこちら!



昨年発売された『おせっかい教育論』に、こんなありがたいエールが届いた。

本を読んでくださった九州の大学にお勤めの先生が、昨年読んだ中の「ベスト3」に選んでくださったのだ。

(2)『おせっかい教育論』(鷲田清一・内田樹・釈徹宗・平松邦夫)、140B。

今年も内田さんにはお世話になりました。『武道的思考』、『街場のメディア論』、『沈む日本を愛せますか?』(高橋源一郎氏との対談)など、どれも面白かったです が、4者の対談である本書が率直に教育の本質を語っていたのと、「大阪」らしさが面白かったです。内田さんの教育とは「おせっかい」なのだということに気づいたエピソードや、僕の100回記念論集のきっかけにもなった「背中」の話。これも僕の実存的関心か。

対談の成功を裏付けてくださるような感想や、「大阪らしさ」に触れてくださっているのも嬉しい。ちなみにこの方の「ベスト3」には、他に東弘紀・宮台真司の『父として考える』もランクイン。その兼ね合いで、こんなことも書いている。。

内田さんは宮台氏のことを嫌ってます(?)が、宮台氏は内田さんのツイッターをフォローしています。最近、お二方の距離が思想的にぐぐっと縮まったような気がすることがあります。そのあたりもう少しじっくり考えてみたいですね。
経年的に読まれている方ならではの感想だな、と思うと同時に、かっこいい本と一緒に表彰台に上がることができて、とても光栄。ぜひ通読してみてください。1月1日の投稿です! http://www2.ezbbs.net/06/raiperi/


本日、12月22日にオープンしたMARUZEN&ジュンク堂書店梅田店。朝一で訪れた販売担当の青木も、その大きさ・スケールに驚いていたご様子。

2010122116410000.jpg

で、その巨大書店にも置いていただいております。探してみてくださいね!



本日産経新聞掲載の「新・街場の大阪論」。
北摂について、一応これでおしまい。
結論として、共同体に必須の「地図と暦」の共有が失われたことに落とし込みました。

「地図と暦」共有が育む「地元意識」
12月13日付

大阪市内であっても北摂であっても、誰もが「地域社会」で生きているはずである。その地域社会は、本来は地域共同体であったはずで、それは同じ言葉と「地図と暦」を共有するということではないだろうか。
「地域」というのは区切られた土地で境界があり、その境界に囲まれた土地である。境界を一歩踏み出すと「他所」、すなわちこことは違う他の地域である。
大阪の街はキタとミナミでは全く違うし、同じミナミでも難波と心斎橋、アメリカ村とでは街の手触りも匂いも違う。道頓堀川や御堂筋を越えるだけでも、違う街であるということが分かる。だからおのおのの「大阪人」たちは、自分の職場や行きつけの店がある地域を「地元」だと思うことが多い。
北摂などの新しい住宅地すなわち「郊外」には、そういう境界がくっきりとは見られない。
住民たちは行政区画以外は日常的に境界を意識することは少ない。あるのは「緑丘」とか「新千里南町」といった、抽象的な土地に価格とイメージの差異を植え付けるだけの名前だけである。したがって「他所ではないここである」という地元意識を持つことは難しい。 クリスマスや正月というのは、ほとんど消費社会ものである。
人々はクリスマスプレゼントやケーキやシャンパンを電車やクルマに乗ってツリーの電照で飾り付けられた都心へ買いに行く。おせち料理の材料を近所の商店街や市場で調達するのではなく、おせち料理そのものをデパートへ予約しに行く。
年が明けると節分で、鮨屋と海苔業界の販促企画がルーツの恵方巻きはコンビニの名物であり、バレンタインデーのチョコレートもしかりである。
地域社会の暦は、祭礼や地蔵盆といったものが残ってある旧い地域に限られていて、他所の者にとっては、天神祭や岸和田だんじり祭は、情報誌を見て行く祭当日だけのプチ観光でありエンタテインメントだ。
しいていえば学区内の小中学校の運動会ぐらいだろうが、私立の学校に行くことが多い地域ではそれすらない。ゴミを捨てる日の暦の共有以外は、なかなか探し出すことすら難しい。
大型スーパーやコンビニ、ファミレスやファーストフード、ユニクロからルイ・ヴィトンまで、本来ばらばらの個人の欲望に基づいた消費社会は、グローバルスタンダード的にのっぺりとした単一的なものになってきている。
対して地域社会は多様である。そしてその多様さこそが人に「地元意識」を持たせる。単なる「消費空間」ではない、大阪の街としての真の魅力はそこのところにある。

北摂や阪神間に住む「大阪人」の「大阪人」意識の何でそうなるかについて、以前書いたもの。
昨日アップしたコラムの補足ということで、さらに2本アップします。


地元意識が移住した「大阪人」
7月26日付

親の代、祖父の代まで大阪に住んでいたが、西宮や芦屋、東灘区といった阪神間で生まれてそこに住んでいる。そういう30、40代が回りに多い。
彼らは甲子園や摂津本山に実家があったりするが、結婚をしてそこを出て、たとえば六甲アイランドとかの同じ阪神間に夫婦、あるいは一人または二人の子どもと住んでいたりする。彼らに共通する意識は、「大阪人」でありかつ「阪神間の住民」といった、なかなか複雑なものがある。
そんなのは大正時代や昭和一ケタ頃からの大阪の旦那衆のパターンと同じじゃないか、今さら...、というふうにも取られがちだが、別に彼らは昔でいうところの船場商人のぼんぼんとかではないし、大阪といっても工場や商店が建ち並ぶ下町や堺や八尾などの府下がルーツであることも多い。
彼らの勤務地や仕事場はほとんど大阪市内、それも御堂筋線や堺筋線、四つ橋線の梅田から難波の間であり、会社帰りに立ち寄るエリアもキタやミナミが馴染みで、あるいは淀屋橋や江戸堀あたりのシブい酒場にやたら詳しかったりする。
休日と深夜以外は大阪にいる。それならいっそのこと、このところ増えてきた北区や西区のタワーマンションあたりにどうして住まないのか、などと思うのだが全くそういう気がないらしい。家賃や購入物件が高い、ということもあるのだが、それはまったく違うとのことだ。
大阪は大都市である。その都会の街中では、仕事以外はあくまでも匿名で自分の存在の軽さを楽しみながら過ごすことが可能である。グルメガイドを見ながらあっちこっちと食べ歩いたり、流行軸に乗ってあの店この店とショッピングしたりが自由自在だ。
しかしながら、彼らは違っていて、食事するにも服を買うにも行きつけの馴染みの店に通っている。むしろ都会の中では実名的な存在で、どんどんその街で知り合いを増やして街のコミュニティの一員として入っていくような感すらある。
これは逆ではないかと思うのだが、大阪市内では自分という「顔」に軸足を置いた地縁的な存在で、実際住んでいる阪神間では匿名的なのである。どちらに地元意識があるのか、というともちろん前者で、だから自分は「大阪人」なのだと思っているのだ。
よく言われることだが、大阪の街や店は京都と違って、一見さんでも馴染みのように扱ってくれる。カウンターに座れば、どこから来たのだと尋ねられたり、今日のうまいものを店主が薦めてくれたりするのが大阪だ。そういう「大阪人」が店側にいて、客側も実際に馴染みになり地元意識が生まれる。店も客もそんな「大阪人」であり、聞けばお互いに「阪神間の住民」であったりする。だから大阪という街場は面白い。


知り合いばかりでみんないい人おもろいヤツ 
8月2日付

前週も書いた、街場の「大阪人」たちの地元感覚について。
それは現代の大都会的感覚の匿名的で軽やかな存在ではなくて、むしろ「顔と顔」に担保された実名的なコミュニティ性をよしとするということであったが、その根底には「知り合いばかりで、みんな良い人おもろいヤツ」の関係性をどんどん広げていこうという、大阪人特有の理想のコミュニティ観がある。
しかし実際は、仕事はもちろん遊びでも必ずそうは言ってられないのが現実で、逆に「知り合いばかりでみんなイヤな人」という可能性もあって、そうなればもうその街から逃げ出すか、ひきこもるしかない。
吉本新喜劇を観ていて、なるほどうまいなと思うのは、前者と後者の場面がまるでスイッチを切り替えるがごとく入れ替わることだ。まあそれらは笑ったり泣いたりの芝居の世界での極端な物語ではあるが、勝ち逃げや一人勝ち総取りが賞賛されるような時代、そしてコンビニやファーストフードのように、人が顔を合わさなくても回るシステムが敷衍されるなかでは、「知り合いばかりで、みんな良い人おもろいヤツ」の実現はおろか、「知り合い」を増やしていくことについてもなかなか困難なことである。
京都の花街でよく言及される「一見さんお断り」社会は、「知り合いばかりで、みんな良い人限定」でやっていく関係性だが、実は完全に閉じてはいない(でないと店は潰れてしまう)。
しかしそこには、誰かに連れてられてあるいは紹介があってその店に行くという第一歩、すなわち始めからその店と「知り合い」になるという前提がある。
しかしそのような人づきあいの関係性の濃密さが、時には鬱陶しい。
そういうことを街場の大阪人は知り抜いている節があるのではないか。
うどん屋とか食堂、立ち飲み屋や串カツ屋といった街場の気軽な店は、もちろん「一見お断り」ではない。けれども「馴染み」感覚というのはどこでもあって、店でのやり取りを見ていると、ああこの人は毎日のように来ている客だとか、多分近所の人だとか、いろんなことが垣間見える。
こちらもその店に長く通っていて、顔を知ってる仲であるのだが、いわば「いつまでも一見の延長線上にある」ような関係なので、それ以上のことまでには発展しない。
「一見でも馴染み客のように扱ってくれる」というのが大阪の店の良さだということの裏腹には、こういった都会人としての大阪流コミュニケーションの熟練があるのではないか。
「入りやすく出やすい店」だが、それでも「馴染み感覚」がある。
その微妙なコミュニケーション作法が、「知り合いばかりで、みんな良い人おもろいヤツ」の理想の上で、「知り合い」をどんどん増やしていく。それが大阪の商売繁昌というものの本質なのだろう。






ツイッターに「北摂」について、つぶやきを呼びかけたら、すごい反響がありました。
とくに「北摂は大阪でない」という言説が多いことにびっくりしました。
産経新聞の連載「新・街場の大阪論」(夕刊毎月曜)で、その「北摂」について、考えたことを数回書きました。
ここにアップします。

名は体を...「北摂」なる曖昧さ
11月29日付

豊中市の市民企画講座に招かれた。北摂の「転勤族」にとって、「大阪」というところ、そして地元・北摂のまちとはどんなまちなのかを考察するというものだ。
前回のこの連載が奇しくも、京阪沿線についてだった。そこでも書いたが、阪急宝塚線沿線である豊中は、阪急神戸線沿線と同じで、京阪、南海、近鉄、阪神と行った他の沿線と比べて「ハイソ」「おしゃれ」というイメージがある。加えて北摂は、「大阪であって大阪でない」。それはなぜか。そういう話題である。
「それはあなた方、転勤族が多く集まっているからではないか」など言ってしまうと話が終わるのでやめる。
けれども出てくる問いが面白い。「北摂の人から『豊中が好き』『吹田が一番』という言葉を聞くことはあまりない。しかし私が出会った岸和田人と尼崎人はもれなく『岸和田大好き』『アマ最高』と言う」。そして「どうすれば北摂で、このような地元意識を育むことができるのか」というものだ。
どうして「ハイソ」で「おしゃれ」な場所で生活しているのに、自分の町に帰属意識がないのか。また丘陵や竹藪を切り開いた新興住宅地には、もともと「地縁」などという因循な関係性は薄いはずだ。
そう思うのだが、そもそも「北摂」という名称自体がそれらのイメージを語るだけで、実際はどこを指し示す言葉なのかが曖昧である。
主催側の方から「豊中は北摂のヘソです」と言われても、それでは池田や高槻、千里ニュータウンは北摂の何なのかとか、伊丹や川西も北摂だったのでは、などと思ってしまう。
「わがまち大好き」という意識はそうではなくて、「ここは他所とは違う」の裏返しが必ずある。「キタとミナミは違う」あるいは、「他所と一緒にすんな」といった、そういう固有の土地柄にこそ、わがまち感覚や地元愛は育まれるものだろう。
ブランドものの記号消費や大型スーパーのショッピングセンター、郊外型飲食チェーン店といった、のっぺりとした画一的な消費社会は、そもそも境界を持ち得ない。
それらの消費至上生活が、北摂のイメージにしっかりと張り付いているハイライフ・ハイスタイル的なある種の本質だとすれば、確かに街の商店街や市場の喧噪は「ガラが悪い」だろうし、だんじり祭や天神祭、河内音頭の盆踊りは「コテコテ」であり、ネガティブな大阪の極北といえる。
しかしそれこそが大阪という雑多な地域性そのものではないか。


北摂の「大阪人」と消費生活
12月6日付 

阪神間と同じで、北摂に住む「大阪人」は多い。例えば豊中生まれでずっとそこで育ったが、親の代あるいはその前は大阪の市内に居住していたというのがそのパターンで、かれらは北摂の空気にも水にも馴染み、住みよいところだと思っている人が多い。
しかしその北摂に住む大阪人と、万博以降の新興住宅地、つまり大都市・大阪のベッドタウンとして入ってきた人々(その典型が転勤族である)との折り合いみたいな関係性はなかなか持ちにくい。
「大阪人」というのは、実際は誰のことを指すのかと考えた場合、なかなか規定することは難しいが、とりあえずこの北摂・河内・和泉と大阪市で生まれ育った者のことだろうし、大阪語(大阪弁)を話すことは必須だろう。
またどこに住んでいてどんな仕事をしているか、同様に親がどうだったか、ということで大体どういう人かがお互いに分かるといった共通前提があるだろう。
そういう「大阪人」としての前提を有している者同士は、たとえ年齢や性別、職業や社会的属性が違っていても、お互いのコミュニケーションが容易である。
だからこそ「北摂は大阪とちゃう」議論が風発したり、北摂に住む「大阪人」の地元への愛着や帰属意識薄さうんぬんがなされるのだが、元々そういった共通前提を持てない転勤族にとっては、そういう話をすることこそ「大阪人」であり、自分たちはそのさらに外部にいることになるからちょっとつらい話だ。
かれらにとっての共通前提の手がかりは、防犯や防災、子育てや教育、医療や高齢者...といった「行政サービス」であり、その上に地域コミュニティが乗っかるかたちをとる。
それは近所に大型スーパーがなくて不便だとか、あのレストランには駐車場がないとかと同レベルの「消費生活」についてのそれであり、そこに本来の「地域生活」を見出すことは困難だ。
また、北摂とはどんなところであり、そこに住むことはどういうことかの理解を前提として持つ大阪人は、以前にも書いたように、仕事や馴染みの店を持つ大阪市内=都会の中では実名的であり、実際に住んでいる北摂ではあくまでも匿名的で、奔放な消費生活を過ごしている。同じ北摂のより快適な住環境を求めて、クルマを乗り換えるように、新しい住宅やマンションを買い換えて、そこに移り住んだりすることも多い。
そういう「大阪人」に地域性、すなわち地域においての「生活の事実性」を求めるのは無理筋なのかも知れない。リーマンショック以降の不況下において、「消費生活」の次は「地域生活」といったベクトル転換は、果たして北摂という地域にとってどうなのかと考えたりする。
週刊現代誌上において、中沢新一先生の「大阪アースダイバー」の連載が開始されている。

面白い。というか、すごい。

今週発売の号は、「第1部/プロト大阪」の4回目「東西に走るディオニュソス軸」である。大阪市内から見て東の方向、南北に横たわる生駒山地を、「ディオニュソス軸」と名付けるなど、いきなり中沢ワールドが前回である。これは古代ギリシャの思想で、人類の生と死の円環を意味する「ディオニュソス」から名付けているそうだが、未だかつてこんな風にして大阪を捉えた読み物はなかった(そらそうか)。

しかもこのディオニュソス軸と呼ばれる軸線が発する力が、古代のみならず「現代の大阪人の心性の中にも、しぶとく生き続けている」らしく、それがこれから証明されるらしい。現代ということは、私たちも含まれている。古代の地形が及ぼす影響って、一体どんなものなのだろう。連載のゆくえが実に気になるところである。

そんな中沢先生には、以前、ナカノシマ大学講座で釈徹宗先生と対談をしていただいた。その時は「大阪アースダイバーへの道」と題して、これから始まる連載の構想や、大阪が東京とはぜんぜん違う街であることなどを語っていただいた。あれからもう半年以上が経っていて、その続きをやりたいやりたいとずっと思っていた。

で、ようやくまた実現することになりました! でも、大阪のみなさんには申し訳ないのだけれど・・・東京なのです。現在、日程・会場などが決まりつつあり、もうすぐみなさんにお知らせすることができます。というわけでもう少しお待ち下さい。
「たちまち重版」の『おせっかい教育論』ですが、日本経済新聞(10/31号)に掲載されました。

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10月17日(日)の神戸新聞に、『おせっかい教育論』の書評が掲載されました。しかも、かなり大きく。

「意表を突く問題提起で、ぐいぐい読者を引っ張る」「教育をゼロから問い直すきっかけになる骨太な本」など、嬉しい言葉がたくさん書かれています。

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