朝からそわそわしたい相撲ファンの幸せについて � 投稿者:中島

編集責任者:江弘毅を始めとした京都・神戸・大阪の編集集団

「これでは眠れないと思ったので映画を観に行こうと映画館に入ったら、前の方に体の大きい人が見えた。それが栃錦関だった」

昭和35年(1960)春場所は14日まで東の正横綱の栃錦、東の張出横綱の若乃花が共に14戦全勝。千秋楽で史上初の「結びの一番、横綱全勝決戦」を迎え、前夜から日本中が興奮に包まれていたらしい。

若乃花は大一番を前にいかにリラックスして眠るかを考えて外出したら、同じ映画館に栃錦がいるのを見て気が楽になり、「緊張しているのは向こうも一緒。明日は全力で闘おう」と宿舎に戻ったという。一方、栃錦はその場に若乃花がいることを知らない。

翌日の千秋楽、勝負は左のがっぷり四つの攻防戦が繰り返されたが、双方譲らずに長い相撲となる。この時すでに35歳だった栃錦(若乃花は32歳)は「長引いては不利」と若乃花の右上手を切りにかかったが、その瞬間、若乃花は「ここしかない」と一気に栃錦の体を起こし、寄り切って初の全勝優勝を手にした。前日リラックスした分だけ、若乃花の集中力が勝っていたのだと思う。

この後も「横綱同士の千秋楽全勝決戦」は大鵬ー柏戸戦で2度、千代の富士ー隆の里戦で1度あったが、実力が拮抗し人気を二分する横綱同士、となると後にも先にもこの昭和35年春場所だけである。

実力伯仲の両雄がしのぎを削って頂点で戦うという、ファンにとってたまらない時代は相撲では「栃若」以降はなくなってしまった。大鵬と柏戸は「柏鵬(はくほう)」と言われながらも片や32回優勝に対し片や5回。その後は北の湖、千代の富士、そして今の白鵬など「アホみたいに強い横綱一人の時代」が相撲の歴史を作っている。

唯一、期待していたのが昭和45年春場所に同時昇進して横綱になった北の富士と玉の海。速攻で華のある北の富士に対して「受け」の相撲でもバツグンの強さを発揮した玉の海の2人が場所ごとに賜杯を奪い合うという、ファンにとって幸せな日々が1年半ほど続いたが、昭和46年秋に玉の海が27歳の若さで急死することでこの「北玉時代」はあっという間に幕を閉じてしまった。

その後で期待させてくれたのは「曙貴時代」だったが、曙が期待はずれにおわってしまったため、私の相撲熱も一気に冷めてしまった。

いま相撲界は暴力団との関係を断ち切り、人気回復のため再生への努力をしていると連日報道されているが、実力が拮抗する者同士が千秋楽結びの一番で全勝優勝をかけて戦う、という場所がひと場所あるだけで人気なんかすぐ戻ってくるのではないかと素人の相撲ファンは考えてしまう。

互いに素晴らしいライバルを持った「上手出し投げ」の栃錦・「仏壇返し」の若乃花の両横綱も幸せだったと思うが、その一番を目の当たりに出来た当時の相撲ファンはもっと幸せだったと私は思う。願わくば同じ大阪で、私にとっては語り継がれる物語の記憶しかない「昭和35年春場所」の再現を、目の黒いうちに見てみたいものである。力士の国籍に関係なく。

土俵の鬼が亡くなったと知り、「千秋楽結びの一番のために朝からそわそわして何も手につかない」相撲ファンの幸せについて書きたくなったのである。合掌

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