2010年12月 9日 15:12 江弘毅「新・街場の大阪論」
ツイッターに「北摂」について、つぶやきを呼びかけたら、すごい反響がありました。
とくに「北摂は大阪でない」という言説が多いことにびっくりしました。
産経新聞の連載「新・街場の大阪論」(夕刊毎月曜)で、その「北摂」について、考えたことを数回書きました。
ここにアップします。
名は体を...「北摂」なる曖昧さ
11月29日付
豊中市の市民企画講座に招かれた。北摂の「転勤族」にとって、「大阪」というところ、そして地元・北摂のまちとはどんなまちなのかを考察するというものだ。
前回のこの連載が奇しくも、京阪沿線についてだった。そこでも書いたが、阪急宝塚線沿線である豊中は、阪急神戸線沿線と同じで、京阪、南海、近鉄、阪神と行った他の沿線と比べて「ハイソ」「おしゃれ」というイメージがある。加えて北摂は、「大阪であって大阪でない」。それはなぜか。そういう話題である。
「それはあなた方、転勤族が多く集まっているからではないか」など言ってしまうと話が終わるのでやめる。
けれども出てくる問いが面白い。「北摂の人から『豊中が好き』『吹田が一番』という言葉を聞くことはあまりない。しかし私が出会った岸和田人と尼崎人はもれなく『岸和田大好き』『アマ最高』と言う」。そして「どうすれば北摂で、このような地元意識を育むことができるのか」というものだ。
どうして「ハイソ」で「おしゃれ」な場所で生活しているのに、自分の町に帰属意識がないのか。また丘陵や竹藪を切り開いた新興住宅地には、もともと「地縁」などという因循な関係性は薄いはずだ。
そう思うのだが、そもそも「北摂」という名称自体がそれらのイメージを語るだけで、実際はどこを指し示す言葉なのかが曖昧である。
主催側の方から「豊中は北摂のヘソです」と言われても、それでは池田や高槻、千里ニュータウンは北摂の何なのかとか、伊丹や川西も北摂だったのでは、などと思ってしまう。
「わがまち大好き」という意識はそうではなくて、「ここは他所とは違う」の裏返しが必ずある。「キタとミナミは違う」あるいは、「他所と一緒にすんな」といった、そういう固有の土地柄にこそ、わがまち感覚や地元愛は育まれるものだろう。
ブランドものの記号消費や大型スーパーのショッピングセンター、郊外型飲食チェーン店といった、のっぺりとした画一的な消費社会は、そもそも境界を持ち得ない。
それらの消費至上生活が、北摂のイメージにしっかりと張り付いているハイライフ・ハイスタイル的なある種の本質だとすれば、確かに街の商店街や市場の喧噪は「ガラが悪い」だろうし、だんじり祭や天神祭、河内音頭の盆踊りは「コテコテ」であり、ネガティブな大阪の極北といえる。
しかしそれこそが大阪という雑多な地域性そのものではないか。
北摂の「大阪人」と消費生活
12月6日付
阪神間と同じで、北摂に住む「大阪人」は多い。例えば豊中生まれでずっとそこで育ったが、親の代あるいはその前は大阪の市内に居住していたというのがそのパターンで、かれらは北摂の空気にも水にも馴染み、住みよいところだと思っている人が多い。
しかしその北摂に住む大阪人と、万博以降の新興住宅地、つまり大都市・大阪のベッドタウンとして入ってきた人々(その典型が転勤族である)との折り合いみたいな関係性はなかなか持ちにくい。
「大阪人」というのは、実際は誰のことを指すのかと考えた場合、なかなか規定することは難しいが、とりあえずこの北摂・河内・和泉と大阪市で生まれ育った者のことだろうし、大阪語(大阪弁)を話すことは必須だろう。
またどこに住んでいてどんな仕事をしているか、同様に親がどうだったか、ということで大体どういう人かがお互いに分かるといった共通前提があるだろう。
そういう「大阪人」としての前提を有している者同士は、たとえ年齢や性別、職業や社会的属性が違っていても、お互いのコミュニケーションが容易である。
だからこそ「北摂は大阪とちゃう」議論が風発したり、北摂に住む「大阪人」の地元への愛着や帰属意識薄さうんぬんがなされるのだが、元々そういった共通前提を持てない転勤族にとっては、そういう話をすることこそ「大阪人」であり、自分たちはそのさらに外部にいることになるからちょっとつらい話だ。
かれらにとっての共通前提の手がかりは、防犯や防災、子育てや教育、医療や高齢者...といった「行政サービス」であり、その上に地域コミュニティが乗っかるかたちをとる。
それは近所に大型スーパーがなくて不便だとか、あのレストランには駐車場がないとかと同レベルの「消費生活」についてのそれであり、そこに本来の「地域生活」を見出すことは困難だ。
また、北摂とはどんなところであり、そこに住むことはどういうことかの理解を前提として持つ大阪人は、以前にも書いたように、仕事や馴染みの店を持つ大阪市内=都会の中では実名的であり、実際に住んでいる北摂ではあくまでも匿名的で、奔放な消費生活を過ごしている。同じ北摂のより快適な住環境を求めて、クルマを乗り換えるように、新しい住宅やマンションを買い換えて、そこに移り住んだりすることも多い。
そういう「大阪人」に地域性、すなわち地域においての「生活の事実性」を求めるのは無理筋なのかも知れない。リーマンショック以降の不況下において、「消費生活」の次は「地域生活」といったベクトル転換は、果たして北摂という地域にとってどうなのかと考えたりする。
とくに「北摂は大阪でない」という言説が多いことにびっくりしました。
産経新聞の連載「新・街場の大阪論」(夕刊毎月曜)で、その「北摂」について、考えたことを数回書きました。
ここにアップします。
名は体を...「北摂」なる曖昧さ
11月29日付
豊中市の市民企画講座に招かれた。北摂の「転勤族」にとって、「大阪」というところ、そして地元・北摂のまちとはどんなまちなのかを考察するというものだ。
前回のこの連載が奇しくも、京阪沿線についてだった。そこでも書いたが、阪急宝塚線沿線である豊中は、阪急神戸線沿線と同じで、京阪、南海、近鉄、阪神と行った他の沿線と比べて「ハイソ」「おしゃれ」というイメージがある。加えて北摂は、「大阪であって大阪でない」。それはなぜか。そういう話題である。
「それはあなた方、転勤族が多く集まっているからではないか」など言ってしまうと話が終わるのでやめる。
けれども出てくる問いが面白い。「北摂の人から『豊中が好き』『吹田が一番』という言葉を聞くことはあまりない。しかし私が出会った岸和田人と尼崎人はもれなく『岸和田大好き』『アマ最高』と言う」。そして「どうすれば北摂で、このような地元意識を育むことができるのか」というものだ。
どうして「ハイソ」で「おしゃれ」な場所で生活しているのに、自分の町に帰属意識がないのか。また丘陵や竹藪を切り開いた新興住宅地には、もともと「地縁」などという因循な関係性は薄いはずだ。
そう思うのだが、そもそも「北摂」という名称自体がそれらのイメージを語るだけで、実際はどこを指し示す言葉なのかが曖昧である。
主催側の方から「豊中は北摂のヘソです」と言われても、それでは池田や高槻、千里ニュータウンは北摂の何なのかとか、伊丹や川西も北摂だったのでは、などと思ってしまう。
「わがまち大好き」という意識はそうではなくて、「ここは他所とは違う」の裏返しが必ずある。「キタとミナミは違う」あるいは、「他所と一緒にすんな」といった、そういう固有の土地柄にこそ、わがまち感覚や地元愛は育まれるものだろう。
ブランドものの記号消費や大型スーパーのショッピングセンター、郊外型飲食チェーン店といった、のっぺりとした画一的な消費社会は、そもそも境界を持ち得ない。
それらの消費至上生活が、北摂のイメージにしっかりと張り付いているハイライフ・ハイスタイル的なある種の本質だとすれば、確かに街の商店街や市場の喧噪は「ガラが悪い」だろうし、だんじり祭や天神祭、河内音頭の盆踊りは「コテコテ」であり、ネガティブな大阪の極北といえる。
しかしそれこそが大阪という雑多な地域性そのものではないか。
北摂の「大阪人」と消費生活
12月6日付
阪神間と同じで、北摂に住む「大阪人」は多い。例えば豊中生まれでずっとそこで育ったが、親の代あるいはその前は大阪の市内に居住していたというのがそのパターンで、かれらは北摂の空気にも水にも馴染み、住みよいところだと思っている人が多い。
しかしその北摂に住む大阪人と、万博以降の新興住宅地、つまり大都市・大阪のベッドタウンとして入ってきた人々(その典型が転勤族である)との折り合いみたいな関係性はなかなか持ちにくい。
「大阪人」というのは、実際は誰のことを指すのかと考えた場合、なかなか規定することは難しいが、とりあえずこの北摂・河内・和泉と大阪市で生まれ育った者のことだろうし、大阪語(大阪弁)を話すことは必須だろう。
またどこに住んでいてどんな仕事をしているか、同様に親がどうだったか、ということで大体どういう人かがお互いに分かるといった共通前提があるだろう。
そういう「大阪人」としての前提を有している者同士は、たとえ年齢や性別、職業や社会的属性が違っていても、お互いのコミュニケーションが容易である。
だからこそ「北摂は大阪とちゃう」議論が風発したり、北摂に住む「大阪人」の地元への愛着や帰属意識薄さうんぬんがなされるのだが、元々そういった共通前提を持てない転勤族にとっては、そういう話をすることこそ「大阪人」であり、自分たちはそのさらに外部にいることになるからちょっとつらい話だ。
かれらにとっての共通前提の手がかりは、防犯や防災、子育てや教育、医療や高齢者...といった「行政サービス」であり、その上に地域コミュニティが乗っかるかたちをとる。
それは近所に大型スーパーがなくて不便だとか、あのレストランには駐車場がないとかと同レベルの「消費生活」についてのそれであり、そこに本来の「地域生活」を見出すことは困難だ。
また、北摂とはどんなところであり、そこに住むことはどういうことかの理解を前提として持つ大阪人は、以前にも書いたように、仕事や馴染みの店を持つ大阪市内=都会の中では実名的であり、実際に住んでいる北摂ではあくまでも匿名的で、奔放な消費生活を過ごしている。同じ北摂のより快適な住環境を求めて、クルマを乗り換えるように、新しい住宅やマンションを買い換えて、そこに移り住んだりすることも多い。
そういう「大阪人」に地域性、すなわち地域においての「生活の事実性」を求めるのは無理筋なのかも知れない。リーマンショック以降の不況下において、「消費生活」の次は「地域生活」といったベクトル転換は、果たして北摂という地域にとってどうなのかと考えたりする。
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