その32 ビールを飲む練習を始めた俺。
今年の春になってからビールを飲む練習をしている。お好み焼き屋や洋食屋だけでなく居酒屋や割烹や寿司屋に行っても初めの一杯をがんばって「ビールたのんます」と言っている。
初めは水割りのグラスの半分ぐらいしか飲めなかったが思い切ってグッーと一息で小さなグラスのビールを飲み干せばうまかった。「あー、ビールうまいですやん」とそれらの店で言うとどこの店も、反応にチョット間がある。「そういうたらビール飲まはんの珍しいな」とか「あんたビール飲んだかいな」とか「なんや気持ち悪いな」とか俺がビールを飲むことに否定的な反応が多かった。
飲み仲間やよく食いよく飲む奴らは店に入って、初めはビールをクッーとビールのコマーシャルのようにそれみよがしに飲み、そのあと冷酒や焼酎やワインを飲んでいくタイプが多い。確かにビールみたいなものをノドに通すのは気持ちがいいしうまいのだろうとは思っていたし、俺も二十歳まではそんなことをしたように思う。けれどもそれをいつの間にかしなくなった。ビールはみんなと調子を合わせる時か、真夏の海か、東南アジアか、お好み焼き屋ぐらいでしか飲まなくなった。
きっかけは二十歳の頃に二級酒の日本酒を常温で飲み出したからだ。それが安かったし一番何よりうまかったしツレや近所の人らと濃密な時間が過ごせた。九条や十条の焼肉屋でも裏寺の「陽気」という焼肉屋でもビールを飲まず酒を飲んでいた。ビールで食う肉よりも酒で食う肉の方が圧倒的にうまかったし肉がいくらでも食えた。最後の白飯も何杯も食えた。建築現場や親戚の家なら紺地に水玉の茶碗に入れてみなで飲んだ。家の近所の床机(しょうぎ)で将棋をしながら酒を飲んでいる近所のおっさんに濡れた手ぬぐいを持った風呂の帰りに一杯もらって飲んだ。俺はいくつや。
そうこうしているうちにお洒落な服やらを着て化粧した女とこれまたお洒落な店やらで食わなあかんような時代になって、やれ吟醸酒や大吟醸やワインやマリアージュや焼酎や、てなことになって気がつけば酒を置いてけぼりにしていた。
無造作に一升瓶から注がれる常温の酒。ラベルも銘柄も何もないアルミのチロリや徳利に入ったその店の熱燗。酒の種類なんか知らん、銘柄なんかわからない。そんな酒はええ奴だ。そんな奴らと付き合わないでどうする。一杯目はビール、それから熱燗か。イヤな男だ。俺は違う。一杯目から熱燗の方が断然うまい。断然コノワタがうまい。ナマコがうまい。鮎がうまい。焼霜がうまい。生レバーがうまい。コッペがうまい。断然てっさがうまい。
酒がうまいのはイヤと言うほどわかっている。それでも俺は今、ビールを飲む練習を街場でしている。洋食屋の「本町亭」でも、先斗町の鳥屋の「房」でも、千本の「江畑」でも、二条の「すし満」でも、祗園の「安参」でも、グリル「大仲」でも、釜飯の「月村」でも、焼きそばの「おやじ」でも、海鮮「アジェ」でも、富小路の「とん慢」でも、大和大路の「北京亭」でも、塩小路の「吉野」でも、九条の「水月亭」でも、「まるやま亭」でも、十条の「寅のや」でも、「山本マンボ」でもビールを飲む練習をしている。なぜビールを飲む練習をし始めたかというと「俺はビールちごて酒いただきますわ」と、みなと違うものを飲む自分自身がずっと気に入らなかったからだ。やっぱり俺はヘンコリストか。
吉田拓郎・中島みゆきの「永遠の嘘をついてくれ」も俺の何かに触れるけれど、やっぱり矢沢永吉の「もうひとりの俺」に尽きる。古漬は曲がるが、浅漬は折れる。俺は古漬になりたい。なりつつある。
2009年08月17日 12:52
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