その34 池波正太郎さんが歩いた街。

先日、浅草の台東区生涯学習センターというところに行った。東京の市民センターというか区民センターみたいなところに行くことなどなかったので、ぶらぶら歩いてこのセンターに着いてしばらく館内をうろついている時に、「遠いとこまで来てしもた」と思わず呟いた。

そしてその台東区生涯学習センターの1階には図書館があり、その一角に池波正太郎記念文庫という展示スペースがあった。池波正太郎さんの生原稿がありスケッチがあり道具があり台本がありたくさんの本があった。うーん、おっさんである。うーん、昔のおじいである。たぶん俺も同じような年齢に入りつつあるはずだがこんなおっさんの香りはまだまだしないし出来ないだろう。展示されているスケッチや台本の落書きや道具を見てそう思った。

今回、浅草に俺を呼んでくれた仲間たちからの依頼で以前、池波さんが歩いた京都・大阪を歩いてこんなことを書いたことがある。

慌てず、波立たせずに歩けば
店も料理も街の風景になる。

作家の池波正太郎さんが書かれた「散歩のとき何か食べたくなって」という本を読んだ。なんだか不思議なタイトルだなと読む前に思ったが、しばらく読んでいるうちに引き込まれた。本の中で、大阪はミナミの相合橋付近の定宿から新歌舞伎座へ出かけて打合せなどをしていると昼過ぎになり、出番を終えた辰巳柳太郎と共に昼飯を食べに行く時のことや、ひとりの時の昼飯のことなどが縦横無尽に書かれている。

それを読んでいて、何だか締まりがなくて気持ちいいなと思った。なぜだろう。書かれているのか話されているのか、実際に歩くように描かれているのか座卓でふむふむと頷くようにして書かれているのか、ともかくその時代であろう景色が巡り移ろってゆく。締まりがなく強弱や大小の起伏がほとんどないその本の世界は飽きることなく何とも心地よい。料理のことや店のことを書かれていても、ひとつひとつに対してちょっと自慢気であったりお茶目な表現であったりするがそこには風景だけがある。店の価値や料理の値打ちがどうのこうのではなく、池波さんの好きな店や料理について描かれているそれは街の風景であり流れの中のひとつに過ぎない。だから大声を出す必要もないし隠す必要もない。まさにぶらっと散歩しているその姿というかその空気がそのまま伝わってくるから気持ちがいいのだろう。そして同じように歩いてみたい、店を見つけてそこで食べてもみたいと思った。

歩いてみた、店も行ってみた。そうすると求めすぎている自分にすぐに気が付いた。明らかに何かを求めて慌てている自分がいた。街や店の気配を乱さぬことをいつも心がけている俺だが、池波さんの本の中の時空から比べれば、息を切らせて目をキョロキョロさせているだけの全く剣豪的でない自分がそこにいた。先人の立ち位置を真似てみてその息づかいを想像してみると己の未熟さがよくわかる。食したくなるものは同じだけれど。

散歩をすれば時間の流れ方がよくわかる。

池波正太郎さんは京都の寺町通りを歩くのが好きだったようだ。五条から御所を経て北は下鴨の対岸のあたりまで続く寺町通は、その名の由来通り多くの寺院がありながらもひと筋ごとに街の風情が移ろう魅力的な道。最近では少なくなったが昔は五条から四条までは電器店がビッシリと立ち並んでいた。四条から三条・御池にはアーケードがある商店街で呉服店や洋品店や飲食店が古くから並ぶ。

三条の手前に牛肉とすき焼きで有名な「三嶋亭」があり、その三軒ほど南にこれまた昔から多くの酒飲みに知られた「サンボア・バー」がある。池波さんが書かれている「立ち飲み台へ出されるウイスキーも、カクテルでさえも、きびきびとした中年の主人の・・・」という描写からこのバーの入り口のギーッという扉の音が聞こえてくるようだ。また「男だけが行く酒場である」とも書かれていて突然俺は池波正太郎さんになる。グラスの前の結界の張り方や所作ひとつひとつによって酒の味や酔い方が変わることを確認したり試したりしながら飲みたくなってくる。それはもう少し後の楽しみにしてそのまま北へ寺町通りを歩く。

三条から北は画廊や画材や額縁など絵に関わる店や古書店が多く、市役所を過ぎた辺りにある「尚学堂」という古書店は池波さんが時代小説を書き始めた頃から通われていた店。ある時この店で古書を探していた歌舞伎俳優を偶然に見かけて、意外だったその素顔のイメージから「剣客商売」の主人公を描いたということもその本に書かれている。俺の場合は古書の収集に興味はないが立ち寄って見ていると、つい衝動的に買ってしまうような本や資料やむかし自分が大事にしていた本などと出会ってしまう。

池波さんが「散歩なくしては仕事が成り立たぬ」と言われている。真似をして散歩をしてみると、現在は散歩する時間を削るような仕事がいかに多いかよくわかる。

2009年09月25日 21:33

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