第2回「喰えばわかる」

photo 電気炊飯器のごはんを定期的に食べていたのは人生で七、八年しかありません。小学校の高学年まではガス釜だったし、東京の大学に入ってひとり暮らしを始めてからはお鍋で炊いていたからです。新入生向きの生活道具一式セットみたいなのを親にあてがわれ、そのなかに三合炊きの釜があるにはありましたが、一っ遍ニ遍しか使わへんかったなー。そんで誰かにあげてもた記憶がある。

 ごはんを炊く鍋は、三十歳くらいまでは普通のテフロン加工の深鍋を使ってました。メーカーは『ティファール』やったかな。煮物とかカレーとか拵(こしら)えるやつですわ。べつに「美味しいごはんが喰いたい!」と思ってそのときは始めたんやないので。

 ほな、なんでそんな面倒くさいことをしてんのや? と、問われたら、まず、どこが? と儂は訊きたい。
 そやかて米を砥いで、かして、火加減しながら炊いて、蒸らして、というプロセスの合間におかずを用意して食卓を整え、調理器具の洗い物をすませてゆくと、ほぼタイムロスなくすべて同時に仕上がりますやん。仕掛けといたら自動的にごはんが炊き上がる――ってことが、そないに便利やとは思えへん。
 賄いの短縮? 炊飯器に頼ろうが頼るまいが台所での所要時間は約六十分。これを越すことはめったにあらへん。というか日常の献立は、そこに収まるように組み立てる。面白いしね。ゲーム感覚。

 だいたいね、電気釜、炊飯ジャーちゅうもんが、その存在そのものがアイテムとして儂は嫌いなんですわ。ごはんを炊くのにしか使えへんという融通の利かんとこが厭です。いや、ガジェットが総じて苦手やいうわけやないねよ。桜桃の種抜きとか、牡蠣の殻開け専用ナイフとか、トリュフを薄うに削るスライサーとか、そういうもんがうちの台所にはうじゃうじゃいてます。けど、電気釜は図体でかい! 邪魔。見た目もかっこ悪い。
 それから、保温されたごはん、より正確には長時間保温されたごはんの蒸れた匂いが苦手というのも理由かな。京都の人間にはありがちなんやけど、あんまし熱ごはんへの執着が儂にはないんです。

そら、おかずによっては熱いほうがええなーゆうときもあるけど、そういうときはラップしてチンしたらよろし。京都の『たる源』さんで花柏材のおひつをこさえてもろてからは冷ごはんが美味しゅうなったしね。いやー、おひつてすごいよ。喰えばわかる。
 ごはんてね、空気に触れると甘みが増すんですよ。おひつによそるとき丁寧にちょっとずつ移していくと旨くなるうえに塩梅よう冷めて、すぐにがっつけるのも有り難い。ほんで翌朝には、いらん水気がトンで米本来の味わいがぎゅっと凝縮したごはんがいただけるんやから、ゆーことあらしません。

 ちなみに現在ごはん炊きは『ストウブ』というフランスの鉄鍋屋さんのもんでやってます。『ルクルゼ』『フィスラー』『イノックスプラン』を経てここのんに落ち着きました。真っ黒の艶消しで、なかなか迫力があります。重うて洗うのんがちょっと大変やけど、熱伝導の具合が素晴らしゅうて米が立つ立つ愛染桂。子供のころ祖父母の家で食べた薪炊き飯の味を髣髴とさせてくれはるエライ子ぉです。
 なんかね、美味しいごはんのために高級な炊飯器を買うのて本末転倒のような気が儂はしますね。たっかい高いブランド米に走るもの、なんか、なんかやなーと実は感じますけど。

 ああ、そうや。電気釜以上にワケわからんもんがあった。でも、これ、けっこういろんなとこで見かけるんよね。それはお米の計量器! プラッチックの大きなタッパみたいなんに蛇口ついたやつ。なにあれ!
 だいたいさ、なんで、みんな合単位でお米を計んの? 人それぞれで適量は違うやろに、なんで【合】なんていう、わりかしざっくり大きな分量を基準にしてんの? お米は炊飯器で炊くもんやという固定観念に縛られてるのと同様、みんな目盛りに従わなあかんて思い込んでしもてるだけちゃうん?

 てなわけでうちは、お米の量を計るのに帆立貝を使こてます。量り売り用の茶缶だった大きなブリキの角缶が米櫃なんですけど、そん中に突っ込んであります。これで軽く大盛り四杯。それが何合になるのかは知らんし興味もないけど、そんだけ炊いたら丁度ええ分量やということが解ってればなんの問題もナシ。
 どんだけ上等の電気釜を持ってても、自分が望むごはんに炊き上がる水加減すら意識しないでいるのは恥ずかしいことやと儂は思う。

入江敦彦(いりえ・あつひこ)
1961年京都市上京区の西陣に生まれる。多摩美術大学染織デザイン科卒業。ロンドン在住。エッセイスト。『京都人だけ知っている』シリーズ、『京都人だけが食べている』シリーズ、『KYOのお言葉』『秘密の京都』『秘密のロンドン』など京都、英国に関する著作が多数ある。現在、本の雑誌で「読む京都」連載中。2015年9月に『ベストセラーなんかこわくない』(本の雑誌社)を刊行。