第7回「縁に連るれば唐の物を喰う」

photo あんね、好きな諺なんです。
 金銭や骨折りとは違った、偶然の、ご縁のお導きで珍しいもの美味しいものを喰えた、という意味ですが、即ちご縁の巡り会わせで思いがけない嬉しい関係が生まれることの喩え。ほんま、この世はご縁ですわ。儂(わし)、運命や社会のシステムには果敢に戦いますが、ご縁には逆らいません。繋がるときは繋がるし、切れるときは切れる。そら大事なご縁は断やさんようにしたいし、なかには丈夫でも細い縁の糸もございますれば見逃さんように気ィはつけますけどね。

 それにしても思うんですけど、この諺、まんまの意味でも妙味がありますね。まっこと食べ物との出会いは人と同じように、いや、したらもっと〝ご縁〟の采配によって結果が左右されてしまうんちゃうやろか。ほら、なんか矢鱈とウマイ店を知ってたり、いつでもええもんにありついてたりする人がいてはりますやん。とりわけガツガツしてたり情報収集に汲々としてるわけでもないのに。ああゆう人らは喰いもんに縁が深いんやないかと睨んでます。

 ちょっと宣伝しますけど、この十月に新刊が出ました。『テ・鉄輪』(光文社)。儂の初めての小説本です。以前からちょくちょく『異形コレクション』シリーズに書かせてもろてた短編を集めた一冊です。ずーとエッセイ畑を耕してきた人間が、この出版不況のご時勢にいままでとはまったく違うフィールドの書籍をださせていただけるやなんて幸運やなと感じる以上に〝ご縁〟やないかと思わいではいられません。
 そもそも儂の京都本の端々に顔を覗かせる「そういう趣味」を発見した井上雅彦氏が、たまたま用意していた『京都宵』なるアンソロジーに誘ってくれはったんがご縁やなーて感じなんやけど、それが本にまでなってしまうんやもん。有り難いことです。
 しかも、この連作は人の縁をテーマにしたホラーなんですよ。縁切りのご利益を謳われる鉄輪の井戸水で点てた茶で客をもてなし、縺れた悪縁を絶つ女が主人公。さっき書いたような【食縁】があんのはええこっちゃけど糖尿とか食餌療法が必要な病気になっても、それが続いてたら生き地獄カモ、みたいな話ですわ(笑)。いや、笑い事違うケド。

 そやけど、この新刊にまつわるいちばんのご縁はなんちゅうても表紙でしょう。ぱっと見ぃは、なんや抽象的なアレなんやけど、これがお菓子なんです。「玉ゆら」ゆう和菓子。京都の老舗、ふだんから仲ようしてもろてる『中村軒』さんのオリジナル。儂の本のために、わざわざ物語からイメージして拵えてくれはったんです。しかも実際にお店で売ってくれはるという! これをご縁の産物といわずして、なんと申せば宜しおすやろか?
 なにせ『中村軒』さんやし味は保障付です。ぜひ、機会があれば召し上がっておくれやす。もしかしたら困難な縁を切ることがでけるかもしれません。
 で、どんなお菓子や? ゆう話ですが、これは『テ・鉄輪』を読んでのお楽しみ。もちろん読まいでも普通に買い求めていただけます。が、読んでから食べはったら、より美味しい、二度美味しいのは言うまでもありまへん。こんな「唐の物」は、そうそうありまへんよって、どうぞひとつご贔屓に。

 そやそや。これもまたお気に入りで、しょっちゅう口にもするし文章にも登場させる単語に【口果報】というんがあります。沢村貞子さんの本で知りました。ええコトバでしょー! ほんま、ええわ。「唐の物」を戴いた悦びを表現したひとことで、まあ、ゆうたらセットですけど、ふわーて気持ちようなるような響きとニュアンスが含まれてます。
 口果報に与ったとき、感謝ちゅうんは「する」もんやのうて自然に「生まれる」んやなあ、とか柄にもなく考えたりするんですが、美味しいもんは人を性善説に導いてくれるんかもしれませんね。やっぱ三度三度のごはんは大切にせんと。食事を疎かにしてると口果報だけやのうて繋がるはずのええご縁も逃してしまう気がします。
 まあ、逆にあんまり口果報を求めてガツガツしてると、それはそれでご縁が遠ざかりそうではありますが。果報は寝て待てゆーくらいやし。

 こちらは、もうちょっとよう知られた諺というか、言い回しですけど「縁は異なもの味なもの」ゆうんも、やっぱり大好きなセンテンスです。なぜか、こっちゃにも【味】が使われてますね。やっぱりご縁というもんは、どっか食に通じるというか、食に喩えられるとしっくりくるゆうことなんやろね。

入江敦彦(いりえ・あつひこ)
1961年京都市上京区の西陣に生まれる。多摩美術大学染織デザイン科卒業。ロンドン在住。エッセイスト。『京都人だけ知っている』シリーズ、『京都人だけが食べている』シリーズ、『KYOのお言葉』『秘密の京都』『秘密のロンドン』など京都、英国に関する著作が多数ある。現在、本の雑誌で「読む京都」連載中。2015年9月に『ベストセラーなんかこわくない』(本の雑誌社)を刊行。