第16回「机上の喰論」

photo なにが食べたいかなあ? て考えてるのが一日のうちで一番愉しい時間です。 「あれが食べたい」「これが食べたい」と決まったあとは、それはそれでウキウキするもんですが、冷蔵庫にある食材の残りや、季節の関係、なにより時間との闘いなんかで欲望が果たせん場合もしばしばあるさかいね。食べとうても体調が許さんこともあるし、ダイエット期間中やとむしろストレスになったりしますし。そやから漠然と、なんにしょー、どーしょーとレパートリーの引き出しを開けたり閉めたり、嬉しいお呼ばれの席に向う日に洋服選びするみたいな感じであれこれ思い巡らせてんのが、この喰いしん坊にとって至福の時になるわけです。
 着てゆくもんがシャツから決まったり、ズボンから決まったり、ときに靴下から決まったりするみたいに、その日のメニューもメインから決まるとは限りません。副菜やったりデザートやったり、ときには「そや、西瓜の奈良漬食べたいな。たしか水屋にあったはず」なんてこともあります。  醍醐味はこっから。机上の空論ならぬ〝喰論〟を組み立てるのは、食べたいもんを手探りするのと同じくらいエキサイティング。
 奈良漬切るんやったら、おこわにしよか。ゆうても山菜があるわけやなし。おめでとうもないのに赤飯炊くんもなあ。いまから小豆を仕込むのもアレやし。そや、真空パックのカラスミがあったわ。カラスミのおこわにしよ。贅沢やけど、まあええわ。ほたらあとは三度豆湯搔いて作り置きの胡桃味噌で和えて、おつゆは簡単に生姜きかせた海苔吸いにしまひょ。そーしまひょ。あ、酸いもんが欲しいな。山芋あるし千切りにして土佐酢と山葵でいただきまひょか。 ――てな具合です。

 でね、儂(わし)はこれを言葉にしているらしい。
 さいぜん書いたみたいな喰論の展開を知らんまに口から溢してるらしいんです。
 もちろん意識なんてしてまへん。自動書記ならぬ自動献立。もう、自然に湧いてくる。文章もそんなふうやったら、どんだけええやろと思わいではいられまへん。仕事してるときでも、ちゃんと集中してるつもりやのに、ぶつぶつメニューを呟いてるという。
 会社員時代、デスクで企画書まとめたり来期予算を組んだりしながらでも終業間際になってくると「あ、なんかポテトサラダが食べたいかもー。林檎を細こう賽の目にして混ぜたやつ。そやけど洋食の気分ちゃうなー。笹鰈{ささがれ}でも焼こか。冷蔵庫にピーマンを甘辛うに炒め煮したんがあるし、あとはそれでええわ」とか独り言ゆうてんにゃから迷惑このうえない。
「入江さん! みんなおなか減ってるんやさかい、ええかげんやめてください!」と本気で叱られたこともあります。それでも喰論は止まらんかったんで、解決策として「ほな、うちに食べにくるか?」と誘うことにしてたんですが、いっときはえらい食費が嵩んで困りました。ほとんど毎日なんやもん。
 現在は一人でPCに向って仕事してるわけですが、やっぱり以前ほどではないにせよ、やっぱりぶつぶつやってるみたいですね。たんまにツレに「あんた、なにゆうてんの? 英国ではな『独話は狂気の最初の一歩{ talking to yourself the first sign of insanity}』ゆうんやで。気ぃつけなはれや」と笑われます。

 大事なお客さんを招いたとき喰論の愉悦はいよいよ高まります。好きな人がなにを食べたいかを類推するのは、ほとんどセクシャルな妄想に近い。たとえばめっちゃタイプの人が目の前にいたとしたら、普通なら相手の裸や媚態などを思い浮かべるんでしょうが、儂は、どんな喰いもんの嗜好をしてはるんやろ? ごはん作らせてもらえへんかなーなどとウットリしてるんやから正味変態性ですわ。
 お客さんのお好きなもの、お嫌いなものはもちろん、自分との距離、いままでの付き合い、これからの付き合い、押し付けがましくなく、かといって素っ気無くもなく、期待に沿う安らぎがあり、予想外の驚きがあり、気張らず、無理せず、なにより自分自身も美味しくいただける。そんな困難なシチュエーションにぴったり収まる献立。塩梅よう組み立てられたときは気持ちいいもんでっせー。
 当たり前ですけど喰論を実行する際は必ずとも愉しいだけやおへん(笑)。喰論は喰論、頭のなかで拵えられたご馳走やさかい、出来上がりが論との矛盾を孕んでいるケースがしばしばあります。そやけど、そんなとこも含めての妙味と申せましょう。

入江敦彦(いりえ・あつひこ)
1961年京都市上京区の西陣に生まれる。多摩美術大学染織デザイン科卒業。ロンドン在住。エッセイスト。『京都人だけ知っている』シリーズ、『京都人だけが食べている』シリーズ、『KYOのお言葉』『秘密の京都』『秘密のロンドン』など京都、英国に関する著作が多数ある。現在、本の雑誌で「読む京都」連載中。2015年9月に『ベストセラーなんかこわくない』(本の雑誌社)を刊行。