第18回「馬喰」

photo 京の難読地名はつとに知られております。いつぞやは合理化なんか情緒欠乏症なんかよう知りまへんけど、それらの町名や通名を番号化しよか、てな話をお役人さんたちがしてはったようですが、なんとか災難は免れたようです。それでも近ごろは一歩洛外に出ると、いつのまにか駅名がひらがな表示になってたりして、いや、まあ、洛外のことやさかい京都人には計り知れんなんやかやがあるんでしょうが油断はなりません。
 きっとよそさんにはよう読めへんさかい、なんとかせなあかんという親切心からの発案やろとは思いまっけどな。おおきに(お世話)。おおきに(お世話)。

 普通に考えたらすーとは読めへんような地名でも、太秦(うずまさ)やとか壬生(みぶ)やとかは映画村や新撰組のおかげでさほど引っ掛かりのうみなさん「そういうもん」として覚えてくださってるようです。が、観光名所でもなんでもない場所につけられた摩訶不思議な名前はまず解読不可能でしょう。京都人かて、ほんなもん読めませんて。的庭里(いやばかり)、羽束師(はづかし)、苦集滅道(くずめじ)、蛇辻子(くちなわのずし)、なーんやそれ? って感じ。
 そやけどね、なんでもない風景、当たり前の住宅街ややら畑のあるような鄙(ひな)びた土地やら、そういうとこに曰くありげな名前が付いてると儂(わし)なんかはものすご想像力を刺激されますけどね。いったい昔なにがあって、こんな怪体な字ィが宛てられたんやろ、とか。
 難読ゆうほどでもないかもしれまへんけど、馬喰町(ばくろちょう)なんちゅうのも不思議な名ぁーでんな。東京の方が有名やけど実は京都にもおます。実家のほん近所。【喰】の字が混ざってるせいか、儂、この町名が子供の時分からなんや好きでした。住みたかったくらい。
馬肉料理屋が軒を連ねてたんかと思ってましたが、よう考えたら日本人は明治になるまで積極的には四ツ足を口にせえへんかったわけで、なんでやろとググってみました。馬喰ちゅうのは家畜医、あるいは牛馬の売買や仲介を業とする人らの呼称やそうです。きっと馬市が立ってたんやね。東京の馬喰町は奥州街道の出発点やし、京都の馬喰町は北野の天神さんとこで大っきい馬場があった場所やし。きっと探せば全国に馬喰町があるやろね。

photo すぐれた資質を持った人間を見抜く力のある人物、ひいては目利きを指して「名伯楽」とゆうたりしますが、この【伯楽】もそもそものヨミは「ばくろう」で馬喰と同じ意味なんやそうです。京の馬喰町では毎月二十五日に骨董市が催され、名馬ならぬ掘り出し物を探して素人伯楽たちが徘徊してるという……やっぱ、地名は面白いもんでんな。囚人やあるまいに、数字なんかに置き換えられては、やっぱり困ります。
 儂はどっちかゆうたら、すぐに騙される人間で、伯楽には程遠いんですけど、文字通り食べるほうの馬は大得意の馬喰ですわ。英国人はこの動物に愛着があって、どうしても食べられんらしく、どこにも売ってへんので残念でなりません。年に何度かパリを詣でますが、そのときビストロなんかで馬肉のタルタルステーキなんかをいただいて日ごろの渇望を満たしております。
 まあ、彼らの気持ちは解らないでもありませんけどね。こないだの人喰いの話のときに書いたように食材への偏見はおへんけど、やっぱりどうしても犬肉は口にでけへんと思うもん。パトラッシュ、僕はもう疲れたよ状態になっても殺して食べたりはできません。できれば先に死んだ儂を食べて犬に生き残ってもらいたいくらいです。犬喰町なんて町があっても間違っても住みとうない。

 閑話休題。馬肉はほんまに美味しいと思うんですが、食べるたびにちょっと切ない気持ちになります。
 いまは広尾に移らはったみたいやけど西麻布にあった『アクアパッツァ』というイタリアンの店にオープン当初よう通てましてんわ。『ビザビ』時代の室井さんや『ラ・ゴーラ』時代の澤口さんといったシェフの強靭な味に慣れてた儂の舌に日高良実さんの料理はちょっと線が細かったんですが、京言葉でいうところの「シュッとした」味わいで、別モンとして気に入ってたんです。とりわけ、ここの馬肉の冷製パスタが大好物やったんですよ。滋養が味蕾から直に染みてゆくような美味でした。
 この馬肉を買いにいくのは店長をされていた方で、毎日、浅草まで元気に行ってらっしゃいました。また儂は、この方のサービスが大好きでね。ある日いはらへんので尋ねたら、なんと仕入れの道中に交通事故で亡くなられたんやそうで。ショックでした。以来、馬肉を食べるたびに、どうしても彼の柔和な表情や洗練された身のこなしなどが思い出されるんです。四半世紀も前の話やのに。
 喰いもんと結びついた記憶とゆうのは、ほんまに鮮やかで色褪せんもんやね。自分でも驚きますわ。

入江敦彦(いりえ・あつひこ)
1961年京都市上京区の西陣に生まれる。多摩美術大学染織デザイン科卒業。ロンドン在住。エッセイスト。『京都人だけ知っている』シリーズ、『京都人だけが食べている』シリーズ、『KYOのお言葉』『秘密の京都』『秘密のロンドン』など京都、英国に関する著作が多数ある。現在、本の雑誌で「読む京都」連載中。2015年9月に『ベストセラーなんかこわくない』(本の雑誌社)を刊行。