第25回「お預けを喰らう」

 病院生活一ヵ月半。こんだけ喰うことが好きな人間が、喰う愉しみのすべてから切り離され、喰えるもんゆうたら「お預け」と、下手したら「お預け」より味ない病院食だけという状況に置かれると、ほらもうベッドの上で考えるのは喰うことばっかりですわ。いじましいとか、いやしいとか、そんな言葉では生易しいくらい。ティーンエイジャーの性欲もかくや。儂(わし)の食欲はマックス。ほとんどパラノイアの様相を呈してました。
 ただ食欲ちゅうても、ふだんの食欲とはまったく異なるタイプのもんやったんですよね。それは空腹時に感じるものとは似て非なる欲求でした。たとえばツレに食事療法の範囲内で食べたいものの差し入れを頼んでも、実際に目の前に差し出されると体が受けつけへんかったりすんの。なんてゆうか幻想に近い食欲やの。つまりは体がようなるまで、どっちゃにせよお預けやったわけ。めっちゃ哀しかったわ。気づいたとき。

 儂は、これまでの人生に今回を含めて三回、ものが食べられへんというコンディションを体験してます。
 いっぺんめは十五年くらい前の話。これは精神的なもんでした。このとき、それまで125キロもあった体重が90まで落ちて、それ以来は100を越えることはないんで、125時代を知ってはる人はみんな驚かはります。ともあれ思い起こせば、このときも食欲はありました。実際に食べられるか食べられへんかとは別に、食べたいという気持ちだけはのうならんのが儂という人間らしおす。
 あんとき走馬灯が回るみたいに妄想した食べもんは、なぜかジャンクなもんばっかり。『王将』の餃子三人前とか、『天一』こってり+ライスとか。コンビ二弁当とか、美味しいったらチーズっ鱈とか、牛の大和煮の缶詰ぶっかけ飯とか、玉子かけごはんとキムチの取り合わせとか、そういうもんらですわ。
 三年前、膿瘍という病気にかかったときも、あまりの痛さに七転八倒。とてもものを食べる気にはなりませなんだ。なにしろ、もう死のと決意を固めたくらいの激痛でしたえ。そやのにね、自殺の計画を立てつつ食べたいもんリストを書くという矛盾(笑)。アホみたいに豪勢な味覚が並んでるとこをみると混乱してたんやろか。
 ブレス産シャポン鶏のブレゼに白トリュフのソース。賽の目に切ったフレッシュのフォアグラを一緒に炒めた焼き飯。『花折』の鯖寿司。『あら輝』のチョモランマ。『元庵』の御池ロールを恵方向いて丸かぶり。シャリアピン・ステーキ丼。そんなんばっかし……。
 よろよろした文字で記されたそれらを眺めていると「ようなったら食べよ」ゆうモチベーションやのうて、どっか現実逃避めいて見えます。あるいはー種の自衛本能、タナトスに対する抑止力やったんかもしれません。死にたいなあ、そやけど死ぬ前にあれも食べなな、これも食べやんとな……みたいな欲望が彼岸へ旅立とうとする儂の裾を引いていたのカモ。

photo で、今回ですわ。自分で首縊ろと考えてたんと、ほんまに危篤状態にまで陥ったんとでは根本的に別もんなんやなあと思い知らせてくれたんが例のお品書き。もう、笑けるくらいリアル! ちょっと、どーえー? ゆうくらい涙ぐましく現実的な料理の羅列。
 筆頭が白菜とお揚げさんのたいたん。ちょうどお土産にもろた京都のんを冷凍してあったんで、それを使って、天かすも散らして、とかなんとかディテールまで細かい細かい。次が五目豆。『五辻』の昆布をようさん奢って。それから、おうどん。鍋焼きは生麩がないさかい、それやったらいっそ素うどん。――とある。四番目が野菜スティック。ディップはフムス(雛豆のペースト)、ごま塩、ブルーチーズと地中海ヨーグルト。続いては生パスタ。あらかじめ湯搔かずに、みじんに切った野菜やハムと一緒に牛乳で柔らかこうに炊いたん……てな具合。
 なにしろ人生初の長期入院やったさかい、リストは138項目に昇り、しかもほとんどが退院後のコンディションで食べても大丈夫なもんばっかりという泣き笑い。20番代後半くらいから、そういうのんとは関係なしの食べたいもんっぽいのも顔を出しはじめるけど、チキン・ビリヤニ(インド風混ぜごはん)とか油淋鶏(ユーリンチー)とかトリ料理がえらい多い。筋肉の増強や皮膚の再生には、やっぱ鶏肉でっせとお医者さんに言われたせいやろね。
 なんか、切ないもんがあるね。
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photo 退院後、憑かれたように虱潰しでリストを消化していきましたけど、50を越えたくらいからかなあ、リストにあるもんより、そのときどきで食べたいもんを優先するようになりました。呪縛から逃れられたみたいで、なんや心底ホッとした。実は食べたいもんを食べてるようでいて、ホンマのとこは自分で自分にお預けを喰らわせていたのかもしれません。

入江敦彦(いりえ・あつひこ)
1961年京都市上京区の西陣に生まれる。多摩美術大学染織デザイン科卒業。ロンドン在住。エッセイスト。『京都人だけ知っている』シリーズ、『京都人だけが食べている』シリーズ、『KYOのお言葉』『秘密の京都』『秘密のロンドン』など京都、英国に関する著作が多数ある。現在、本の雑誌で「読む京都」連載中。2015年9月に『ベストセラーなんかこわくない』(本の雑誌社)を刊行。