第28回「犬喰い」

 まる四年続いた『本の雑誌』の「ベストセラー温故知新」ゆう連載がこないだ終わりました。また、すぐ新連載が始まりまっさかい、どーぞよろしゅう。引き続きご贔屓のほどを願い奉ります。まんまんちゃんあん。
 これは戦後のベストセラーを現在の視点で読み直すことで、再評価しよう、ひいてはそれが書かれた時代を検証しようという試みでした。基本的にはベストセラーになった段階で、その本は読みとうなくなるタイプやったんですが、この仕事を経てなかなか面白い経験をさせてもらいました。百万部ヒットやからて書籍としてクオリティが高いわけやないけど、そんだけ売れるには売れるだけの理由が必ずある。ときに馬鹿馬鹿しいもんやったりもするんですが、それでもその理由を発見するんは楽しい作業でおました。

 さて小説やエッセイのみならず、ビジネス書から童話や児童書まで、たいがいのメジャーなベストセラーは網羅したんやけど、実はひとつだけ半分意識的に俎上に乗せなんだ本があります。それはこないだ亡くならはった
塩月弥栄子の『冠婚葬祭入門』(光文社カッパ・ブックス)。公称発行部数308万部。出版されて5ヶ月で100版超したて、あんた、握手券でもついてたんちゃうやろか。
『窓際のトットちゃん』が記録を破るまで出版史上最大のヒット作やったそやけど、どうしてもこれだけは触る気がせなんだ。というのも儂(わし)が【マナー】というもんに大変懐疑的な人間やからです。
 たとえば、お行儀の悪い食べ方の代表に「犬喰い」ゆうのがありまんな。器や茶碗をちゃんと持ち上げず、食卓に置いたまま片方の手ェで固定してかっこむ食べ方。ちゅうか汁もん以外を器に直接口つけて食べてたら「あんた犬食いなんかして!」と怒られたもんです。
 けっこう長いこと知らんかったけど「猫喰い」ゆうのもあるんやね。器の底に、ちょーろと一口分残してまうことで、犬喰い的な品のなさとは違ごたイヤらしさがありまんな。儂は人の皿小鉢に残ったもんを浚えるような意地汚い子ォやったさかい教えられんでも猫喰いはせえへんかったし、言葉すら語彙になかったんやろけど、それはそれで問題やったかもしれまへん(笑)。

 マナーゆうのは、つまりは美意識やと儂は考えてます。こーせなアカン、あーせなアカンゆうのを暗記していくだけでは意味がないんちゃいますやろか? 本来は、あーしたら汚らしい、こーしたらみすぼらしいちゅう俎豆に気付いてゆくプロセスがマナーを学ぶて行為やないかな。なんやそのへんの感覚が今日びの日本人には抜け落ちてもうてる気がするんですわ。ほんで、その原因を作ったんが件の『冠婚葬祭入門』やった気がしてるんです。
 犬喰いにしても匙で料理を食べる文化の国では当然ながらマナー違反にはなりまへん。ナイフ・フォークを振って食事するシーンで皿を持ち上げたら、そっちのほうがよっぽど行儀悪い。食文化の数だけマナーがあって当たり前。それを間違えると視野がどんどん狭うなる。もちろん改めて教えてもらわな気がつかへん美意識かてあるけど、自分でマナーを探す手間を惜しんだら、身につくもんもつかんようなる思うなー。
 いっぺんインドのお嬢さんが、それはもう舞っているかのごとく優雅に、それでいて美味しそうに手掴みで食事をしたはるのを見たことがありまっけど、あれは忘れられん情景。そのときからかな。マナーとかエチケットとかの根源を儂はすごく意識するようなったんです。「そうと決まっているから、そうせなあかん」ではなく、理に適った立居振舞のメソッドでないとあきません。
 メソッドを徹底的に体に叩き込んでから、その核心にアプローチしてゆく〝形より入る〟方法もあるんでしょうけどね。なんや〝形をいず〟に至らず入ったままで満足してもてフォークの背中にごはんを乗せて食べてはる人らが目立つ世の中でんなあ。草葉の陰で世阿弥はんが泣いてはるわ。

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 さて、これもまたマナーを逸した食べ方とされている行為に「犬まんま(犬めし)」があります。地域によって多少呼び名が変わってくるみたいですが、白ご飯にお味噌汁をぶっかけて頂戴するんが犬まんま、かっつぉ節散らしたんが猫まんまと儂は認識してます。
 むろん外食の席、人様にご馳走になってるときには絶対にいたしません。食べる前に塩コショを振るんと同んなじくらい不躾な行為やと考えてるからです(ゆうても英国では、かなり当たり前の習慣なんですけどね)。が、ほんねをゆうたら犬も猫も大好き。朝や昼のごはんは実際にこれで済ますこともしばしばおす。
 そんなわけで、ただいまわしは美しい犬まんま、猫まんまの食べ方を研究しております。いつか正式なマナーとして冠婚葬祭入門に追記してもらうのが夢やったんですけど。

入江敦彦(いりえ・あつひこ)
1961年京都市上京区の西陣に生まれる。多摩美術大学染織デザイン科卒業。ロンドン在住。エッセイスト。『京都人だけ知っている』シリーズ、『京都人だけが食べている』シリーズ、『KYOのお言葉』『秘密の京都』『秘密のロンドン』など京都、英国に関する著作が多数ある。現在、本の雑誌で「読む京都」連載中。2015年9月に『ベストセラーなんかこわくない』(本の雑誌社)を刊行。