第30回「糞喰らえ」

 ツレが日本語を習ろてはります。一緒になって15年、ようやく重い腰を上げたんは定年退職で余裕がでけたからかもしれません。時間的にというより精神的に。歳取ると新しこと始めんのにも馬力がいりますわ。
 どんな勉強かてそなんでしょうが外国語の習得ゆうやつはとりわけ人それぞれ、性格によって“はか„のゆくやり方が異なります。耳から入るんがええ人もいれば、読んで覚える人もいる。合わへん方法をいくら続けてもちーとも身につかんかったりするんです。ちなみに最も効率ええんは「pillow talk」やと言われとりますが、敦彦、子供だからなんのことかよぐわがんなぁ〜い。
 で、儂(わし)のツレ、この人は典型的なText book learner。まずは文法からちゅう人。なにごとも教科書通りでないと気が済みまへん。インペリアル大学が一般に向けて主催してる和会話初心者コースに通とります。
 日本語の専門家(儂のこと)が丹下段平のようにセコンドについとるんやから、なんにも高い授業料払わいでも……ゆうても聴く耳ありまへん。まあ、とっつあんは放送禁止用語を連発したはりましたさかい、きっと儂も余計なことばっかり吹き込むん違うかと警戒されてるんでっしゃろ。
 もちろん合間合間に日常生活で役に立つ“生きた日本語„のボキャブラリーは吹き込んだげてまっせ。やっぱ喰うことに関連した言葉が多いかな。きんの教えたげたんは【虫養い】【ちゅっちゅく饅頭】【お弁当つけて、どーこいーくのー】やったかな。

 さて、自分のことを省みると、読んだ文章の良し悪しくらいは解るようになったけど、いまだにまともな英語を話せてるようには思えません。耳学問一筋の弊害ゆうか限界かもしれまへんな。
 それでもそこそこ会話でけるようになったなあと実感しだしたのは咄嗟の感情表現や掛け声が英語で出てくるようになってからやろか。躓いたときに「おっと!」やのうて「Oops!」が、呼ばれて飛び出て「じゃじゃじゃじゃーん」やのうて「TA-DAH!」が口をつく自分に気づいて、ああ、ガイジンになってきてもうたわ。と。
 あと、スラングね。とりわけ罵倒/卑猥用語(swear words)を自然に発せられるようになったんには我ながら驚きました。どっちかゆうたら苦手やったからね。
 もっともF**Kを筆頭にBollocksやAss hole、 D**K Head、Cocksucker(意味わからん人はググっておくれやす)といった単語は英国人の会話には料理に塩コショするみたいに当たり前みたいに混ざってます。しばしば女王陛下でさえもが漏らさはって、イケズなメディアにリップリーディングされたりして話題になるくらい。
 そやし下品やゆうて頑なに使わんのもなんや肩肘張った感じやね。Bitch やMotherfuckerみたいに、いつの間にやら日本のボキャに紛れ込んでもたやつもありまっさかいな。そやからゆうてC**Tとかscumbagなんかは未だに破壊力があるし容易にこっちの人前でゆうたらあきまへんで。トラブりまっせ。

 そんなわけでツレにも、なんぞ日本の罵/卑語を叩き込んだろと画策してるんやけど、これがあんましありまへんのや。なんと日本人は清廉な人種やろ……というのは大嘘で、我が国には欧米のようなキリスト教によるモラルの縛りが緩かったんでタブーが少{すけ}なかったぶん、そういった言語が発達せえへんかっただけです。
 そんななかで一際目立つんが【糞】。英語でも同じ意味を持つShitは代表的なswearingとして流通してますし、利用されるシチュエーションもかなり近い。「Shit! Shit! Shit!」みたいに畳語表現される傾向も似ています。でも日本のように派生した言葉は存外ありません。すなわち【糞喰らえ】【糞ったれ】【味噌糞】などの存在です。それぞれShit eater、Shit leaker、Shit and Miso paste Mixtureの意味で、これこれこういう場面で使われるんやよとツレに教えたら感動しておりました。
 さらにはFuckingが対象を評価する表現として感嘆詞的に冠詞としてかぶせられるように「糞可愛い」「糞不味い」「糞眠い」のような用法も一般的であると続けて説明しながら、なんとまあ日本人は糞が好きなことよと自分でも感心したり呆れたり。古事記とか読んでも糞エピソードが満載やったりしますもんな。さすがジパング、黄金の国(ちょっと違う)。
 むろん日本でも、そうい表現を目の敵みたいに糾弾しはるお上品な方々はようさんおられます。そやけど儂はそういうんも含めて言葉の豊かさ、襞や陰影は生まれてくるんやと信じております。ほんなもん、なんぼ眉を顰められたかてそれこそ「糞喰らえ」ですわ。いや、あきませんか、そんな言い方したら。ほな京風に「ウンコさんでも、おあがりやす」いわせてもらおかしらん。 photo

入江敦彦(いりえ・あつひこ)
1961年京都市上京区の西陣に生まれる。多摩美術大学染織デザイン科卒業。ロンドン在住。エッセイスト。『京都人だけ知っている』シリーズ、『京都人だけが食べている』シリーズ、『KYOのお言葉』『秘密の京都』『秘密のロンドン』など京都、英国に関する著作が多数ある。現在、本の雑誌で「読む京都」連載中。2015年9月に『ベストセラーなんかこわくない』(本の雑誌社)を刊行。