第36回「喰み返る」

 80年代頭のヌーベル・キュイジーヌ爛熟期からフランス料理を食べ始め、『アラン・シャペル』や『ヴィヴァロワ』といった伝説店で喰たこともあるし、『トゥール・ダルジャン』や『ラセール』みたいな神々の黄昏も経験してます。最盛期のロブションやサンドランスも知ってるし、『ランブロワジー』はセーヌ河畔の誕生からプラス・ド・ヴォージュで三ツ星に輝くまで立ち会ってきました。自慢でもなんでものうて、ただのフレンチヲタやっただけ。車買うたり、AKBのCD大量購入せえへんかったお金をレストランで使てきました。ま、病気やね。
 そんな儂(わし)ですが、90年代半ばから貧乏になったせいか、食シーンが静かになったせいか、フランス飯からしばらく足が遠のいていました。毎年みたいに通ってはいたけど、食べる楽しみはレバノン料理やったりショワジーの中華(ベトナム)街が中心。あと活気のあったケーキやチョコレートの店ばっかり巡ってました。高級店も伝統的なビストロも、なんや鈍いというか退屈やった。

photo ところがつい先日、ころっと印象がひっくり返ってまいました。なんでてシャルル・コンパニオン(Charles Compagnon)ちゅうオーナー・シェフが経営する三軒の店、『L'Office』『Le Richer』『52 Faubourg Saint Denis』で喰うたからです。教えてくれた友人には大感謝。いやはや、めっちゃエキサイティングな経験やった!
 料理は「モダン・フレンチ」ゆうたらええんでしょうか。ほんでそれはヌーベル・キュイジーヌどう違うんや? と言われたら儂は、こう説明したいと思います。たぶんモダンの連中にはヌーベルを背負ってた先達の革命意識はありまへん。「打倒!アンシャン・レジーム!」的な気負いは皆無。縛りがない。自由なんです。あるとしたらカテゴライズされとうないという〝個〟の感覚。
 自由てゆうたら、かのミシュラン赤ガイドの呪縛からもこの人は逃れてはるみたい。実は『L'Office』はエントリーされてるんでっけどね。本人は「くれはんの? そうでっか。おおきに」みたいな感じ。敬意は払うけれど、権威には関心がない。ちょっと話しただけやけど、もっと星を集めたい!的な野心も皆無やったな。

photo まず、店ごとにチーフシェフを置いて、彼が補佐役に回るゆうシステムに感心しました。シャルル・コンパニオンならではの個性は隠しようがないさかい、たぶんメニューは一緒に決めてはるんやろけどね。それにしても人手が足りてんとこへはサービスとしても出張して楽しそうにワインを注いで回ってはるんやもん。笑ろたわ。まあ、三軒とも近所やしできる技かもしれんけど。
 それぞれは本格レストラン、カフェ、ビストロと役割分担があるけど、どこも出てくる料理のクオリティは等しく高く、〝驚き〟があんのは共通してる。古典と斬新。アジアと欧州。純フランス的なセンスとイタリアや北欧の食材。海のものと山のもの。手間をかけた昔ながらの調理法と現代的なテクニック。そういった一歩間違うと喧嘩してまうような要素が、しっとり、滑らかにお皿の上で融合してる様子は、ほんまお見事。

 でもね、一番びっくりすんのがお値段。安い! 普通、このレベルのごはんをいただこ思たら、物価高のフランスでは最低80ユーロは必要なんやけど、ここではほぼその半額なんえ。ちょっと、どーえー?
 またそのための工夫が素晴しいてね、たとえば省略できる〝様式〟はどんどんへつってあるのよ。ナイフ、フォークをいちいち取り替えへんとか、ソムリエやメートルなど専門職を置かへんとか、三軒ともでグラスワインを共通させるとか(味見は気前ようテーブル全員に全種類飲ませてくれはる)、調理法はばらばらやけど食材を共通させるとか、etc,etc,客単価を抑える工夫があちこちにありまんねわ。そういうのを発見するのも、もしかしたらこの人の店の愉しみのひとつかもしれまへん。

photo むろん、それらは集客の方策でもあるんやろけど、どっちかいうと無駄を省いて純粋に自分の料理をようけの人らに気楽に気軽に食べてもらいたいというシェフ本能の発露みたいな気ィがしまんな。『L'Office』以外では予約すら取らーらへんのも同じ理由やろな。
ポーションが小さいのも自分で自由に取り合わせて適量をチョイスしてもらうための仕掛けみたい。美味しいチーズも揃えてはるし、腹具合のコントロールは簡単にでけます。ここ数年のフランスの健康志向による小食化・脱肉食傾向がヘンなふうに転がったら嫌やなと考えてましたけど、どうやら杞憂に終わったようです。

 いやー、これでまたフランス詣での機会が増えそう。イルカやなんかが海から顔出して息して水ん中に戻ることを【喰み返る】いいまっけど、そんな気分。ちなみにこの言葉、「病気がぶり返す」ちゅう意味もございますのえ。もー、どないしょー。

入江敦彦(いりえ・あつひこ)
1961年京都市上京区の西陣に生まれる。多摩美術大学染織デザイン科卒業。ロンドン在住。エッセイスト。『京都人だけ知っている』シリーズ、『京都人だけが食べている』シリーズ、『KYOのお言葉』『秘密の京都』『秘密のロンドン』など京都、英国に関する著作が多数ある。現在、本の雑誌で「読む京都」連載中。2015年9月に『ベストセラーなんかこわくない』(本の雑誌社)を刊行。