第44回「猫喰い」

photo 喰い意地の張った人間でおます。弁解の余地など金輪際ございまへん。自分でも、ああ、儂はほんまに意地汚いなとしみじみ情けのうなるんは、がっついてるときよりもむしろ食べたかったもんをみすみす食べ逃したり、あるいは冷蔵庫に入れたまま忘却の河の向こう岸に置き忘れて台無しにしてしもたもんのことを考えて、いつまでもくよくよくよくよしてるときなんかです。
 一年二年は当たり前。未だに小、中学校のころの喰い損ないを思い出してキーッとなったり、カビた饅頭を振り返って胸が痛くなったりするんやから病気も末期症状やね。アイスクリームの屋台やジェラトリアでカップかコーンが選べるとき儂はカップ一択なんやけど、これも小学三年生の夏にソフトクリームの歩き喰いしてて、ぼとっとアイスがコーンからこぼれ落ちてしもたショックから立ち直れてへんからやったりします。

 そんな喰い意地大魔王が今日び頭を悩ませてるんが「猫喰い問題」、またの名を、毎日の食卓における「お茶碗に一口残ったご飯をどうするか問題」。です。
 猫にごはんをやると全部平げずに、ちょっとだけ食べ残すことから猫喰いと呼ばれるようになったこの悪癖、儂は昔から大嫌いでした。もう、許せんかった。以前に器を持たんと食べる犬喰いについて書きましたけど、猫喰いに比べたらそんなん屁ェでもおへん。人前で鼻くそほじっって、それ食べる人のがまだマシや。
 いや冗談でも大袈裟でもおへんえ。これはけっこう真剣な、もっと審議されてしかるべき事柄やと考えてまっせ。ちゅうのもね、いつくらいからかなー無自覚に食べていると蛇蝎のごとく忌み嫌うこの猫喰いシチュエーションに自らが直面してるときがありまんねん。
 多分ね、原因は歳取ってきて食べる量が物理的に減ってきてるんやけど大喰い時代の名残でついつい昔と変わらん量を盛ってしまうせいなんです。おまけに生来の意地汚さも手伝って用意したもんがあきらかに適量を越えていても余らせとうない、浚えてしまいたい、ゆう心理が意識下で働いてまう。
 それでも五十前までは造作もなく余分を胃の腑に納められました。ところが、いつの間にかそのほんの一口が真剣に喉を通らんようなってきた。分量にしたらスプン一杯やのに、どんならん。理屈は分かっていても解決の手口がみつからん。困りました。
 最初から量を減らせばいいんでしょうけど、最後に口が拒否するであろう一匙分を鍋に残さなあかんとしたら、それは抜本的な対策やないと思わはりませんか?当然ながら胃の容量の変化に合わせて全体のポーションは減らしてはいってるんですよ。それでもやっぱりお皿の端、お椀の隅に一口の余剰を発見する日々。もしかして猫の呪いやろか? そのうち夜中に行燈の油舐めたりしだすんやろか? いや、うち行燈あらしまへんけどな。

 あんね、こっちの人は「理由の如何によらず食べられへんなら、もはや食べ物やない」て考えはるんです。そやし平気でポイしはる。傷んだ料理も、満腹ゆえの残飯も、焦がしたり塩を利かせ過ぎた失敗作も〝食べられない〟のだから同じ扱いですねん。もうこっちの暮らしも長いのやから郷に入れば郷に従えで実をいうと勇気を振り絞って猫喰いを捨てたこともおます。けどあかんかった!半世紀も前の無駄飯を瞼に浮かべてため息つく人間にはでけんことどした……。
 そんなわけで常備菜だのふりかけだので猫喰いを飲み込む悶々とした日々が続いていたのですが、どんなに好きなおかずを添えてみても猫喰いの一口ってどないしょーものー美味しゅうないんですよねー。参ったなーと思案投げ首。結果、もう自分で締括すんのはやめにしょーと決めました。当事者同士で話し合ってもろて、どっちかに折れてもらおやないかと考えたんです。
 すなわち儂の中に同居したはる、鱈腹食べたい喰い意地さんと猫喰いしとない喰い意地さんで徹底討論してもらおやないかと。で、出た答が「コントロールし難い丼もんやワンプレートディッシュは思い切って半分にする」という、なかなか大胆な解決策でした。
 これやと猫喰いは絶対に起こりません。むろん喰い足りん。にゃけど足りんかったら、それこそ常備菜に出番を求めるもよし。林檎を齧るもよし。ナッツやドライフルーツで凌ぐもよし。

 かつてはカレーなんかもお皿の上でルーとごはんが攻防戦を繰り広げ両方が塩梅よう食べきれたときには腹が張り裂けそうになったりしてましたが、こちらも使う皿のサイズを変えて以前みたいに過食せんでええようになりました。めでたしめでたし。まあ、ゆうたら最初から盛り過ぎない、ほんで不足は別の味で補うゆうだけの話なんやけど喰い意地のとことん張った人間にはそういう発想すらなかったらしですわ。阿保やなあ。
 やりたいことをするか、やりたないことはせえへんか、「好き」を掴むか「嫌い」を捨てるか、要はそういう問題やったわけですが、喰うことに限らず人生の別れ道で出会う選択問題はいつでもこれと違いますやろか。ご飯とカレールーが最初から過不足なくバランスよく載った皿みたいな一生を送れる人なんかいーしませんもん。

入江敦彦(いりえ・あつひこ)
1961年京都市上京区の西陣に生まれる。多摩美術大学染織デザイン科卒業。ロンドン在住。エッセイスト。『京都人だけ知っている』シリーズ、『京都人だけが食べている』シリーズ、『KYOのお言葉』『秘密の京都』『秘密のロンドン』など京都、英国に関する著作が多数ある。現在、本の雑誌で「読む京都」連載中。2015年9月に『ベストセラーなんかこわくない』(本の雑誌社)を刊行。