第48回「道草を喰う」

*入江敦彦さんの一時帰国にあわせて今回はご本人の朗読付きの特別バージョンでお送りします。
ぜひ、入江さんの「京ことば」をご堪能ください。(一部音声とテキストが違っていますが、ライブ感優先のためご容赦ください。)

 いまより悠長な時代やったせいもありまっけど、小学校の四、五年生あたりからエスカレータ式で隣にあった中学を卒業するまで、おおよそ二十分くらいの道程を倍ほどの時間をかけてぶーらぶーら寄り道しながら歩いて帰んのが好きでした。どこの家の軒先に犬が繋がれとるとか、どこの垣根に食べられる実ぃが成っとるとか、どこの町工場の前にどないな廃物が捨てたあるか、みんな知ってた。
 長距離、というか乗りもんを使わなあかん時は最短距離を求めるタイプのくせに移動手段が徒歩となったがとたん、いまでも脇道に逸れずにはおられへん道草癖が抜けまへん。喰うことはたいがいなんでも好きでっけど、道草もまた大好物でおざいます。
 かみさんほとけさんでも有名な神社仏閣やのうて観光ガイドには載ってえへんような場所に惹かれんのも、そういうんが道草の産物というか、道草をしこたま喰ろうた効能でっしゃろな。清水さんやら金閣寺やらが、いわゆる老舗の大料亭やとしたら、それらの味わいはナポリタンの美味い喫茶店や白菜のどぼ漬けが評判の定食屋さんといったとこやろかね。
 観光で来はるよそさんは知らんけど住んでるモンらにとってはどっちが大事やゆうたら、ほんなもん考えるまでもあらしませんわいな。

 喫茶店やカフェーのたぐいが道草のメニューに並ぶようになったんは、いつくらいからやったかなー。ゆうても所詮は子どものお小遣いの範囲やったし知れてるんやけどね。もちろん校則では寄り道禁止。中学に入ってからは強制的にクラブ活動させられて難儀なこっちゃったと思うてました。もちろんお店によっては敷居が高すぎてはいれへんかったし、敷居を乗り越えようとしたところで門前払い喰らわされることもしばしばやったね。
 ……やったけど、そんななかで、あぶり餅の『かざや屋』さんと『一和(一文字屋和助)』さんは子どもが気楽に道草喰える格別な場所でございました。たぶん表と店の区切りが曖昧やったしやろと思います。その''あわい''にこんもりと座ったはったおばあちゃんの姿は忘れられません。こんがり香ばしいお餅に白味噌あんのかかった一口大のあぶり餅を刺す竹串を割く指先を眺めてるだけでも楽しかったけど、ほんまにいろんな話してもろたわ。道草は美味しいだけやのうて余計な知識とか、いらん知識、余計やけどオモロい知識、いらんけど笑ける知識でおなかぱんぱんになった。
 実はほんの五年ほど前まではお達者で相変わらずの手さばきを見せてくれたはったんやけど、儂が子どものころから見慣れていたご様子とちっとも変わらーらへんかったんは不思議なことやと思うております。もしかしたらこれから先、十年二十年経ってもおんなじように、あのおばあちゃんはいてはるんやないかという気もします。
 なんかねえ、それでのうてもこの辺て不思議やのよ。時間の流れ方が一定でないというか。以前、このへんのお気に入り道草先やった『昼行燈』ゆう店がのうなってしもたと思たら、小そうなって近所の裏道でお商売再開してはるような、してはらへんような。いったいなんなんやいう感じなんやけど。時間が逆行したみたいな雰囲気があるんよね。町家喫茶あまたさぶらふなか、しゅっとしたしつらえと、しゅっとした味の珈琲を出してくれはるとこやったんで、また寄らせてもらえるようなるんやったら、楽しみなこっちゃなあと思うてます。こんどのとこはより道草感があって、よろしおすな。

 いまでもロンドンから帰ってきたとき、なんやかやと理由をめっけて道草さしてもろてる場所が『大吉』さん。カフェやのうて骨董屋さんです。それも本道のもんを扱ったはるほんまもんの店。そやし茶房はおまけ。やけど目の覚めるような珈琲飲ませてくれはります。お抹茶もおかあさんがこしらえてくれはる甘いもんも、みんな美味しい。きちっとしたはります。
 もう何年になるかなあ。なんで覗かしてもらおと思たんかも覚えてへんくらい昔の話ですわ。塩梅のええ道草系の店てゆうのは「らっしゃい!らっしゃい!」と客を呼び込むような性質がおへん。情報誌を開いて辿り着くようなとことも違います。あるいは必死のパッチで通い詰めて常連になるゆうのも、なんか違う。ふと目について、おびき寄せられるみたいに入ったが最後、気が付くとなんべんもお邪魔するようなってるんですわ。
 あんねえ、よう雑誌とか見てたら、「隠れ家」ゆうことばがでてきまっしゃろ? あれ、阿呆みたいよね。まずメディアで紹介された時点で隠れ家やのうなってしまいますがなゆうのもあるけど、隠れ家ゆうんは初めから隠れ家として作られてるんやのうて、そこに行く人にとっていつのまにか隠れ家に''なる''もんやからです。安心感を以って身を潜めてられるのが隠れ家で、そんな空間を確保するにはそれなりに時間がかかる。うまい道草を喰えるか否かは、どっちかゆうたら人と店との相性の問題やと思うんですわ。それが『ドトール』や『コメダ』でもなんにもおかしいことあらへんえ。

 さあ、本日最後に道草さしてもらうんは、こないだイベントで一日店長させてもろたばっかしの『開化堂カフェ』さん。市電の修理工場やった建モンの外観を活かした瀟洒な店は、まだ開店してひと月やそこらですけど、老若男女がコンフォタブルに混在する感じがまさしく京都の珈琲屋さん感じですね。正統派のDNAを引いてまんな。普通、こんだけディテールに凝ってると、どんだけ趣味がようてもうるさいもんやけど、そういう、どやどや!みたいな主張がぜんぜんないの。ちょっと、どーえー?
 お店のある七条から五条に至る河原町通りと、その裏側、疎水沿いの小道は五条楽園ゆう庶民的な歓楽街でした。いろいろ、まあ、なんちゅうか癖のある街ではありましたけど、前々から風情があって儂はここを散歩すんのがすごい好きでした。けど、残念ながら道草でけるカフェが皆無でねえ。唯一のオアシスゆう感じで、プロダクトデザイナー西堀晋さんのフラッグショップでもある『エフィッシュ 』がオープンして、それからもながいことカフェ難民が彷徨うエリアやったんですよね。それがここ数年、外国人向けの宿屋さんとか増えて新しい店が次々と出来てるんですわ、『開化堂カフェ』はまさにそんな変わりつつある楽園の象徴ですわ。
 そやけど、どんなに変わっても楽園はやっぱり楽園。散歩が楽しいことはちっとも変わりません。ただ、道草を喰おうとしたら、その街にはその街に寄り添うようなカフェが必要なんやなあとしみじみ確信もしました。もしかしたら街と人とを結びつけるには散歩という儀式が必要で、カフェはその祭場なんかもしれませんな。ほんでそやとしたら京都はどこを歩いても朱い鳥居が口をあけてまっけど、京都人にとってカフェは神社に似た存在なんかもね。
 道草を喰うゆう行為は、なにごとのおわしますかはしらねども、神さんに向かって「まんまんちゃんあん!」と手を合わせる安寧がある気がします。すんませーん。珈琲おかわりください。

入江敦彦(いりえ・あつひこ)
1961年京都市上京区の西陣に生まれる。多摩美術大学染織デザイン科卒業。ロンドン在住。エッセイスト。『京都人だけ知っている』シリーズ、『京都人だけが食べている』シリーズ、『KYOのお言葉』『秘密の京都』『秘密のロンドン』など京都、英国に関する著作が多数ある。現在、本の雑誌で「読む京都」連載中。2015年9月に『ベストセラーなんかこわくない』(本の雑誌社)を刊行。