第56回「喰器」

 古い日本の皿小鉢ばっかり使こうてる儂(わし)ですが、洋もんもちょくちょく買(こ)ーてるし、食卓にも普通に登場してもろてます。ぜんぜん嫌いなわけやない。
 儂が最初に器に興味を持ちだしたんは小学校の三,四年生くらいやったかな。子供にしてはいやらしい趣味やと思われるかもしれませんね。いいええ、とりたてて早熟な数寄者やったとかではないんどっせ。そんなかっこええもんやない。毎日のご飯を食べるお茶碗はプラッチック製で『ブー・フー・ウー』の柄やったし。そういうもんを使うことに何の疑問もなかった。

 器に目覚めた切っ掛けはお茶。紅茶です。
 うちはなんでかティーバッグやなくリーフティでしたが、もっぱら『リプトン』の黄色缶か『日東』。濃い濃いに淹れて牛乳と砂糖たっぷりがデフォルト。そんな日常に現れたのが『トワイニング』。これが儂にとってヘレン・ケラーの「水」になりました。紅茶はただの紅茶ではなく、アールグレーとかダージリンとかプリンス・オブ・ウェールスとかいう蠱惑的な名前があるのだという〝発見〟は衝撃やった。まして、それらは住んでたマンションの一階を占める『ジャスコ』にあった……まるでファンタジーですわ。色違いの缶々をずらりと勢揃いさせたときの景色と充足を儂は未だに覚えています。  さて、ファンタジーなお茶をゲットしたからには、それに相応しい器が欲しいなる。当然の流れです。そう。儂の器好きの起点はトワイニングのためのティーカップを探すところからスタートしてるんです。
 もっとも目覚めたはええけど小学生のおこずかいで買えるカップなんてたかがしれてます。中学進学を理由に母親にねだった『ロイヤル・コペンハーゲン』の一対が儂にとっての記念すべきほんまもんの茶器でおます。いまでも大切に持ってまっせ。
 それからというもん、明治ころ海外輸出用に作られていたゾッキもんを天神さんの蚤の市で漁ったり、ノリタケやら東洋陶器のんを古道具屋で発掘したり、お年玉を胸に抱いて百貨店に走ったり、いろいろ買ってきましたなあ。雑誌(たぶん『家庭画報』)で見てずっと憧れてた『ジノリ』があるて聞いて大阪の輸入雑貨店まで行った思い出も。生れて初めて京都の外に一人で出たんはティーカップのためやったという。
 生れて初めてゆうたら十九歳のときの初渡欧の第一目的もカップやったなあ。『ウェッジウッド』のジャスパーウェア。確か里中満智子先生のお宅訪問インタビューかなんかで愛用品として紹介されてたんに一目惚れして以来、欲しい欲しい欲しいと思い続けてたんです。帰国後に使い始めて、あの美しい特徴のあるブルーは、ミルクティを淹れてこそ真価を発揮するんやと気づき感動したもんです。F&Mとの出会いもこのとき。
 長く続いたティーカップ熱が落ち着いたんは、なによりロンドンに生活のベースを移しだしたところで、英国人式にマグでしか紅茶を飲まんようになってしもたんが大きいですね。彼らにとってカップ&ソーサーはあくまでお客さん用。ふだんはまず利用しはりません。お客さんによっては余所余所しい印象がして嫌わはる人もいるんでっせ。うちにも『アラビア』社のバレンシアていうシリーズが一通りありまっけど気に入ってるわりには、さほど日の目を見てまへん。

 カップを集めてた当時は当然みたいにそれに付随して菓子皿に手を出し、なんやかやと洋食器も棚に増えていっておりました。そやけど、どんどん自分で料理するんが楽しゅうなってゆくに連れ、どうしょうもなく興味が薄れってしもた。なんでて洋食の皿の行き着くとこは白やからです。フランスでも、イタリアでも欧州料理は白が映えるようになってまんのや。
 ウエッジウッドか、ヘレンドか、リモージュか、最終的にはどこのどんな白を選ぶかゆうだけで、白無地以上に美味しさを引き立ててくれる器はありまへん。それが西洋料理の器なんですわ。――てなことが自分なりに解ってくると、どんな食器を見ても、いや、ええやんかいさ! と一瞬食指が動いても「どうせ白には勝てへんし」と考えてまう。物欲も怯えてまう。ときどき発作みたいに誰か作家にハマっても冷めんのは早い。

 そやけど、ほんまに日本の器、和食器てゆうのは面白いねえ。なんやろね。あれ。馬子にも衣裳? みごとに西洋料理にも合うし普段のおかずをえらいご馳走にしてくれたりもする。伝統料理とかですら西洋の白もんを超えた絵にしてくれる。凝ったもんに限らずカレーやらスパゲティでもイケる。ところが逆に和食を洋皿・洋碗に鎮座させるとなんや〝締まらん〟のよ。高級メーカーの味わいある上等な白無地であってもアカン。
 それでも例外ちゅうか、たとえば骨董の中には、どんな料理にでもぴたっとくるもんがないわけでもおへん。
 英国のもんやと陶磁器製の器が一般的になる以前、中世から十八世紀にかけて拵えられてた錫の皿。これは和洋中なんでもこいでっせ。多少歪んでたり割れてたりすんのも味のうち。重宝してますわ。平安末から鎌倉時代、 瀬戸、常滑、あとは猿投なんかの製陶地で焼かれてた山茶碗てありますやん。もちろん素材も姿形も全く異なるもんやけど、あれに近い感じなんかもね。
 あと、デルフトの類いも万能やね。けっこう派手派手の柄もあるし、色使いもカラフルやのに。名前の通り発祥の地はオランダ。なんやけど、いろんな国で焼かれてて本場もん違ごても英国のもんもハンガリーやイタリアのもんも、どれも同じような和食器的な懐の深さがある。むしろデザインゆうより錫釉薬を掛けて焼かれることで加わる独特の味わいがええんかな。
 あんまし日本では知られてへんけど英国にはポスト・デルフトとしてヴィクトリア時代に大流行したGaudy Welsh ちゅう磁器がありまんにゃわ。庶民にも手が出るくらい値段的にもこなれてたんでヒットしました。手描きでありながら量産されたんで現在でも手に入りやすいアンティーク。古い食器類が好きな人は狙い目やと思いますんでチェックしてみてください。いっとき日本でもスージー・クーパーとかがえらい人気やったけど、あんな可愛いけど勝手が悪い――食べもんに合わせ難い――器より、よっぽど汎用性が広うてよろしいもんでおます。

 前もどっかで書いた気がしますが、似たような意味で勝手の悪い器の代表がルーシー・リーでんな。あれもものごっつ人気あるみたいで、みんなええええいわはるけど、すんません、儂にはちっとも値打ちが解りまへん。ちゅうか、あの人のんて〝器〟やないよね。なにを載せても注いでも不細工なんやもん。
 いっぺんこの人の真っ黒のマグカップで紅茶をこわごわ啜ったことがありまっけど、あないお茶の水色が映えへんもんも珍しかった。ジャスパーウェアと正反対。あ、いま思いついたけど、それこそ『リプトン』とか『日東』の濃ぉーい赤い赤いのに牛乳おいめとかやったらイケるかもしれまへん。
 どっかの雑誌が「有名料理人のナンとか先生がルーシー・リーに盛り付ける!」てな特集をしはって、貸し出さはったルーシー・リー協会の人が「ルーシーの器に料理を載せるなんて!」と怒らはったゆう逸話が儂は大好きなんですけど、この企画立てた雑誌のセンスのなさもさりながら、協会側のしょうもなさには泣けてきます。
 そんなんいうてるさかい、いつまでたってもイギリス料理は不味いと謂れなき唾罵謗言を受けるんでっせ。そやかてさ、この人らの言い種は「食事のくせに味のよさを求めるなんて!」と同義やおまへんか。
 けど、まあ、洋もんでええ和食器と変わらん魅力を持ち合わせてるゆうたら、かつてリーチ窯で焼かれてた民藝、もといMINGEI の磁器たちやろね。

photo 柳宗悦とともに【用の美】を唱えて日常の中から美を再発掘しようとする民藝運動を牽引した陶芸家バーナード・リーチ。彼の焼きもんは、ほんまに器としてようでけてます。つまり単純な話、食べるもんを載へて映える、美味そうに見える器なんですわ。喰うという行為の歓び、なんでもない日々の暮らしの尊さをふわりと捧げもつ掌のような食器が作られてました。
 ここの日用雑器のなにがスゴイて、お抹茶を点てても、それなりに見事な風景になってくれるてことですわ。以前、武者小路千家、官休庵の宗屋くんに「入江さんて普段はどんな設えでのんではんの?」と訊かれ、めっちゃ困ったことがあります。もーやめてー。イジメやんか。 そのときは、まあ、お茶を濁して逃げたんやけど、後日、覚悟を決めてお見せしたんがリーチ窯の「Z碗」と呼ばれるお茶碗。ほぼ毎日これでお薄をいただいてます。
photo そこに記された文字は、民藝の精神を現す【乙】の字やとも、小枝にとまった小鳥の抽象やともいわれてるシンプルぅな器ですが儂はこれ以上、自分にとって過不足ない茶碗を存じません。儂は日常の茶にしか意識がないんで、ほんまにええもんに巡り合えたと民藝の神さんに感謝してます。そら、抹茶茶碗として作られたもんのなかには英国に限らず素晴らしいもんを拵えはる外国人作家もいてはる。けど、そうやないんよね、これは。宗屋くんのお眼鏡にも適ったようで安堵しました。
 もはやティーカップも洋食器もそない買わへん儂がいまだにチャンスがあれば自分のもんにしてんのが、てなわけでリーチ窯の食器。ほんでリーチの薫陶を受けたお弟子{でっ}さん、陶芸家の道を選んだ大勢のお子さん、お孫さんらの焼きもんでございます。日本と違ごて市場が極端に小さいさけ、そのクオリティまでもが目立たへんのは残念やね。まあ、なかには世界的な名声を収めはった人もいはりまっせ。誰て、ルーシー・リーやけどね(笑)。皮肉やね。

入江敦彦(いりえ・あつひこ)
1961年京都市上京区の西陣に生まれる。多摩美術大学染織デザイン科卒業。ロンドン在住。エッセイスト。『京都人だけ知っている』シリーズ、『京都人だけが食べている』シリーズ、『KYOのお言葉』『秘密の京都』『秘密のロンドン』など京都、英国に関する著作が多数ある。現在、本の雑誌で「読む京都」連載中。2015年9月に『ベストセラーなんかこわくない』(本の雑誌社)を刊行。