第01回
「美味いものは宵に喰え」
……そうか。人と別れることに慣れてかんならんにゃ。
気づいたときは、ぞっとしました。いつくんのかは神のみぞ知る。たいがいは「さいなら」もいえん。自分ではでけることは無きに等しい。他人の死に対する無力感、あるいは諦念――人間が歳を喰う最大のデメリットは、もしかしたらこれかもしれまへん。手を
そら若うても誰ぞにもう会えんくなることはあります。運の良し悪しの問題だけで、もしかしたら確率的にはそない変わらんのかもしれん。また、若さゆえにより辛い別離もあるやろし。そやけどね、歳喰てからのそれの怖さは、もはや死が特別なものやなくなるゆうことなんですわ。死は当たり前の隣人やのん。逃げも隠れもでけへんので顔馴染みになるしかしゃあない。
あのね、なんやかやゆうても若い人には出会いがあるんです。別れに傷ついても、新たな出会いがその痛みを紛らわせてくれる。和らげてくれる。あわよくば忘れさせてくれることもある。そやけど年寄りは痛みに
吉野朔実さんが亡くなったときは、あんまりにも突然やったんに加えて、付き合いの長さや交流の深さ、自分と歳が変わらんこともあって、彼女が逝ってしもたことが
せめて夢枕に立ってくれはらへんかと毎晩寝る前、祈るように指を組んでました。
そやけど、とうとう彼女は儂の枕元にやってきてくれはらなんだなー。結局、夢に登場しやはったんは一周忌も過ぎて半年近くもあと。今年のお盆前やった。ああ、
夢そのものはなんも感動的な内容やなかったけど、それでも有難とうてね、帰りしなにも顔見してくりゃーらへんやろかと期待してたんやけど、ちゃっちゃと素通りしはったわ。おおきに。
そのせいかお盆明けはなんや憂鬱でねえ。いろいろせんならんかったんやけど気も
アニキ、ゆうても血のつながりはおまへん。兄弟杯を交わしたわけでもない(笑)。親しいご友人らはみんな彼のこと
を「たーさん」て呼んではりました。ひととひとの間に垣根を作らーらへんお人柄にぴったりの響きやったけど、儂は「アニキ」と慕っておりました。
あんねえ、告白します。この渾名、最初は冗談やったんどっせ。冗談ゆうか、からかい混じり。けど友人付き合いさせてもろてるうち、その
田中將介さんというのは、そういう人でした。
アニキは何代も続く生粋の江戸っ子。江戸情緒や江戸の粋にプライドを持ってはりました。そして、そういう江戸前の皆さんがしばしばそうであるように京都がとてもお好きやった。どこがええんか知らんけど基本的には京都人しか喜ばんような拙著を愛読してくださってたんが馴れ初めでしたし。
誤解されがちやけど、その手の純粋培養された江戸人はしょうもないコンプレックスがおませんさかい変なライバル意識も少なく、京の文化のなかにある江戸と地続きの美しさを素直に愛せるんです。昔ながらの下町に行くと結構京小物の店があったりしてね。江戸っ子と京都人は水と油にみえて存外シンクロしてますのや。
もしかしたら酢と油かもしれまへん。ドレッシングにしたら美味しい、みたいな。
で、アニキは典型的なその手の京都シンパやったわけです
が、接待というか歓待を受けると、やはりその違い、京と江戸との差に驚かされました。もちろんアニキのご性分もあるんでしょうが、ただ豪華とか贅沢というのではなく、なんていうんやろ、江戸前の心意気とか意気地とかを示してくれはった。「初鰹は女房を質に入れてでも喰え」的な。脂が乗って一番美味しい旬の盛りに、ここぞ!とプレゼンする京都人のもてなしとは根本的に
なにしろリアルにお会いする初デート(笑)の食事からして度肝を抜かれました。なんでてあんた、前菜がすき焼きで、メインがフランス料理という取り合わせでっせ! いや、別っこの店です。
まずは湯島の銘店『江知勝』で旨味を凝らせたような牛肉を数枚、くつくつ煮てぺろり、くつくつぺろりといただき、「たーさん、ほんとにこれだけ?」と驚いてはる女将さんの顔に悪戯っぽく「今日はそういうご趣向なの」とタクシー飛ばし、こんどはいまはなきホテル西洋銀座の『レペトワ』というコース。ハーフポーションのムニュでした。そのあとは西洋のバーに移ってデジェスティフをいただき、ホテルの部屋に戻ると「しばらく食べてへんけど大好物なんですわー」と儂が話してした浅草『梅むら』の豆かんが!
まだありまんねん。冷蔵庫には、やはり話題になった『オザワ洋菓子店』のイチゴシャンデが「おめざ」として用意さ
れているという念の入りようでおました。
おそらくこういう発想は京都人にはでけません。京都人がやったらきっと寿司をケチャップで食べさせるようなちぐはくなもんになってまうでしょう。どう考えてもマッチしそうにない老舗すき焼きと古典的なフレンチを並べ、さらには素朴な和菓子まで揃えて見事なマリアージュを成立させてしまえんのは江戸のセンスという以外、儂には説明でけません。
しかも、それらの発想の根源には微塵も自己顕示欲がない。驚かせてやろうというドヤ顔なんてどこにも隠れてへん。ただただ「弟分に美味いもんを、あれもこれも喰わせてやりたい」という愛情なんですわ。ほんで「あーっ! ひとつに決めらんねえからみんな行っちゃえ!」となったんやね。
アニキが都内の別荘みたいに使こてはったマンションに世話にならしてもろたときは、もうご闘病中やったんで都内を縦断するみたいな力技は無理やったけど、それでも奥さんと二人三脚で細々世話を焼いてくれはりました。ふと壁を見ると毎年クリスマスに飾ったはった
金子画伯とはお会いしたことがありません。けどごく親しい方、何人かと知り合おうて仲ようにさせていただきだした
矢先に亡くならはって……。ご縁がなかったんやなあと
アニキと並んで画伯の絵――キャロルを歌うふたりの子供――を眺めながら、こんどこちらでお世話になるときは、それが春でも秋でもここでクリスマスしまひょな、と約束しました。精一杯気張って美味しいもん拵えまっさかい、そこに何枚も重ねて置いたはるスリップウェアの素晴らしい大皿にどーんと盛り付けて、親しい人を招いてパーティしまひょ。吉野さんはもう来てもらえへんけど、アニキに紹介したい人もいてますし。
「そうしましょう。そうしましょう」と頷いてくれはった顔が忘れられません。それこそすき焼きとフレンチがごちゃ混ぜになったような集まりになったやろけど、きっと
訃報はロンドンでお会いして一緒に散策など付き合っていただいたアニキの娘さんから届きました。呆然としながらも、苦しまずに済まれたという言葉を見つけ、お悔やみのメッセージをお返ししながらも、なぜか悲しいというより「お疲れさんでした!」という気持ちが先に湧きました。ご本人も、奥さんも、娘さんらも、できる限りのことをみんなみんなしてきはったんをようよう存じ上げてたからです。
あまりにも早すぎた。しかし、しっかり定められた命数を生きはった気がしました。
儂にとっては吉野さんもアニキも特別な人やった。けど、その死は特別なものやないのやというのが出来の悪い弟分にアニキが最後に教えてくれはったことでした。さればこそ。と、儂は思わいでおれません。愛情を示すには相手との距離感を測る必要がありますが、それが心嬉しいものなら貰う側は余計な遠慮せんほうがええ。そやないと不意のお別れがもっと
そうゆうたら吉野さんにも、いっつも云われてました。「世の中にはご馳走する愉しみってのもあるんだから。あなたが気を遣う人で、それがストレスなのは解るけど」
旨いものは宵に喰え……てな言葉がございます。美味しいもんは惜しんでる間ァに味が落ちてまうさかい、ちゃっちゃとよばれなはれという意味です。人間関係もおんなじ。がっつくのんはみっともないけど素直な厚意は素直に受け取るもんやな、と考えられるようになりました。爺婆ほど遠慮がない理由が判明したわ。
アニキの「お別れ会」の朝、いままでにいただいていた贈り物で献茶を点てつつ、厚顔無恥に頂戴しといてよかった! と心底思ったことです。聞けばアニキはアニキで儂のしょうもない〝おかえし〟を病床でも使って下さってたとのこと。ああ、嬉しい。有難い。儂ら乙な仲どしたな。アニキおおきに。