第一話 九年目の秋

新聞社を早期退職して阪急宝塚線のとある町に引っ越し、9年目になる。
この間に二人の親族を見送り、妻と離婚し
昭和の長屋で一人毎日の生活を送るようになった。
私は毎晩のように、立ち飲みで酒を飲んでいる。
そこにはいろいろな人生を抱えた男や、女も時に現れる。

たまにシマを変えたりしながら、観察していると人びとのことが気にかかる。
私と同じような孤独な悩みや、人生の苦難など尽きることは無いが、
なぜか人びとは酒を飲む。

そんな日常を徒然に綴っていると、編集子からなにか書いて見ないか
声を掛けてもらった。
皆んな孤独なのだが、酒場に集まる「孤」はバラバラなようで、誘蛾灯に
吸い寄せられた虫のように、方向性がある。
遠景でも近景でもない「中景」を書いて欲しいと言う。

英語でミドルグラウンドは、中立の意味もある。
人間は立って飲むのが、丁度いい。
居過ぎず、食べるのは適度で、酒が入ると無口な人もたまに饒舌になる。

普段知らない人と話さないような人物も、横で飲んで話している人に加わったり、
そこで知らない世の中の知識をもらったりすることもある。

いま私は、隣の市で、まちつくりのような仕事に、関わっている。
「居場所をつくる」いう言葉が聞かれるようになり、10年くらいだろうと思う。

なんでこのことが言われるようになったのか。中高年も、やや若い層も、
社会の中で、自分というものを見失いやすいことが背景にある。

家庭からも距離を置き、会社組織から離れた私は、夕方に行く立ち飲みや、
夜遅くに入る銭湯。それから対面で野菜や肉などを求める、市場などが
今の私にとり居場所なのかもしれない。
それから独り長屋に帰り、自炊して簡単な食事をつくる。

そんな日常で見かける風景は、あまり都会的でないのだが、北摂には、
千里ニュータウンのような高層住宅のところもあれば、下町風の大きな市場の
ある駅や、私が住んでいる中世や江戸期からの歴史の残った町もある。

阪急電車をつくった小林一三は、甲州韮崎から大阪にやってきて、最初は
銀行マンだった。明治の転勤族である。
転勤族だった男は、船場や島の内に住むより、自分で歩いて、新しい会社を
つくろうと、北摂のある場所に、居を構えた。
そこに本社と電車の車庫を作って、大阪から北摂に向かって走り出した。

私は、京都線と、神戸線、いずれも沿線に住んでみて、若い頃は今ひとつ
印象のなかった宝塚線沿線に最後は移った。
これが面白かったのである。

若い頃の、給料を稼いでいた頃は、背伸びもあり、神戸線沿いに住むことは
快感だった。
しかし阪神大震災で、住んでいた街が瓦礫となり、その後に建った新しい家に
住んではみたが、気に入らなかった。
今は大人気の地区である。

この北摂の面白さは、街道に沿って町が連なり、それと電車が並行している
ことかもしれない。
そして大阪国際空港と、新幹線新大阪駅、名神ハイウェイと、時代を代表する
大阪の玄関口は、戦後に北摂を必ず貫いた。

そんな町と沿線を俯瞰図のように書いてみたい。
それはうんと内省的な記事になることもあるだろうが、
ここが私の、中景なのであるから。

弘津 興太郎

新聞社を50歳で早期退職。私鉄沿線の路地裏長屋に棲み、立ち飲みと銭湯に通うのが日課。
好きなものはヤレたイタリア車。