地下1階をめぐる手すりは後年に改修されたが、基本的な空間構成は当時のまま。
天井も仕上げは取り替えられているが、角度を45度に振った菱形のパターンは踏襲されている。
開業当時から続く店舗も少なくなく、ニュータウンながらいい味を醸し出している。
この手すりからホームを眺めているのが何となく好き、という人は多いのではないだろうか。
初乗り80円という驚異の低価格は、予想を遙かに上回る万博時の運賃収入で、建設費の償還が大きく進んだからだという。
千里中央駅のある北大阪急行は、千里ニュータウンと大阪万博への乗客輸送を目的に、地下鉄御堂筋線と乗り入れるかたちで建設された。万博世代にはいうまでもないが、開業した万博の年1970年、線路は千里中央駅の手前で中国自動車道へとカーブを描き、万国博中央駅まで乗客を運んでいた。そのとき既に千里中央駅は完成していたものの電車は入って来ず、別に仮設千里中央駅が中国自動車道の上に設けられていた。万博へと至る「会場線」は、万博の終了と同時に閉鎖され、ようやく本設の千里中央駅が始動する。
千里中央駅の魅力は、何といってもその空間構成の面白さだ。暗く閉塞的になりがちなホームと、地下1階の商店街を吹抜でひとつにした。店舗を行き交う人々の賑わいと、電車の発着のリズムが一体となった不思議な空間。日本のどこにもこんな地下駅はないのではないだろうか。近代が思い描いた、立体都市のイメージだ。