第7回 どや建築

太陽の塔
現在もイベントが開催されるお祭り広場。
背中にタイルで描かれた顔は、過去を象徴する「黒い太陽」。
太陽の塔は大きく手を広げ、千里丘陵から大阪をずっと見下ろしている。何かを訴えようとしているようにもみえるし、大阪を何かから守ろうとしているようにもみえる。
【あたまの顔】
太陽の塔には4つの顔がある。頂部にある顔は未来を象徴する「黄金の顔」。ふたつの目は万博期間中サーチライトのように光を放った。2010年の40周年を記念して、現在はLEDによって再現されている。
【お腹の顔】
胴体正面の大きな顔は現在を象徴する「太陽の顔」。南からの太陽が生みだす濃い陰影が造形を際立たせ、観る者に強烈な印象を与える。
【塔の右腕】
腕の長さは約25m。右腕の内部にはかつてエスカレーターが内蔵されていて、来館者は太陽の塔の内部を通って、大屋根に設けられた展示を巡るルートになっていた。
かつてお祭り広場を覆っていた大屋根の構造の一部が、オブジェとして現在も広場に展示されている。屋根全体は292m×108mの大きさで、丹下健三によって設計された巨大なトラス構造は「スペースフレーム」と呼ばれる。地上に組んだ屋根を一気に空中に持ち上げるリフトアップ工事は、万博開幕前のもうひとつの大イベントだった。
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■太陽の塔
建設年:1970年
所在地:大阪府吹田市千里万博公園
設計者(作者):岡本太郎
構造:鉄骨鉄筋コンクリート造、鉄筋コンクリート造他

 太陽の塔を大阪の「どや」認定することに異論はないと思うが、これは建築なのか?と思う人はいるかもしれない。いうまでもなく太陽の塔は芸術家・岡本太郎の代表作だが、当時万博に足を運んだ方なら覚えているだろう、太陽の塔は内部に展示空間をもつ、他のパビリオンと一緒に建設された、ひとつの建築物でもあった。
 万博開催時、この場所には会場全体の中心であるお祭り広場が設けられ、中央にそびえる太陽の塔は、世紀の祝祭のまさに象徴だった。広場の上空には当時の日本を代表する建築家・丹下健三による大屋根が架けられたが、太陽の塔はその屋根を突き破るようにして立ち、科学と技術の進歩を高らかにうたいあげた100を超えるパビリオン群のなか、象徴である太陽の塔だけが、全く異質な姿で強力な「何か」を発し続けた。
 大阪の勢いがピークに達した万博から半世紀が目の前に近づく今、周囲のパビリオンや大屋根は姿を消して、万博会場は緑豊かな公園に育ち、太陽の塔だけが残された。太陽の塔は今もなお、両手を大きく広げ、虚空に向かって「どやっ」を叫び続けている。
 なお、太陽の塔は耐震補強工事を経て、「生命の樹」のある内部空間が常時公開されることが決定した。