中央公会堂の建築設計では、近代社会に相応しく、現在でいうところのコンペによって設計案が選ばれた。13名の建築家から応募があったが、応募者自らが審査に加わる互選式という珍しい方法によって審査が行われ、その結果、著名な建築家達を押しのけ当時29歳の若き建築家、岡田信一郎の案が選ばれた。しかしそこには当時の日本の建築界を主導していた建築家、辰野金吾の大きな力が働いていた。辰野はこの事業に建築顧問という形で参画し、コンペ方式を提案、互選の審査にも加わっている。そして選ばれた岡田信一郎は東京帝国大学を卒業してまだ間もない、辰野金吾の教え子だった。更に選ばれた岡田案はそのまま建設されるのではなく、辰野金吾の意向に従い変更が加えられ、大阪に設立した辰野の設計事務所によって実施設計が行われた。ことの成り行きは、辰野の思い通りに進んだといっていいだろう。結果的には、中央公会堂完成の翌年に亡くなる辰野金吾にとって、東京駅と並ぶ赤レンガの代表作に位置付けられる建築となった。何だかドラマのような話だ。
完成した中央公会堂のデザインは、一般にネオ・ルネサンス様式と説明されるが、そこには辰野が好んで用いたデザインスタイル、「辰野式」と呼ばれた特徴がよく現れている。赤レンガの壁に白い御影石で水平の帯を回し、窓まわりをクラシカルに装飾、屋根には大小のドームや屋根窓が華やかに配されている。辰野式の事例としては、他に京都文化博物館(旧日本銀行京都支店)や、規模は小さいが中央公会堂にほど近い、オペラ・ドメーヌ高麗橋(旧大阪教育生命保険)などがある。
内部もクラシックなネオ・ルネサンスを基調としながら、装飾を幾何学的に簡略化したモダンなゼツェッション様式や、さらには和風の意匠も組み込まれている。例えば大集会室の巨大な天井が日本建築にみられる折り上げ天井になっていたり、中集会室には干支の動物をかたどった透かし彫りの装飾があったり。最も有名なのは、特別室に描かれた日本神話を題材にした天井画と壁画だろう。