第2回 東北の関西人(後編)

10代前半の東北暮らしで大阪・関西人色がすっかり漂白された私は、だからと言って東北人になれるわけもないまま、今度は青函連絡船で津軽海峡を渡り、函館の地で高校3年間を過ごした。そして、連絡船が廃止されるのと同時に、あにはからんや関西へ舞い戻ることになる。中高を通じてあれほど焦がれた東京へ進学しなかったのは、単に第一志望校に落ち、なんとなく受けていた京都の大学へ行くしかなかったからである。大学を出ると神戸に本社のある新聞社に入り、そこを辞めた今も相変わらず神戸にいる。今年で23年になる。

いずれも、たまたま入った学校や会社があったという以上の理由はない。何かたいそうなことのように経歴を書いてきたが、世の大半の人がそんなものであろうし、転勤族など珍しくもない。昨今やかましい「グローバル人材」的見地からは、こんなスケールの小さな移動など笑止であろう。私とて、故郷がないことに特段の不便や不満を感じていたわけではない。

神戸に長く住むことになったのは、駆け出し記者だった1995年に阪神・淡路の震災に遭遇したからだろうな、と今では思う。災害という忌まわしい出来事は、ある人たちにとっては土地を捨てるきっかけになるが、他方では、土地との結びつきを強めるものなのである。私は後者の組であった(実は震災前、東京の会社へ移ろうと何度か画策したが、諸々あって叶わなかった。結局、東京とは縁がなかったのだろう)。

震災体験に加え、地方紙記者という仕事柄、それに加齢もあって、無意識に「地元」を求めたのだろうか、今や私は「神戸市灘区水道筋の人間である」と、たぶん周囲から見ればうるさいぐらい言うようになった。神戸の山手と浜手の文化がほどよく混じり合って中和され、市場や商店街が残り、人びとはフレンドリーだが適度な距離感もある摩耶山麓の街が、私にはとても居心地が良い。
    
こうして、ようやく「地元」らしきものを見つけて安住していた2011年3月11日、東日本大震災が起こった。取材に行くまでの経緯ともやもやした逡巡は、西岡研介氏との共著『ふたつの震災』に書いたので繰り返さない。ともかく、中学を出て以来、足を向けたことがなかった東北と、私は四半世紀ぶりに再会することになった。

あれからまもなく4年になる。

●三陸で実感する人と食の豊かさ

神戸と東北の三陸沿岸部を行き来するようになってつくづく感じたのが、かの地の人びとの人の良さと食卓の豊かさである。

2012年夏、大船渡のとある社長宅での宴会の食卓といっても、「純朴で粘り強い田舎の人びと」みたいな都市の人間が勝手に描く「人の良さ」とは違うし、「築地で買えばウン万円」みたいな高級食材が並ぶ「食卓の豊かさ」ではない。では、どういうことか。先の本で紹介した岩手県陸前高田市の人の言葉がよく物語っている。

「高田は昔から豊かだと言われるんだけど、金銭的な豊かさでなくて、食うに困らない豊かさなんで。何でもあるし、狭い町なんで、どこからか物が回ってくる。サンマ買うったって、外に送るときしか買わないもんね」

初めて陸前高田に行った日に聞いた言葉だが、その意味するところを私と西岡さんは取材を続けるうちに理解していく。早い話が、やたらとメシを食わせてくれるのである。この話を聞いた取材も、取材というより、Oさんというお宅に上がり込んでの宴会であった。

〈人間の社会性とは、「食を公開する」ことにあります。だから、どの民族も食事は気前よく振る舞うものであって、独り占めはしません。他者と分かち合い、譲り合い、一緒に食べます。食をけちる者は卑しい者と見なされます〉

これはゴリラの研究で知られる山極寿一・京大総長の(ツイッターで流れてくるbotの)言葉だ。私がかつて編集に携わった山極先生の本には、「共食」こそ他の動物にはない人間だけの食文化だという話もあった。そんなことをしみじみ思わせる人と食の豊かさが、大津波に侵された三陸沿岸部には残っていた。

2012年冬、淡路島へ来たカンコちゃん。淡路牛のステーキ丼を豪快に食うそれを実感できたのは、私たちが陸前高田で出会い、ずっと世話になっている佐々木一義さん(61)、通称カンコちゃんのおかげだ。この人にくっついて行くと、みんなに歓迎され、「いいがら家さ上がってメシでも食ってけ」となる。津波で家も職場も流され、奥さんを喪ったカンコちゃんを案じてのことかもしれないが、彼の気の置けない人柄や気持ちのいい食べっぷり、そして招く側の「気仙衆(岩手県南部から宮城県北部)」気質がそうさせるのだろう。

私たちは、彼の同級生であるOさんはじめ、さまざまな友人知人宅にお邪魔しては、刺身や鍋や焼肉や煮物やそばや素麺や酒や果物まで、さんざんご馳走になった。カンコちゃんは、私たちに「食え食え」と勧めながら、それ以上に自分がわしわし食う。甘い物も大好物で、特にあんこに目がない。そのくせ「ちょっと痩せねば」とか言ってダイエットを始めては、やれ100キロを切ったの、また超えたのと一喜一憂している。

私たちが神戸に帰っても、季節ごといろんな食材を送ってくれる。サンマ、牡蠣、イクラ、毛ガニ、わかめ。すごくありがたいけれど、「わしらは業者か!」というぐらいどっさり届くので、小分けしてせっせと近所に配り歩くことになる。西岡さんなどは「サンマの行商でも始めたんか?」と友人に心配されたらしい。

ご馳走になってばかりいられないので、こちらも神戸から土産を持って行ったり、何くれと送ったりするのだが、質量ともに到底かなわない。地力が違うというのか、気仙の豊かさに圧倒されっぱなしなのだ。まあカンコちゃんはちょっと特別だとしても、三陸沿岸部を行き来していると、こうして食の豊かさに感心することしばしばなのである。さすが「世界三大漁場」だけある。

●東北と関西はお互いをまだ知らない

とはいえ、関西から東北はやはり遠い。三陸の食材にお目にかかる機会などそうはない。輸送距離、流通コスト、食文化の違い。理由はいろいろあるだろう。原発事故の風評被害だって、まだあるのかもしれない。これは私の印象だけど、食材自体の良さを知ってはいても、どうやって食べるか、それを使ったどんな料理があるか、どんな酒と合うのかといったことがわからないから、なかなか手が出ないという人も多い気がする。

2月の初め、宮城県庁が関西メディア向けに「食材王国みやぎ」をPRする取材ツアーに参加した際、県庁の人たちがこんなことを言っていた。

「大阪や関西の方々はすごくお話が上手ですから、われわれはどうも気後れしてしまって、イベント出店や商談会でも、なかなかうまく伝えられなくて」

わかる。表現こそマイルドだけど、私が子供の頃、仙台から大阪を見て「なんちゅうガラの悪い、怖いところや」と思っていたのと同じだ。30数年経っても、東北人と関西人が互いに抱くイメージや距離感はあまり変わらないのかもしれない。「絆」だの「つながろう」だのと叫んでみても空しいばかりで、われわれはたぶん、まだまだお互いを知らない。

東日本大震災から4年となるこの3月11日を挟んで、関西でいくつか東北の物産展が開かれる(末尾に開催情報)。一度のぞいてみてほしい。そこで東北の食と出会い、興味を持ったら、ぜひ現地へ行ってほしいと思う。なんだかんだ言っても、地元の食材は地元の酒や空気や人や言葉と一緒に味わうのがいちばんうまいに決まってるのだ。

私が東北通いの中で出会った食べ物のことを書いていくこの連載も、その一助になればうれしい。東北に縁ある中年フリーライターにできることと言えば、それぐらいしかないから。

◇◇◇

東北との縁といえば、先の宮城取材ツアーでこんなことがあった。

宿泊先の石巻市で夜、一人で街をぶらつき、たまたま目に付いた居酒屋に入った。カウンターにいた若い客となんとなく話していたら、青森の放送局に勤めるアナウンサーだという。休みを利用してボランティアに来た、と。でも出身は淡路島で、大阪の大学を出たらしい。自分は神戸から来たが、実は青森に住んでいたことがあって……と懐かしく友達の話をしていると、「それTさんでしょ!」と彼が突然言う。

なんでわかるのかと驚いて聞くと、出身中学と人物像でピンときた、と。彼が最も世話になり、尊敬する上司なんだという。すぐに電話を取り次いでくれて、私は中学卒業以来30年ぶりにT君としゃべった。「そんな偶然あんのな?」と向こうも驚いていた。そりゃそうだ。

T君がちょっと気になることを言った。「おめえとはすげ仲よかったけど、いつかは大阪に帰るやつって思ってたな」。そうか。自分では大阪色をロンダリングしたつもりだったけど、そんなふうに映ってたか。でも、その通りになったな。

翌朝、朝食で向かいに座った宮城県庁の人に前夜の出来事を話すと、「へえ、そんなことあるんですね」と感心された。ツアーが終わり、参考までにと私たちの本を渡して帰ると、その彼から翌日連絡があった。

「本を読んでびっくりしました。私が高校大学を通じて一番仲良くしてもらった先輩が出てきたので……」

私たちが被災地取材を始める時に尽力してくれた医師のことだった。私の親友だったミュージシャン、マンボ松本くんの弟で、マンボがつないでくれたのである。マンボは京都の大学で私が最初に出会った友人だが、どういう偶然か仙台出身で、父親同士が同じ職場にいたことがわかった。震災の年に突然亡くなったが、今でもこういう縁をくれる。

若い頃、何も考えずに打ってきた人生の布石を、おっさんになって一気に回収しているような不思議な感覚がある。縁があるというのは、こういうことを言うんだろうな、と。

そういうわけで、私の東北通いはもうしばらく続きそうだ。

※関西で開催予定の東北関連物産展
大東北展(3月4日~9日)大阪高島屋▽宮城県の物産と観光展(3月10~16日)西武高槻店▽大東北展(3月11日~16日)京都高島屋▽食材王国みやぎフェア(3月18~19日)あべのキューズモール▽風評被害をぶっとばせ!一生犬鳴!TOHOKU食フェア(3月21~22日)いこらモール泉佐野▽東北六県の物産展(4月8日~14日)そごう神戸店

松本創(まつもと・はじむ)

1970年生まれ。神戸新聞記者を経て、フリーランスのライター/編集者。関西を拠点に、政治・行政、都市や文化などをテーマに取材し、人物ルポやインタビュー、コラムなどを執筆している。
著書に『ふたつの震災 [1・17]の神戸から[3・11]の東北へ』(西岡研介との共著/講談社)。その続編を『現代ビジネス』で随時連載(→こちら