第6回 食卓の上の毛ガニと灘酒の出会い

3月の下旬、毛ガニが届いた。例によってカンコちゃんからである。毎年この時季、岩手県の漁期が終わりに近づいた頃、大船渡は越喜来産を送ってくれる。ありがたい。箱を開けたら、朝礼の小学生みたいに5匹きれいに整列していた。もちろんまだ生きていて、のっそりはさみや足を動かしている。「届きました」と取り急ぎお礼メールを送ると、すぐ電話がかかってきた。「茹で方覚えてだ?」と。「あ、忘れました。ネットで調べ……」と言いかけるのにかぶせて、電話お料理教室が始まる。

「鍋に甲羅がかぶるぐらいの水入れて、塩入れて。塩分は3%。海水とおんなじぐらいだ。だいたいでいいがら。カニ入れたら落としぶたして。お湯が煮立ったら、そっから15分。それで食え。何も付けねぐていい。それがいちばんうめえがら。あと、うどん屋さんにも送っといたから茹で方教えといて」

と、言いたいことを言うと切れた。カンコちゃんが神戸に来ると、うどんすき宴会をする水道筋の「な也」にも送ったらしい。あの店のうどんが彼は大のお気に入りで、いつもたらふく食って帰るから、その礼だろう。律儀な人だ。

その晩、言われたとおりに茹で、2匹食べた。ほんわりと甘く柔らかい毛ガニは、茹でたてだとさらに甘みが増す気がする。甲羅を外すと身がぎっちり詰まっていて、コクの深いみそがたっぷり。松葉ガニやタラバガニに比べると小ぶりではあるが、みそのうまさは毛ガニが最高と言われているらしい(カニなんかそうそう食えないから、比べるほど味の記憶はないけど)。

これを書くために調べていて知ったのだが、三陸の毛ガニと言えば、もう少し北へ行った宮古市が有名だそうだ。なにしろ、漁が最盛期を迎える2月には「宮古毛ガニまつり」が開かれる。震災後も中止されず、今年で13回目。体験セリ市、毛ガニ大鍋振るまい、輪投げで毛ガニゲット……などに混じって、「ちゃぶ台返し世界大会in宮古予選」というナゾの催しもあった(大声で叫びながらちゃぶ台をひっくり返し、卓上の食器が宙を舞う美しさやサンマのおもちゃの飛距離を競うそうです)。冬には日本海行きの「かにカニ日帰りエクスプレス」が走るぐらいカニ好きな関西人には、2月の宮古をぜひお勧めしたい。

そういえば宮古の居酒屋で、あれは4月下旬だったが、つきだしに毛ガニが出てきて感激したことがある。西岡さんが貪り食っていた。「漁は3月いっぱいだけど、茹でてちゃんと保存しとけば4月でもいけるよ」と、カンコちゃんの手配で毛ガニを送ってくれたK商店さん。今年は不漁で、ちょっと値が張ったそうだ。いつもほんとにすみません。

●灘の酒処に三陸の恵みを持ち込む

で、残る3匹の毛ガニの行方だが、妙案を思いついた。水道筋のなじみの居酒屋へ持ち込んで食べ方を考案してもらおう。客にもふるまってもらえれば、三陸の毛ガニが神戸の人の口にも入るではないか。

店はすぐ決まった。水道筋ゴールデン横丁(と、われわれが勝手に呼んでいる)の「よしみ亭」。看板に「灘の酒処 きらず・豆富料理」と謳う。きらずとは、おからのこと。関東では、おからは「空」に通じるからと卯の花と言い換えられるが、上方落語では「豆腐は切るが、おからは切らずに食べる」という洒落で、かつてこう呼んだという。どちらも縁起担ぎの粋言葉である(豆富もですね)。

ギタリストで落語ファンでもある店主の田代さん。ライブや落語会もやってます店主の田代吉美さんは生まれも育ちも東京の吉祥寺。サラリーマン時代に大阪にいた時、灘の酒に惚れ込み、水道筋の日替わり店で週2回の営業を経て、ゴールデン横丁に店を開いたという経歴の人。「よき時代の吉祥寺の面影が水道筋にはある」と嬉しいことを言ってくれる。しかも以前の仕事は水産関係の業界紙だから、東北の漁業も、海産物の扱いもよくご存知だ。さらには、津軽が生んだ「言葉の錬金術師」寺山修司の熱烈なマニアであり、公認サイトまで運営している。東北と神戸・水道筋をつなぐのに、これほど適した人はそういない。

毛ガニを持ち込むと、「カニは店で扱ったことないんですけど」と言いながらも快く引き受けてくれ、「おー生きてますねえ」と3匹をカウンターに這わせて楽しんでいた。なんてよい人だ。そんなわけで、灘酒と三陸毛ガニの、ウイスキーで言うところのマリアージュに期待を膨らませ、私は翌日あらためて店を訪ねたのである。

酒はまず、田代さんの見立てで明石の「来楽」。ふくよかに香り、しっかりとした旨味を持つ純米酒を店主お得意の上燗(45度)につけてもらう。来楽は茨木酒造という蔵で、若い蔵元杜氏が一人で醸している。ちなみに、灘酒といえば西宮から東神戸までの灘五郷が一般的に想起されるが、明石にも明治の頃まで60軒もの蔵があり、「西灘」と呼ばれていたそうだ。

●おからの餅と湯葉巻きときらずまめし

おからと毛ガニの餅、棒身載せさて、1品目の料理の登場である。「おからで作ったお餅です。ほぐしたカニを混ぜ込んで、これで焼きました」と手に掲げるは太鼓焼き饅頭の鉄板。なるほど。餅の上には棒身が載り、周りにはカニみそと思しきソース。「カニみそとオリーブオイルで作ってみました。結構いけますよ」。へえ、これは贅沢。餅の香ばしさに、カニの風味とみそのほのかな苦味。とりわけソースは、これだけで酒のアテに十分なる。

2品目は、「おからにカニを混ぜて湯葉で巻きました」。ははあ、カニ×湯葉ときたか。淡白ながら香りと旨味が凝縮された食材を二つ合わせるというアイデア。懐石料理の一品かというぐらい上品な味わいである。

そして3品目。「毛ガニのきらずまめしです」。おお、これぞよしみ亭の定番。甘酢で味つけしたおからを、通常はサバのきずしやマグロやカツオの漬けにまぶして食べるのだが、この日限りの特別バージョンでカニ身がたっぷり。おからの優しい酸味と食感、毛ガニの甘みが合わさって、もはや寿司を食ってる気分である。

湯葉巻き(手前)と毛ガニのきらずまめし酒は来楽の燗をサクサクと2本空け、泉酒造は「仙介」のよく冷えた特別純米おりがらみに移行。私がここ数年愛飲している御影郷の蔵元で、もう一つの銘柄「琥泉(こせん)」が最近、東京でブレイクしているそうだ。それから、福島県二本松市の「大七」純米生酛も行っといた。よしみ亭が常時ラインナップしている東北の名高い美酒である。

三陸の食材と東京人の料理と灘の酒。しみじみええ気分でマリアージュを堪能していたら、「最後はお約束のあれ、行っときますか」と田代さん。締めはやはり熱燗に戻して甲羅酒。濃厚な毛ガニのみそを余すところなく味わい尽くした。

「カニって、東京にいる頃はあんまり食べた記憶がないんですよ。産地があまり近くにないし、関東圏の食文化には関西ほど浸透してないんじゃないかなあ。でも、どうやって料理しようか考えるのは楽しくて、勉強になりました。毛ガニをくれた方にも感謝です」

そんな言葉に送られて店を出ると、ゴールデン横丁に灯る「大八」の赤ちょうちん。阪神ファンが集う居酒屋である。気を良くして〈大七飲んで店出たら大八の提灯。なんかいいことありますか〉とツイッターにつぶやいたら、〈第九でも歌いながら早よ帰ってください〉と即座にリプライが付いた。いつもうまいこと言うたろうとチャンスを虎視眈々と狙っている尼崎の男だった。

遠く離れたいろんな町のいろんなものが出会ってゆく食卓は、かくも楽しい。

※ここで紹介した料理は、よしみ亭の通常メニューにはありませんので、念のため。

松本創(まつもと・はじむ)

1970年生まれ。神戸新聞記者を経て、フリーランスのライター/編集者。関西を拠点に、政治・行政、都市や文化などをテーマに取材し、人物ルポやインタビュー、コラムなどを執筆している。
著書に『ふたつの震災 [1・17]の神戸から[3・11]の東北へ』(西岡研介との共著/講談社)。その続編を『現代ビジネス』で随時連載(→こちら