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<title>街と書店、大阪の場合 | 140B</title>
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<pubDate>Mon, 19 Apr 2021 09:21:34 +0900</pubDate>
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<title>「本屋も読書も、もっと可能性がある」バトンパスは続く。</title>
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<pubDate>Mon, 31 May 2021 00:00:01 +0900</pubDate>
<description><![CDATA[　今回は地下鉄「今福鶴見」駅から３分、バス停からは３秒（！）という幹線道路沿いにある180坪の［正和堂書店］にお邪魔した。「近くの本屋さんで時間をつぶす」という行為が街の「日常」から遠ざかりつつある中で、正和堂書店は忘れかけていた「通り沿いの本屋にふらりと入って、いろんな本を探して過ごす」という楽しさを思い出させてくれる場所だ。。
　書棚は高からず低からず。見通しが良くて通路が広く、ベビーカーでも車いすでも店内を回りやすい。ゆっくりできていい感じである。「主人は専攻が建築でしたので、建物も店内も“俺がやる”と言って自分で考えたんですよ」。創業社長･宮西正典さんの妻、弘子さんが語る。　ご夫婦２人とも播州龍野（兵庫県たつの市）の出身。弘子さんは生後10か月の時に親戚だった宮西家の養女となり、大阪へやって来た。龍野の実家にいる母たちは、近所に住んでいた弘子さんの４つ上の正典さんに、「あなたは大きくなったら大阪に出て、弘子の面倒を見てほしい」とずっと頼んでいたらしい。正典さんは卒業後、駅長をしていた父親にならって国鉄（現･JR西日本）に就職したが、「いつか商売をしてみたい」という夢を抱いていた。それで、弘子さんとの結婚を機に国鉄を退職し、大阪に出てくる。昭和33年（1958）のことである。
　鶴見の宮西家は、戦後まもない頃から製パン店を経営していた。現在の場所から少し東の、願正寺の近くで開業し、やがて当地へ。宮西家の婿となり、社交的で事業意欲が強かった正典さんにとっては、大組織の国鉄よりも、努力すれば事業を大きくできる町のパン屋さんに、大きな可能性を見出していたことだろう。「主人は製パン会社の二代目の方たちと、しょっちゅう会合を開いていました。みんなで盛り上げていこうということが好きでしたね」（弘子さん）
　第二次大戦前に300万人を超えていた大阪市の人口は、1945年の敗戦で半分以下にまで減少したが、1960年には再び300万人を突破する。パンの需要も右肩上がりで増え、やがて学校給食のパンも手がけるようになった。従業員も20人を超えていたが、膨れ上がる需要に対応するには、機械化しないとどうにも立ち行かなくなる。しかし、経営者である宮西家の養父母は、それには反対だった。
「戦争で満州に出征していた養父は、こちらに戻ってからパン屋をはじめて、移動販売の『ロバのパン屋』を大阪で立ち上げたんです。人気があったんですけど、道路の交通量が増えて、ロバが道で暴れだしたりしたのでやめてしまいました。ロバは天王寺動物園が引き取ってくれたんです。養父はもう歳だったし、機械化してまでパン屋を続けようとは思わなかったのでしょうね」（弘子さん）
　まだ30代だった正典さんと弘子さんは、パン屋さんを大きくすることは諦めて、「夫婦二人で出来る」商売を考える。それが書店だった。昭和45年（1970）、大阪万博の年に正和堂書店はオープンするが、当初は店のスペースを半分に割り、本屋とお菓子屋さんの半々で営業していた。近くには椿本チエインの本社社屋兼工場（現･イオンモール鶴見緑地）や、浪速いすゞモーターの本社兼整備工場（現･コープおおさか病院）もあって、休憩時間や仕事帰りに社員がよく来店した。男性客のほうが圧倒的に多かった時代である。
　この後、1996年をピークに日本の出版販売業は低下の一途をたどる。ネット書店の利用は増えたが、街の書店の売上が移っただけで、全体の底上げにはほど遠い。　正和堂書店にとっては、2000年を前後して近くにあった前述の２つの会社が移転してしまい、通ってくれていたお客さんたちが離れてしまった。一時期、支店も２つ出店していたが、それも閉店せざるを得ず、現在は本店のみが営業している。
　けれど、梅田や難波などの都心でもない場所に、駅からすぐの幹線道路沿いで遅くまで開いている180坪の書店というのは、もはや「貴重」を通り越して凄い。正典さん･弘子さん夫妻だけでなく、長男の和典さん、長女の小西典子さんなど宮西ファミリー主体のフレンドリーな接客には新たなリピーターが付いている。模試や英検の申込みをする学生や、夜遅くに他府県から仕事帰りにクルマで寄るレストランの店主などもそうだし、ご近所の常連客の中には、2008年に『乳と卵』で芥川賞を受賞した川上未映子がいる。2016年に渡辺淳一文学賞を受賞した『あこがれ』の発売時には、「正和堂さんで本を買って読んで大きくなりました。」と手描きPOPを寄せている。
　2017年には、典子さんの長男･小西康裕さんがインスタグラムで、本を毎日２〜３冊紹介する投稿をスタートさせた。まず本を知ってもらう「きっかけ」づくり。ジャンルは小説、エッセイ、社会評論、ビジネス書、料理本、自己啓発……と多岐にわたっている。「最初は自分が気になったものをアップしていたのですが、いまは見てくださっている方に寄り添うことを重要視して選書しています。これまでの投稿で反応が良かった本に近いテーマを中心に紹介していますが、それ以外にも離婚家庭・同性カップル・非配偶者間人工授精（AID）など、ベストセラーにはならなくても大切だと思えるようなテーマにも触れるように心がけています」（康裕さん）　康裕さんは実は印刷会社の社員で、家業の書店は「手伝い」になるが、現場をサポートするためにスタートしたところ、大きな反響があった。しかしなかなか来店にはつながらない。お客さんをここまで呼びたい……
　京都の芸術系大学で版画を専攻した康裕さんは、新しい試みとしてオリジナルのブックカバーを作成し、定期的にインスタにアップした。ブックカバーは正和堂書店にまで行かずとも、ネット通販でも手に入る。同じ作品でも電子書籍の端末で読むのと、リアルな文庫本にこのカバーを掛けて読むのとでは気分がぜんぜん違う。ブックカバー目的のお客さんは、旅行がたやすくできていたコロナ以前は北海道や沖縄、バリ島からも来店した。インスタのフォロワーは、この5月25日現在、86,000人にまで達している。
　けれど康裕さんの、というより正和堂書店のおもしろいところは、ここからである。これらのオリジナルブックカバーを「よかったらそちらのお店でも使ってください。希望の枚数を印刷して差し上げます」と呼びかけたのである。著作権料は取らないし、その印刷代も希望した書店に負担してもらうのではなく、「正和堂書店オリジナルブックカバーのファン」にクラウドファンディングで集めた。結果、この５月上旬に目標金額を早々と達成し、康裕さんはいま、寄付してくれた人に対するお返しのグッズ制作で忙しい毎日を送っている。
「ふだんは印刷会社で販促物などを作っていて、マーケティング寄りの立場にいるので、引いたところから本屋を見られたのがよかったのかもしれませんね。でもいちばん大事なことは、読書の現場が活性化されること。そんな機会を増やすことだと思っています」（康裕さん）　このブックカバーをきっかけに、正和堂書店は女性客の割合が増えたそうだが、康裕さんは引き続き「読書好き」を増やす手をいろいろ考えているようで、それは別の機会にご紹介したい。肝心なのは「全体の底上げ」「常に読者から考える」という視点で「オープンソース」を貫いているスタンスだろう。人はビジネスでなにか成功事例を得ると、ついそれを「企業秘密」にし、その権利を「できるだけ高く売って利益を得る」ことに意識がいってしまいがちだが、その道を選ばなかった。
　そういえばダルビッシュ有（サンディエゴ･パドレス）も変化球の投げ方をWEBで公開し、それを見た現役大リーガーなど多くの関係者や野球ファンも含めて、双方向のコミュニケーションが活発になっていると聞く。康裕さんも「この業界がおもしろくなるように」というモチベーションで動いている。そのあたりは60年前から、「業界全体が盛り上がるように」とパン屋さんの仲間を集め、書店に商売替えしてからも同業者や出版営業マンの面倒を見ていた正典さんとは、「リアル」と「インターネット」の違いこそあれ、同じ匂いが感じられる。康裕さんもダルビッシュと同じ、1986年生まれだ。
　帰り際に弘子さんが教えてくれた。「主人（正典さん）は若い頃、陸上の短距離の選手で、地域の運動会などに駆り出された時は、それはスゴかったんですよ」。リレーで下位になっても、最終走者の正典さんにバトンが渡るや、ものすごいスピードでごぼう抜きして最後は常に１位でゴールテープを切っていたという。「み〜んな驚いていましたね。あの時は細かったんです。いまでは想像もつきませんけど（笑）」。半世紀を超える正和堂書店のリレーでは、正典さんは決して「アンカー」ではない。典子さんの世代、康裕さんの世代へと次々にバトンが渡されている。　しかし、もし半世紀以上前に宮西家の先代がパンの機械化を進めて、そのままパン屋さんが続いていたら……このフレンドリーな書店も素敵なブックカバーも、全国から集まってくる読者も生まれていなかったことになる。そう考えると、日本の出版界は、とてもラッキーだったのではないだろうか。]]></description>
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<title>「おもしろがってもらえる本屋さん」を目指す独立系書店の新星</title>
<link>https://140b.jp/shoten/article/p3</link>
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<pubDate>Tue, 11 May 2021 00:00:01 +0900</pubDate>
<description><![CDATA[
　地下鉄御堂筋線本町駅から中央大通に出て丼池（どぶいけ）筋を少し南に下った雑居ビルの1階に[toi books]の看板が出ている。少し登り口が窮屈な階段を2階にあがり奥を覗くと小さな本屋の扉が開いていた。
　5坪の部屋には新刊と古書がだいたい7：3ぐらいで並ぶ。セレクト系のいわゆる非取次の独立系書店である。店主の磯上（いそがみ）竜也さんに挨拶もそこそこに先ず聞きたかったことを投げかけてみた。「心斎橋という場所は意識したんですか」と。

　2011年から約7年間、閉店（2018年9月）の時まで書店［心斎橋アセンス］のスタッフとして勤めていた磯上さんにとって、心斎橋からもほど近い本町で本屋を開くことは自身にとってもお店にとっても「何か」を継承する意図があったのかを知りたかった。しかし磯上さんの口からは「特に意識したというわけではありません。そもそも、アセンスを退職した時には自分で本屋をするという考えすらなかったんです」と思いがけない答えが返ってきた。

　書店の経営が簡単なものではないということは、書店に勤めている間に嫌というほど感じてきた。退職することとなったこの機会に、このまま書店業界に残るのか、それとも離れて別の道を探るのか。骨休めをかねて少し時間をとって考えようと思っていたという磯上さん。　そんな折に、大阪の老舗書店［天牛堺書店］（2019年1月閉店）の倒産、同じく心斎橋エリアにあったBOOK&CAFÉの先駆けの［スタンダードブックストア心斎橋］（2019年4月閉店、のちに天王寺区堀越町に2020年夏移転）の退店の話が伝わってきた。これほど立て続けに暗いニュースが続くのか、とただただ悲しい気持ちになったという。そしてこの状況で「何か自分に出来ることはないだろうか？　今自分が出来ることで一番面白がってもらえそうことは何だろうか」と考えたとき、自分で本屋を始めることに思い至ったそうだ。
　神戸の新古書店［1003-センサン-］の奥村千織さん、同じく灘の［古本屋ワールドエンズ・ガーデン］の小沢悠介さん、大和郡山の［とほん］の砂川昌広さん、大阪の［LVDB BOOKS］の上林（かんばやし）翼さんらと知り合う機会があり、独立系書店の先輩たちに相談できる環境があったこと。たまたま「百書店大賞」に無店舗の個人として参加するために作っていた店名がすでにあったことも背中を押してくれたという。
　磯上さんは「不安でいっぱいでしたよ、全然自信はないし。棚は作れても店舗運営の全てをやっていたわけではないですから。ただ個人書店の方たちやお世話になっていた作家の方たちに話を聞いてもらえたりしたことが大きな支えになりました」と少し照れくさそうに話す。2019年2月から準備を始め、幸いすぐに店舗物件を見つけることができた。「第一条件は無理のない、身の丈に合った物件でした。イベント開催も考えていたので、お客さんにとっての利便性の良い場所がいいなとも思っていたから、この物件は最適だと思いました」
　約2ヶ月という短い準備期間を経て、2019年4月17日に［toi books］はオープンを迎える。開店前からSNSでも話題となり、開店後もメディアでの紹介などもあって想定していたよりも順調な滑り出しだったという。近くには堺筋本町に［紀伊國屋書店本町店］という大きなお店はあるが、その昔心斎橋筋本町から戎橋まで約1.4㎞の間にあった多くの書店はその姿を消している。書店空白地域のひとつでもあったのかもしれない。トークイベント等も積極的に開催しているうちに、少しずつ常連さんもついてきたという。取材当日も定期的にいらっしゃるという京都の写真家さんが来店中だった。
　2020年1月に東京の二子玉川で開催された「本屋博」に出展した際には、関東圏以外からの参加が多くなかったこともあり注目を集めたそうだ。そうして少しずつ軌道に乗っていけるかもしれないと思った矢先、徐々にコロナ感染が広がりオープン1周年の準備中の4月7日には緊急事態宣言が発令される。「お店は宣言の少し前に自主的に臨時休業しました。まだ情報も多くはなく、お客さんの安全を確保できないかもしれないという中での苦渋の決断でしたね」
　オープン2年目はオンラインショップの立ち上げやイベントもオンラインへ移行したりなど試行錯誤の連続だった。1回目の緊急事態宣が明けてからもコロナの感染状況に相関するように来店客数や売上も増減を繰り返し、見通しの立たない状況が続いているようで、「実店舗」を持つことの重みを2年目のコロナ禍でも日々感じているそうだ。
　「正直、今はジリ貧です。けれど萎縮していても仕方がないので、オンラインショップの整備やオンラインイベントの継続はもちろん、出来ることは何でも試してみたい」と一瞬顔を曇らせながらも強い言葉が飛び出してきた。「今は100冊仕入というものをやっています。小さい店ではあまりたくさんの書籍をおくことは出来ない、だからこそ明確に『推し』の本を見せることで、伝わるものがあると思っています。他に著者さんに依頼して［toi books］限定の購入特典を作ったりもしています。イベント開催もそうですが、多角的にその本を手に取るきっかけ作りをしていきたいです」と。そのひとつである『ぬいぐるみとしゃべるひとはやさしい』大前粟生・著（河出書房新社）は累計200冊以上の実売があがっているとのこと、恐れ入る。
　最後に屋号の由来を聞いてみた。「toi＝問い、なんです。本というものは読む人に答えだけでなく、良い問いを与えてくれるものではないかなと思っています。手に取る人にとって新しい［問い］を見つけるきっかけとなる本を丁寧に届けられる店でありたい。そんな想いがあってつけた屋号です」。それは磯上さんがアセンスで棚を作っているときから自身の中にあった問いでもある「おもしろがってもらえる本屋さん」への答えのようだ。

本屋プラグhttps://www.books-plug.com/
恵文社一乗寺店http://www.keibunsha-books.com/
SANBON RADIOhttps://www.youtube.com/playlist?list=PLQICHC_KRSoAFDS64_DwcTX68IhsuME_s
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<title>「隅っこにはきっと何かある」で、意外な売れ筋を発見。</title>
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<pubDate>Mon, 19 Apr 2021 00:00:01 +0900</pubDate>
<description><![CDATA[　大阪市西区を走る「南北の筋」の中で、道幅が広い「なにわ筋」と「新なにわ筋」の間に、「あみだ池筋」という道がある。「へぇ、阿弥陀が行けと言ぃました」で有名な上方落語「阿弥陀池」のある和光寺（西区北堀江３丁目）が道沿いにあることからこの名が付いた。
　あみだ池筋も幹線道路ではあるが、前述の２つの大通りほど広くない。通りを歩いていたら、「あっち側に書店があるやん。ちょっと寄ろか」という気にさせるぐらいの、「ほどよい狭さ」の道幅だ。その「あみだ池筋」の中央大通と本町通の間、地下鉄の阿波座駅の近くに［福島書店］はある。
　昭和28年（1953）の創業。同じ年に生まれた現社長･福島浩一さんの父で先代の福島眞三さんは、開業以前はブリヂストンに勤務していた。独立して商売をするなら母方の実家（九条）に近い場所、ということで候補地を探し、西区新町３丁目に物件を見つけた。先代は最初、自転車屋をと考えていたそうだが、母の弘子さんが反対して断念し、書店となったという。
　お店は日生病院（当時）の近くだった。福島書店が開店して３年後の昭和31年（1956）には病院が本館、別館に続いて新館も竣工して350床と規模を拡大し、翌年には総合病院の認可も受けた。入院生活では、有り余った時間をつぶすのに、本や雑誌は当時の欠かせない娯楽だった。ご近所の本屋さんは重宝する。当時は出版取次の大阪屋（現･楽天ブックスネットワーク）も同じ新町に本社があったので、商品の調達もしやすかった。「日生病院は日本にここだけでね、入院している人はお金持ちが多くて、患者さんに贔屓にしてもらったよ。あの頃は百科事典や全集がブームやったし」（福島社長）
　ところが昭和57年（1982）、日生病院は隣町の立売堀（いたちぼり）に移転してしまう（2018年には同じ西区の江之子島に移転し、「日本生命病院」と改称 ※以上は同病院のHPより）。跡地にはレナウン大阪支店の社屋が建ったが、それまでの２〜３年間はまるでゴーストタウンだったという。
「ええ感じで来ていたのに、いきなり病院が退いたから、１日の売上が週刊誌２冊というときもあったよ。なんか新しいことせな、ってなって、それやったら外商に力入れたろ、と」　福島書店のHPを見ると配達エリアは「西区、中央区、北区」と広範囲だ。「人が行かんところまで営業に行くようになったんです。当時はコンプライアンスとかユルかったから上場企業だってなんぼでも入れたよ。でもその頃は同業者から『そんな採算の取れん配達に力入れるなんてアホちゃうか』と言われた」
　北区の東の端にある造幣局にまで本を届けるし、閉店した本屋さんの営業先も引き受ける。高価な学術書や洋書も配達する。外商に力を入れた結果、「雑誌予約全国コンクール第1位」を何度も獲得し、セット商品を販売すると出版社からテレビが贈られた。「５台あったなテレビが。５台もあってどうすんねん、って感じやけど（笑）」　売上比率は外商９:店売１まで伸びた。
　現在の場所には2009年頃に移転。地下鉄中央線と千日前線の「阿波座駅」から徒歩３分以内であみだ池筋沿いだったので、福島社長は以前から狙っていたそうだ。新しい試みとしては店内に金券ショップを置いた。「先代は反対だったけど、これもおもろいんちゃうか言うて入れたんです」。近くにも金券ショップが２軒あったが、ハイウェイカードが廃止されてからはすべて撤退したそうだ。
「ウチは書店の中で展開していたからよかったんです。新幹線の券もあるし意外とサラリーマンも来るようになった。“本屋なんか初めて入ったわ”という人も何人かいた。ついでに雑誌とか買ってくれるからありがたいよね」　チケット目当てのお客さんもそれだけでは帰らず、店内をぐるっと見て回るという。祝儀袋も置いている。図書カードの卸しや教科書の販売（西区･港区･大正区の小･中･高が対象）もしていて、外商が大きく落ち込んだコロナ禍でも確実な売上があるという。本自体の販売はどうなんだろう？
「最近は、児童書でも3,000〜4,000円の商品が普通に出るようになったんです。新町の頃は子どもの本いうたら500〜600円ぐらいやったのに、考えられへんでしょ」　書店の近くには、大阪の都心では貴重な緑地である靱（うつぼ）公園がある。周囲は「住みたい街人気ランキング」で常に上位に挙がり、タワーマンションが急増しているエリアだ。その結果、マンションの住民が客単価アップに貢献している。
　福島社長はスヌーピーの『完全版 PEANUTS全集 全25巻』を指差しながら、「河出書房新社の人に“売れるから置いてくれ”言われて、“ほんまかいな”と思ったんやけど、全部買うてくれたお客さんが二人ぐらいおったよ。分からんもんやね」　タワーマンションの街にも「本好き」はやっぱりいる。夕暮れのあみだ池筋から入ってくるお客さんは、親子連れが多かった。本を買うだけでなく、「何かいいものないかな」と店内で時間をつぶしている。気軽に入って出られる街の書店は有り難い。　加えてコロナ禍の「巣ごもり生活」は、「こんな時こそいい本をじっくり読もう」という志向に拍車をかけているのかもしれない。
「隅っこにはなんか落ちてるもんやで。あかんあかんばっかり言うとらんと動かな、ね」と話す福島社長。そういえばこの人は20年ほど前、以前働いていた出版社の営業で訪れた際に、大阪が生んだハードボイルド小説の大御所、黒川博行さんを紹介してくれた人だった。思い出した。]]></description>
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<title>コロナ禍を跳ね返す「本好きが来たくなる」店づくり。</title>
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<pubDate>Wed, 07 Apr 2021 00:00:04 +0900</pubDate>
<description><![CDATA[「ここの景色好きなんです。ずーっと遠くまでアーケード続いているでしょ。これだけ人が歩いている商店街って、なかなかほかにありませんよね」（店長･槌賀啓二さん）　西日本書店のある天神橋筋商店街は、アーケードが日本一長い。書店から北は天六まで1.5㎞も続く。人通りの多さは大阪天満宮や天満天神繁昌亭が近いとか、安くて美味い飲食店が多いということだけではない。地下鉄谷町線･堺筋線の「南森町駅」、JR東西線の「大阪天満宮駅」へは徒歩３分以内なので、会社や事務所がそれだけたくさんあるのだ。
　10代、20代の人に「今までに行った本屋さんって、どんな場所にあった？」と聞いたら、多くは「百貨店とか地下街とか駅ナカとか、〇〇モールとか……」と答える可能性が高いはずだ。「商店街の本屋さん」と答える人はきっと少数派だろう。実際、出版販売金額が25年前の1996年をピークに下がり続けている中で、商店街の個人店は「後継者がいない」「通り自体がさびれてしまった」という理由で廃業する店も後をたたない。
　そんな中での「コロナ禍」はこの西日本書店にとってもさぞ深刻なダメージだったのではないかと思ってお邪魔したら、意外な言葉が返ってきた。昨年の緊急事態宣言の期間（2020年4月7日〜5月21日）は、お客さんの数も売上も前年を大きく上回ったというのだ。「みなさん、本屋に行くことに飢えていたのだと思います。梅田や天満橋の大型書店さんが軒並み休業せざるを得なかったでしょ。そういったお店のお客さんも来店してくださいました。私は高齢者なので、コロナを心配してお店には出なくていいと言われて家にいたのですが、みんながLINEで状況を知らせてくれました」（代表取締役社長･石井久二子さん）　従業員はLINEで連絡を取り合い、料理本の棚でワイングッズも展開するなど、売り方などを提案し、すぐに実行に移している。「スタッフはみんないい人ばかりで、家族みたいです。誰からともなくアイデアが出てくる」（石井さん）
　緊急事態宣言が明け、大型書店が営業再開した後も、学習参考書や『鬼滅の刃』などのコミックが牽引して、2020年度は好調を維持できたという。「40代ぐらいの女性が来られてね、“これまでネットで本を買っていたけど、やっぱり本屋さんがええわ〜”としみじみ言ってくれたんですよ。そういう話を聞いたら、ぜったい閉めたらアカンなと思いました」（石井さん）
　店長の槌賀さんには忘れられない出来事があった。2020年のクリスマスイブのことだ。「若いお母さんが、『鬼滅の刃』の全巻セットを買いに来店されたんです。京橋の向こうの城東区からママチャリで来られて。強い商品があったらお客さんはわざわざ来てくれるんですね」
　西日本書店が誕生したのは、大阪万博を前年に控えた昭和44年（1969）のこと。最初は同じ天神橋２丁目でも国道1号の南側、行列で有名なコロッケ［中村屋］の向かい辺りに店を構えていた。創業者は久二子さんの夫、石井英明さん（故人）。団体職員をしていたが、昔から読書が好きで、書店開業を考えていたらしい。彼が30代半ばの頃だ。
　石井さん夫妻が住んでいたのは堺市内。なのに天神橋筋商店街に開業したのは？「よく分からないんですけど、主人がなんか……探してきたんですよね（笑）。最初は小さなお店でしんどかったんです。その頃は、（天神橋）１丁目にも３丁目にも４丁目にも本屋がありました」。今は古書店こそ商店街には何軒かあるが、新刊書店は天神橋筋６丁目まで行かないとない。
　昭和50年（1975）には現在の場所に移り、株式会社として登記する。お店のHPに「1975年創業」となっているのは法人化の年だ。創業者の英明さんは福岡県中間市（なかまし）の出身。福岡県には「西日本新聞」「西日本鉄道」などの全国区の会社があり、社名もそこからイメージしたそうだ。「小さな書店なのにえらい大それた名前だなぁと、恥ずかしかったんですけど（笑）」
「最初の頃、奥はギャラリーだったんです。このあたりはデザイン事務所が多かったし、そこそこの値段のする作品や豪華本がよく出ました。平山郁夫とか、東山魁夷とか……」（石井さん）
　街は、天満天神繁昌亭が開席した2006年あたりを境に劇的に変わり、店もその変化に合わせて品揃えをシフトしていった。「昔は暗い商店街だったんですよ。それが明るくなっていったし、小さな会社も増えました。新しいマンションがたくさん出来てね……児童書やコミックは置いてなかったんですが、棚を新しく作り、学参の売り場も大きくしました」（石井さん）
　1995年に85,487人だった大阪市北区の人口は2021年2月1日現在の推計で139,609人と、63％も増加している。その多くは子育て世代ファミリーで、マンション住民が圧倒的に多い。最近も1,200戸ぐらいのマンションが、倒産した会社の跡地に建つことが決まった。いつの間にかタワーマンションの街になっている。「街が変わったことに対応できなかったらどうなっていたでしょうね……でもまたこのコロナで変わりますよ。仕事の仕方がもう以前と違うでしょ。会社だって、そんなに大きな事務所なんて、もう要らないでしょうから……」（石井さん）
「働き方が変わった」という意味で最近動いている本は、ステイホームで時間が出来た人のための料理本、そして文芸書である。「ハードカバーが売れるようになったんです。読書っていいな、というお客さんが増えているのはうれしいですね」（槌賀さん）
　この辺りの見どころは天満宮や繁昌亭だけではない。天満宮表大門の近くには、日本初のノーベル文学賞受賞者･川端康成の生誕地の碑や、若き日の松尾芭蕉に影響を与えた俳人の西山宗因（1605〜82）が主宰して井原西鶴などを輩出した私塾「向栄庵」も天満宮そばにあった。　書店から北へ歩けば東西に寺が並ぶ。大塩平八郎や適塾の創設者･緒方洪庵、その弟子･大村益次郎、18世紀の大阪で花開いた学問所「懐徳堂」のエース山片蟠桃らの墓のある寺や、明治初期に池上雪枝が少年少女に職業訓練を施した、日本初の感化院跡の石碑がある。すべて徒歩10分圏内だ。文学や歴史好きにとっては格好のロケーションではないか。　そういえば、西日本書店の歴史がはじまったのは川端康成がノーベル文学賞を受賞した半年後だった。創業者の石井英明さんは、そんな「地場」の力を見抜いていたのだろう、きっと。]]></description>
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<lastBuildDate>Mon, 31 May 2021 09:36:34 +0900</lastBuildDate>
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