「武士道」「品格」が日本をダメにする?

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【市場の倫理】(商人道)

  • 暴力を締め出せ
  • 自発的に合意せよ
  • 正直たれ
  • 他人や外国人とも気安く協力せよ
  • 競争せよ
  • 契約尊重
  • 創意工夫の発揮
  • 新奇・発明を取り入れよ
  • 効率を高めよ
  • 快適と利便さの向上
  • 目的のために異説を唱えよ
  • 生産的目的に投資せよ
  • 勤勉なれ
  • 節倹たれ
  • 楽観せよ

【統治の倫理】(武士道)

  • 取引を避けよ
  • 勇敢であれ
  • 規律遵守
  • 伝統堅持
  • 位階尊重
  • 忠実たれ
  • 復讐せよ
  • 目的のためには欺け
  • 余暇を豊かに使え
  • 見栄を張れ
  • 気前よく施せ
  • 排他的であれ
  • 剛毅たれ
  • 運命甘受
  • 名誉を尊べ

武士道なんて大嫌い?

あたしの友人に、新渡戸稲造の『武士道』が大嫌いだという方がおられまして、たまたまその方がうちに来たときに、山岸俊男先生の『日本の「安心」はなぜ、消えたのか』という本が届いたのです。

そしたらその帯が、《「武士道」「品格」が日本をダメにする!!》と挑発的だったのものですから、「武士道」嫌いで盛り上がってしまったのですが、「武士道」的エートスを否定してみると、なにか「街的」の秘密のようなものが見えてくるように思えます。

山岸先生は、ジェイン・ジェイコブズの「市場の倫理・統治の倫理」(上の表)を引用していますが、「統治の倫理(武士道)」は、「安心社会」のモラル体系(エートス)でして、いってみれば、ひたすら共同体(と自分の立場)の安定(安心)を目指すのですね。

一方「市場の倫理(商人道)」は、「信頼社会」のそれ、ということで、商人ですから革新性を好みますし「信頼」を重んじます。そしてこれを取り違えちゃいけないよ、というのです。

たとえばそれは「偽装」の問題で、「偽装」は、商人がまるで統治者のように振舞う(「統治の倫理」には「人を欺く」がある)ことで生じる、というのです。(逆に商人のようにふるまう統治者であれば汚職に溺れるとも)。

広義の自営業者と武士道株式会社

誤解を承知でいえば、「街的」というのは、「武士道」とは違った共同体のモラル体系でしょう。それを「商人道」といってしまえるかはよくわかりませんが、あたし的にはそれは、「広義の自営業者」の生き方でございます。

「昼間から飲んでいる」。「その街に優れた素質を持ちながらそれを維持する続けることの出来る酒飲み」。それは自分の時間を自分で決められる人々でしかない。

自分の時間を自分で決められる人々を広義の自営業者とあたしは呼ぶけれども、そういう人々の住む街だけが、「昼から営業することができる居酒屋」をもつのである。

団塊の世代の方々が「街的」を(無意識的に)ぶち壊してくれるのは、なによりも彼らが昼間から呑める〈自由〉を失ったからですが、まぁ、そればかりであるわけもなく、武士道株式会社(「武士道」的エートスをまとった会社)という「われわれ」が「」をつるプロセスだったからではないでしょうか。

それは「われわれ」と「私」には違いないのですが、武士道的エートスの共同体では、「私」をなくすことを尊び(無私)、大義のためには、すべてを犠牲にしてもよいのですからね、それは種に溶けた個でしかなく、私は「私」にはなりえません。

ジェイコブズと「街的」

こうして見ていくと、ジェイコブズは、「街的」に魅力的に思えます。彼女の著作は、黒川紀章さんが翻訳した『アメリカ大都市の死と生』しか読んでいないのですが、それはどこかで江弘毅だよな、と以前書きました。なにしろこれですから。

短い言葉で表わすならば「信頼」ということである。街路に対する「信頼」は何年間にもわたって、おびただしい数にのぼる歩道でのちょっとしたつき合いから形成されてくるのである。「信頼」はバーでピールを飲むために足を止めたり、食料品店のおじさんから話しかけられたり、売店の売子に話しかけたり、パン屋で、買物に来た他の人とパンの品定めをしたり、ソーダ・ポップを飲んでいる男の子たちに「ハロー」と挨拶したり、「夕食の用意ができましたよ」と呼ばれるまで通りを通る女の子たちを眺めていたり、腕白小僧たちをさとしたり、金物屋の主人から商売の話を聞いたり、ドラヅグ・ストアのおやじさんから一ドル借りたり、近所の赤ちゃんをほめたりすることから生れてくるのである。その習慣は多種多様である。

このようなことはちょっと見ると一つ一つとてもつまらないことだと思われるかも知れないが、全体を集めてみたらつまらないどころの話ではない。このようなあまり程度の高くない気まぐれな、公共の場での人のいろいろなつき合い――こういった接触は大ていの場合偶発的に見えるが、いろいろな目的があって行なわれ、全部が全部自発的に行なわれるものであって、決して他人によって強制されたものではない――を寄せ集めてみると、公の場の中でお互いが誰なのかがわかるし、社会的な尊敬と信頼のきっかけなり、個人的なよりどころとなると同時に、近隣住区のたよりどころになるのである。街路に対する信頼がないということは街路にとっては一つの災難である。街路に対する信頼を高めることは制度化しえないものである。といっても、街の一人一人の個人に委ねてしまうという意味ではない。(『アメリカ大都市の死と生』:p68-69)

J・ジェイコブズの4原則

そのジェイコブズには有名な4原則があります。

  1. 都市の街路は必ずせまくて、折れ曲がっていて、一つ一つのブロックが短くなければならない。
  2. 都市の各地区には、古い建物ができるだけ多く、残っているのが望ましい。まちをつくっている建物が古くて、そのつくり方もさまざまな種類のものがたくさん交ざっている方が住みやすい。
  3. 都市の多様性、ゾーニングの否定。都市の各地区は必ず2つあるいはそれ以上の働きをするようになっていなければならない。
  4. 都市の各地区の人口密度が充分高くなるように計画したほうが望ましい。人口密度が高いのは、住居をはじめとして、住んでみて魅力的なまちだということをあらわす。

これは、「路地」の原則であり、「街的」の地図的条件ですね。あたしの住んでいる浅草4丁目はこの原則の全てを満たしていたりするわけで、その上、住んでいるのも「広義の自営業者」(含む爺さん婆さん)ばかり。ですもの「街的」にならないわけがないのです。

つまり「街的」は、個人の資質でもなければ、垂直田園都市(@ジェイコブズ)のような芝生と公園と高層住宅から生まれるものではなく、ミシュランの三ツ星がある必要もない。ただ街にある、新旧とりまぜた建物、路地、店、そういうものが記憶装置としてつなぎ続けてきた生活する場としての信頼≒偶発的な(しかし自発的な)人々の接触の担保なんだと思うのです。 

「街的」の品格

けれども「品格」となると途端に自信がありません。浅草4丁目はつまりは千束で、吉原遊郭のすぐ傍(歩いて5分)ですから。「品格」といえば、あたしは『国家の品格』が関の山ですが、それについては、内田樹先生のサイトにあった

「オレはオレの好きに生きるぜ」とか「美しい国へ」とか「国家の品格」とかというようなお気楽なことが言えるのは、社会が豊かで、どう転んでも飢える心配がないときだけである。というご意見をもっともだ、と思っております。

というフレーズを、あたしも、ごもっともだ、と思うのでございます。しかし「街的」がお気楽じゃないのか、といえば、そんなことはなく、「街的」ほど楽観的な生き方もありません。

しかしその楽観は、「安心」の中に生まれる楽観(子宮的安心感)などではなく、それは、楽観的じゃなくちゃやっていけないから楽観なのである、というべらぼうなもので、たぶん「街的」≒「市場の倫理(商人道)」にある「楽観せよ」を除く14の項目は、最後にある「楽観せよ」であるための条件なんだろうなと思うのです。

人間、どこかで楽観でなくては、生きていくのも厭になってしまうでしょうが、「街的」は、なんの保証もない「広義の自営業者」が、明日も生きるための「楽観」を生み出す装置なんですよ(たぶん)。だから「街的」はしぶとい。「街的」はめげない。「街的」はむやみに生きる。

そんなもので、態度も言葉遣いもついつい伝法になりがちなので「品格」はありません。

しかしこんな道徳律を、学校で「…であるべきだ」と教えても無駄である、というのが、あたしと江の一致した意見でしょう。こんなもん学校ではおせーてくれないのです。道徳の時間(そんなのあるのか?)に教えられるものではない。

だからこそ、『「街的」ということ―お好み焼き屋は街の学校だ』なんでございますよね。つまりそれを学ぶ場も「街的」なんだよ、ということです。

PS. 内田先生のところの家族のはなし読みましたか。おもしれーですね。あれだと「街的」に家族をいれられますわ。(2008年3月6日朝追記)

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2008年03月05日 08:49

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