輝く都市の「クルマ」はそらアカンやろ。
野口五郎の「私鉄沿線」
改札口で君のこといつも待ったものでした
電車の中から降りて来る君を探すのが好きでした
悲しみに心とざしていたら花屋の花もかわりました
ぼくの街でもう一度だけ熱いコーヒー飲みませんか
あの店で聞かれました君はどうしているのかと
(山上路夫:作詞 佐藤寛:作曲 野口五郎:唄 1975年)
は、何だかこちらでいうと阪急沿線という気がして、大阪24区合衆国をまわる大阪環状線やない。そちらでは東急とか小田急、京王ですか。こうして書き出すと、ものすごくヘタレな感じがしてつまらんですね。
「鉄道型社会と街的」は、実にええとこ突いてますね。こないだ前回の浅草のバスの話もそうです。そういう街的極まる「現場」は、「その都度、入れ替え不能」ですね。
電車つまり鉄道と、クルマの違いは「沿線」があるかないかですね。沿線に特徴のある鉄道を乗っていると、街的なことに直に触れられてグッときてしまうことがあります。
また野口五郎の「私鉄沿線」的とは違って、駅前に旅館や食堂のあるような駅の街は、ともすれば週末ワインを買って帰ったり、未来を担保にしても郊外にガレージのある家を持つことを生きるための目的化とする類の、ベッドタウンな「勤め人」の通勤客と駅デパお買い物帰り女性客だけではない、多様で異質でいろんな用事や目的があるために移動する人やものがバラバラに存在しています。
そこが本来の街的な街で、野口五郎の「私鉄沿線」を嚆矢として、トレンディドラマによく登場するその手の郊外的な駅には絶対ない、街的な艶っぽさとか匂いの違いというか、ある種の街の色気みたいなものが感じられます。
わたしの私鉄沿線
わたしは大阪万博が終わってもう幾分か経った頃、3つの商店街を抜けて歩いて通うだけの大阪府立岸和田高校を卒業して、初めて電車通学というものをしました。
南海電車に乗って岸和田から難波へ着く。難波というのは、河内と泉州方面のターミナルで、南海は西成から南へ、住之江、堺、泉大津、岸和田と「和泉」を縦断して、和歌山に着く沿線。近鉄は生野から東大阪、八尾といった「河内」が沿線でした。
和泉および河内というのは、万博エキスポ70以前は、今よりもはっきりと沿線の駅ごと成り立ちも手触りも全く違う街が連続していて、さらにそれが何ものでもない和泉と河内の違いをつくっている、みたいな感じでした。それは「混在性」というような単純な混在ではなく、たとえば和泉でいうとここは「だんじり祭」が盛んなところですが、泉大津のだんじりと岸和田のそれでは形状も曳き方も太鼓の叩き方も全然違う、河内でいうと「盆踊り」が盛んですが、八尾の河内音頭と布施のそれとはまた違う。けれども泉州岸和田も河内山本も同じ大阪いや「上方」の匂いがしています。
おっしゃるとおり万博つまり高度経済成長の中期以降、千里ニュータウンなどとして「郊外化」された北摂あるいは阪神間の山手はクルマですね。代表的なのでは阪急神戸線および宝塚線の豊中駅以北、地下鉄御堂筋線の先につながる北大阪急行電鉄沿線です。
そこでは、阪大の吹田・豊中キャンパス統合が行われ、伊丹空港の国際空港化で青江三奈が「国際線待合室」に歌い、黒川紀章の国立民族学博物館が建ち、毎日放送の千里丘放送センターで公開録音するようになりました。
北摂の(に住んだ)人達は「いつかはクラウン」の夢を持つ人で、コロナやブルーバードに家族を乗せ、千里中央のセルシーに買い物に行っ映画を観たり、千里インターチェンジから新御堂筋から中国自動車道へ、豊中インターチェンジで阪神高速から名神高速道路へ乗り換えたり、いつかは黒塗りのクルマの送り迎えで阪神高速空港線往復の人にあこがれたりしました。
そんな時代に神戸の灘区の山手にある大学に通うようになりました。そこへ通うにはまず前述した難波へ。そこから乗降客がダントツの地下鉄御堂筋線に乗り換えて梅田へ。梅田というのはもう一つの大阪のターミナルで、京都や宝塚、神戸へ向かう阪急電車と、国鉄、阪神、そして地下鉄の3線のターミナルです。そこから阪急神戸線に乗る。
泉州岸和田から大阪市内のど真ん中を貫通し、夙川、芦屋川、岡本、御影といった阪神間の「ええとこ」の次が大学の駅で約1時間半のコースでした。
ラッシュ時を離れた南海電車ではおばちゃんが車内でミカンの皮を剥いて食べていました。御堂筋線に乗るとネクタイスーツ姿のサラリーマンやきちっとメイクをしたOLばかり。シックなマルーン色の阪急神戸線では一目でいい靴だとわかる中年の女性がデパートの紙袋を持ってゆったりと座ってました。
そういうなかで、わたしは一体誰だ、が立ち上がってくるのです。「他者」がわたしを規定していく。「わたしは学生である」とか、「家は岸和田の商店街にある」、とかそういうものでなしに。
わたしがクルマをやめたワケ
クルマの移動はもろに「家」の連続ですね。そして「家」は消費のユニットつまり単位であり、家族の「夢」がクルマに乗ってそのまま移動する。それは「外」に出るということではなく、2キロ離れたバイパス沿いのファミレスでもホームセンターでもそのまま行ってしまう。
リビングにいるのと同じように好きな音楽をデカい音で聴き、馬鹿話でガハハとみんなで笑い、次の消費地へと向かう。ドアを開けて外へ出ると、そこには当然のように「知らない人がいる」という当然の現実が見えてこない。
だから郊外の店は、どやどやと店に入ってくるし、席についても子供が騒いでいるし、どんなところでも消費者は神様だから傍若無人です。
そこでは店員さんも他の客も「知らない人である」というのが基本だが、その「知らない人」具合は前者ではない。つまり、サービスをする側と同じ消費のユニットとしての成員です。徹底的な交換の原理化の消費空間です。
店もあらかじめ「消費の場」としてだけ機能し、それが「知らない所」であるかどうかは関係ない。そこが街場のお好み焼き屋やうどん屋や鮨屋(近所のがいちばん旨い!)と違うところですね。
「店が客で荒れる」というのは、場末のヤクザものや与太者が多いところではなく、むしろそういう郊外のスーパーやファーストフード店で感じることが多いのは、ある意味決定的ですね。
店は「われわれ」のための店で、つまりキミぼくあなたの店であり、またマスターやシェフやおかみさんの店でもある、ということで「みんな」の店ではないということですね。
だから「知らないから」といって、自分がやりたい何をやってもいいということではなく、またよく知っているからといって何でも許されるわけではない。
家からクルマに乗ってすっ飛ばかして店に行くとそのあたりがわからない。自分の部屋が移動しているからです。
わたしは以前、20年間ほどクルマに乗っていたがやめたのは、だからである。というのは全く嘘で、家の近所でたてつづけに2回、ペダル付きの原チャリいわゆる「モペット」(イタ車でした)で酒気帯び運転で捕まって、やめたのですが、そのあたりは次ということで。
2008年04月25日 07:03
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