「あかんではないか」―「街的」な言説というのは鬱陶しいに決まっているのです。

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久しぶりの返信ですが、あんまり久しぶりのような気がしないのは、3月中に『街場の大阪論』の感想文を書き※1、町田康&江弘毅のトークサロンを見に行き、その感想文※2を書いていたからで(たぶん)、江弘毅が活躍してくれるのは「街的」至上主義者としては、まったきの喜びでなのですが、以下はそのトークサロンでの杞憂です。

ふたりの話はかみ合わない楽しさに満ちあふれ、江弘毅の面倒くさい問いかけは、あたしの近所の(ある程度若い)女性の皆さんにはほとんど理解不可能だったようだけれども、あたし的には町田さんのオタク的な部分をよく引き出していたなと思う。※2

そしてこのエントリーに最初にいただいたコメントは、

江という人が何を言っているのか、さっぱりわかりませんでした。それこそ江という人こそ岸和田出身ということを全面にだして、実は大阪のこてこて感を体現しているような人だなと思いましたが。
もっともっと町田さんの、いろいろな話が聞きたかったのに…。

そして二つ目は直球でした。

質問を簡潔にまとめられない江という方をなぜキャスティングしたのか疑問。逆に,あんな意味不明な質問にあれだけの返しができる町田康は頭の回転のいい人だと感心した。進行役のおばさんもまったくフォローに入らないし,会場全体が「もう江はしゃべるな」と心の中で言っているのをひしひしと感じた。あれなら,一時間半ずっと観客と質疑応答をしていたほうが楽しかっただろう。とにかくマーチダさんに同情したイベント。

あたし的には、「あれだけの返しができる」町田さんは、つまりは江弘毅のいっていることがわかていたからちゃんと「返し」ができたのだ、ということだと思うのですが、康&江と、会場に居合わせた一部の人たちにしかわからない話は、「みんな」には我慢ができないものなのでしょう。あの日は圧倒的に「みんな」が多かったようで、それ故に、興行的には失敗だったということかもしれません。

「街的」な言説というのは鬱陶しいに決まっているのです。

しかし「街的」な言説というのは鬱陶しいに決まっているのです。その納豆とオクラを一緒にしたような粘りの、そして得も言われぬ臭さを纏う鬱陶しさの、その粘る糸を一本一本とり解き、にほいを嗅ぎ分けることこそが快楽なのです、醍醐味なのです。とあたしは云ってしまえるのですが、それが世間的に理解されるには、まだ「街的」はがんばる余地があり過ぎるのかもしれません。

「街的」というのは街場の共同体性のことであり、〈他者〉とのかかわりあいの中から生まれてくる自生的秩序(@ハイエク)ですから、それは鬱陶しいに決まっています。その鬱陶しさに言及しようとすれば、すなわちその言及も鬱陶しくなります。

だから「街的」な言説は「交換の原理」に強く影響された「みんな」には嫌われるのであって、でなければ、共同体性がここまで徹底的に、木っ端微塵に、これでもかというぐらいに破壊され、「みんな」はしらっとしてそれを横目でみるだけで、一部趣味人の習い事のようになってしまうこともないのです。

しかしその鬱陶しさへの望郷、というか鬱陶しさから逃れようとしても結局は、鬱陶しさに引きづりこまれてしまう人間の性。それが町田康さんの作品のテーマなんだろうと、町田康を読んだことのなかったあたしは、トークサロンの後に、急遽二冊ばかり彼の小説を買い込み、それぞれ三回ほど読んで深く感じ入っておりました。

あたしの若い友人のくれたメールは、

ブログに町田康の事がかかれていましたが、彼は作家の前(今も?)はパンクロッカーで私のヒーローでして。町田康は作家としての名前で町田町蔵という名で関西アングラシーンを接見していました。オタクというかなんというか彼は怖い人です。youtubeなどでみるとそのすごさが一部かいまみれます。

というもので、しかしそういう「すごさ」の延長上に自らの身を置き、あのトークサロンに参加するなら、それは江弘毅の鬱陶しさは「あかんではないか」ということになるのだと思います。

あかんではないか

あたしはそういう「みんな」の方が「あかんではないか」と云ってしまえる人ですけれど、まあ「みんな」が何をどう楽しもうが、何をどう苦々しく思おうが、それは我が国では、「みんな」の自由ということになっていますから、たぶんどうでもいいことなのかもしれません。

けれど「れは厭だ」「ああ詰まらない、面白くない、……一日一日嫌やなことばかり降って来やがる」と樋口一葉の言葉を借りては、パンクロッカーのように云ひ続け、書き続け、「街的」を破壊する(ほんとは)なんだかよくわからないものとの闘いを続けるあたしの立場的には、それを看過するわけにもいかず、それでふと考えるのです。

「街的」な言説の欠点はなんだろうかと。

そんな折、『「輝く都市」が日本の大人をダメにした。』にいただいたコメントはこうでありました。

中卒で学のないわたしにはル・コルビュジエもJ・ジェイコブズも初耳でしたが非常に面白い。
ちょっと想像してみる。
たとえば桃知さんの非常に理路整然とした、しかし屈折も密度もある文体はル・コルビュジエ的なのか、それともJ・ジェイコブズ風なのか。
新聞の解説委員の記事の文体はありゃあまちがいなく「ル・コルビュジエ」だ。わかりやすいけど飽き飽きするぴっかぴかのひかりものですね。屈折がない。安物の茶碗のようにあまり品は感じられない。
かといってあまりJ・ジェイコブズ風だと風流人にしか理解されないという側面がある。
それでもいいんだけど。
いや、「それでいいのだ」。 by イカフライ さん

そもそもあたしは褒められれば木に登ってしまう人であって、しかしふと気がつけばいつも足場はなくなっていて、そのたんびに後悔すること数多く、なので今のあたしは、「それでいいのだ」といはれましても、そう簡単には木に登らない人にはなっておりますが、確かに「風流人にしか理解されない」というのはあるかと思います。

「みんな」を「街的」に誘おうとして、あれこれ繰り返す不器用な戦略は、その誘い水さえ、そもそもなんだかわかりにくいことで、やっぱり「風流人にしか理解されない」ものでしかないようです。

この「わかりにくさ」こそが、そのまま「街的」の欠点なのでしょうが、それは

あかんではないか。

この「あかんではないか」は、町田さんの『告白』からのぱくりですが、この大阪語は、けっして余所事ではなく、ほかならぬあたしの憂鬱でもあります。中小建設業のIT化とパトリの護持などということを生業にしているあたしの困難は、情報の技術を共同体性護持のために使うというロジックが、かなり鬱陶しい理解である(つまりわかりにくい)ことにあります。

なのであたしは、 一部の「風流な人々」を除けば、わけのわからないことを云っているヘンなおじさんでしかなかったりします。

 あかんではないか。

ならばどうするんだ。ところがあたしには、明確なこたえがありません。思うに、「街的」は闘う思想であることで※1、しかし闘っている相手がなんだかよくわからないことで――世間なのか、時の政権なのか、ジャスコなのか、時に自分自身であったりするのもたしかで――、それ故に闘う相手を知ろうとしては悶え苦しむしかないようです。『彼ヲ知リ己ヲ知レバ、百戦シテ殆ウカラズ』(@孫子)は「街的」な言説への呪縛です。

デコードとエンコード

デコードとエンコードその悶え苦しみはデコード故の苦しみで、けっして生みの苦しみではなかったりするのですが(あたしの場合はですよ)、相手を知ろうとして相手を(時に己を)あまりにも深く分析しようとし、あげくにデコードの道具である語彙に窮してしまうのです。

「街的」を語ることはデコード狂の仕事です。「街的」を書く人は、酒ばっかし呑んでいるようで、しかしその實、対象をしっかりと観察していたりします。

しかしそのデコードしたデータを使って、なにかをエンコードしようとする欲望は、(あたしの場合)かなりいい加減でしかなく、毎日書くブログが関の山なのでした。

まあ機会があったとしても、エンコードとは創造性ですから、つまりは「作品」なのであって、あたしは「作品」をエンコードする力を持ち合わせておりません。こればかりは訓練で追いつくものでもなく、つまり才能がないのです。

あかんではないか。

あたしの書いているテクストは、デコードのプロセスにしか過ぎません。

つまりその行為を作品レベルにまで昇華するとなると、別の次元の力が必要です。「テクストの快楽」(@ロラン・バルト)です。今回、町田さんの『実録・外道の条件』 を読みながら、あたしは、ああこれは「路地のロジック」※3 と同じトポロジーでできている、路地のもつ迷宮の面白さで書かれている、と喜んでいたのですが、と同時に、そのトリックスターぶりに舌を巻きました。

つまり使われる素材は、大阪語も標準語もその他方言も擬音も難しい漢字もミックスされているのであって、ごった煮であり、チャンプルーであり、マッシュアップであり、ハイブリッドであり、エンコードである。 それは文体や語彙までもがそうなのであり、それ故に統一感には欠けるが、その統一感のなさこそがトリックスターなのであって、それはトポロジー的には、街中があの世とこの世の境界(つまり寺社仏閣)ばかりの京都の街が、なぜに人を惹きつけて止まないかの秘密の種明かしであり、東京のオシャレな街が資本のごり押しとマーケッティングで集客をしようとしているのこととは対局にあるものだ(たぶん)。※2

あたしからすれば、町田さんは(その作品を生み出す過程において)十分に「街的」なのですが、トリックスターぶりが違うのです。

街場の大阪論それで長々と駄文を並べ、いったいあたしはなにがいいたかったのかといいますと、「街的」のデコードとエンコードである『街場の大阪論』は、「みんな」にとっても十分に面白く、読める「作品」だということです。

そしてこれをどうやったら「みんな」に読んでもらえるのか、などとそんなことを考える前に、あたしは売り子に徹しなくちゃいけないのですが、トークサロンで江弘毅の言説を鬱陶しく感じた方々にこそ、この本は読んでもらいたいのです。

そこのあなた、なに、まだ読んでないですと。

あかんではないか。

※注記

  1. 『街場の大阪論』 江弘毅を読む。 from モモログ 参照
  2. トークサロン「言葉が奏でる大阪人スピリット」 町田康&江弘毅。 from モモログ 参照
  3. 『大阪おいしいROJI本』―あたしも少しだけ書いている。 from モモログ 参照
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2009年04月06日 01:23

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コメント

拝啓
わたしごときものの愚昧なコメントをほかならぬ桃知さんのブログに上梓してくださり、ことのほか喜んでおります。
さて、「街的」という態度に「あかんではないか」という内律的な補助線を引かれたのはさすが桃知さんだと、やつがれ心より感服いたしました。
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「地元」というのは、まさに自分が立っている地面そのものの範疇の場所で、いつも「自分」に含まれている。(江弘毅:『「街的」ということ』:p24-25)
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これはある意味、「地元」を盲目的にそのまま受け入れることになりますよね。非常に大阪的な感性だと思いました。
だけど江戸というところは昔から他者への恐縮という意識が非常に強いところです。どうでぃこれが江戸だ、江戸っ子だ、といいながら、その実、そのような自足的な「街場」をもてない他者への遠慮や思い遣りが強烈なかたちで反語となって、つまり「あかんがな」となって言葉に突出する。それが東京下町の見事な庶民思想だと思うのです。
町内の老人が病に倒れたら見舞いにいった先で「おいおい、いつまでもお内儀さんに迷惑かけんじゃねえよ。はええところぽっくりいっちまいな、おめえ」てなことを言い出す東京下町の「あかんがな」が入った気恥ずかしい愛情。
それがやはり「街場」「街的」というものをいやらしくさせない防腐剤であった。
わたしは「街場」「街的」という親密な自愛の構造を自慢し、それを振り回すなら江さんは「あかんがな」をもたなければいけないとおもうのです。
だから観客の心をとらえられなかったのではないか?
江さんは「あかん」(自動詞的)ではなく「いかん」(他動詞的)なことしかいっていないようにみえる。それが非常に大阪的。
つまり町田康(わたしはかれの小説をとても読めないですが)の特急電車のように言葉がていねいな吟味もなく駆け抜けてゆき、模様が一色になってしまう。そのような無体な感性ではいけないということです。(ああ、うまくいえねえや)
でも、
そのあたりを、必死にフォローしようとする桃知さんにわたしゃ、惚れ直しましたよ。
                                       敬具

う〜ん、あかんなあ。

投稿者 イカフライ : 2009年04月08日 09:34

イカフライさん、コメントありがとうございます。

「街的」に限らず共同体性の欠点は「閉じ」にあり、その「閉じ」は共同体性が(その外からみれば)「なんだかわからないもの」になってしまう危うさです。

「閉じ」は、マスターべーション、独り善がりに過ぎなくなります。

あたしはIT屋なので、ネットワーク的にそれを嫌います。しかしクラスター(共同体性)の無いネットワークはネットワーク的に破綻しています。なので「街的」なのですが。

そんなもので、あたし自身も「閉じ」に向かうことは自覚していて、それは「あかんではないか」なのです。(笑

「あかんではないか」は自分自身に引く〈他者〉の目、つまり補助線のようにあたしは使おうと思うのですが、その証左はさておき、デカルトの Je pense, donc je suis なんだろうと。

つまり「反省」なのですが、それは今のところ書くこと、書いたモノをバルネラブルに晒すことでなんとか保てているような状況なのでした。

「街的」という閉じた共同体性も、その内側から『街場の大阪論』のような本がでてこないと、ただ閉じて孤立しまうだけか、その閉じの破壊が起こるだけなんですね(たぶん)。

それで、「閉じ」に陥らないよう、「あかんではないか」でいきたく思うのですが、時々閉じますので、そのときは、叱咤、助言をお願いいたします。

今後とも宜しくお願いいたします。

投稿者 ももち : 2009年04月08日 22:18

>「街的」に限らず共同体性の欠点は「閉じ」にあり、その「閉じ」は共同体性が(その外からみれば)「なんだかわからないもの」になってしまう危うさです。


あの。
わたし、そんなもの、ちっとも気にしてないのです。「閉じ」て共同体がコンニャクのようなものになろうとお化けになろうとかまいません。街場の住人にとっては問題かもしれませんがわたしのような外部の人間にはどうでもいい。
問題は「閉じる」ことがイコール、非街場的存在を排除することになるのではないかということです。わたしのような生まれつきの根無し草、風来坊にはとても近寄りがたい空間なわけです。

たとえば自動販売機は「立場」と「関係」を失ってしまった「わたし」を、人間として遇してくれる存在ですよね。わずか100円玉ひとつあれば老若男女貧富善悪を問わず平等に人間扱いしてくる。それが街場とは対照的な色も匂いもないけど神仏のように底なしに人を受け入れる「みんな」の視座に立った場の在り方のひとつです。

ここでいう「立場」と「関係」を失った人間、というのは外国からの移住者でもいいし派遣切りにあったホームレスでもいい。それぞれば立場(地位や職業)、関係(家族や恋人・友人知人)を失くして路頭に迷っている。そういう人たちを街場というのはほとんど暴力的に排除するわけです。街場というのはそういうメカニズムをもっている。阪神大震災ではそのメカニズムのために多くのホームレスがほとんど「殺された」。

そういうことへの視座が欠けたような街場論はあまりにも底が浅いとわたしはおもうのです。「含羞」なんかどうでもいいのですよ。街場というものがほんとうの意味で「われわれ」という共同性を獲得したいのなら「ばらばらで一緒」という世界にならなければいけないのじゃないのですか。つまり「みんなでわれわれ」でなければいけない。

そういう意味で大阪の「街場」と東京の「街場」はまったく正反対といってもいいような構造を持っているのじゃないですかね。
わたしの経験ではそのような排除の構造をもつ「街場」のシステムを東京の下町の人々はどこかで承知していてそれを乗り越えるために「立場」も「関係」も失った人を、あまりにもやりすぎといえるほど面倒を見る。いまはどうか知りませんが、「寅さん」じゃないけど、昔から東京の下町の人間はそうだった。見も知らぬ人間をちょっとしたきっかけで自分の家に泊め、女房子供をソファに寝かしてでも遇した。それが街場の人間の「他者」(街場を持たぬ者への気遣い)ほんとうの含羞でしょう。

しかし大阪はまったく違いますよ。
わたしは大阪生まれの大阪育ちです。東京には中学を出てから十五年ほどいました。だからあえて批判するのですが大阪の「街場」は余所者を極端に排除します。これはもうほとんど犯罪といってもいい。阪神大震災のとき、公園を追い出されたホームレスに炊き出しひとつ食わせなかった。責任者によるとその理由は、
「わしら浮浪者ちゃうで」だった。つまりホームレスに被災者と同じ炊き出しを与えると自分たちがホームレスと同じになってしまうというのですね。
それで炊き出しを与えなかった。
他人を平気で排除するこのような人たちに含羞があろうとなかろうとどうでもいいことです。
そんなものが「街場」であるからいったいなんであるのか? わたしにはただの閉じた共同体の濃密さを自慢しているだけにしか映りませんでしたがね。

投稿者 イカフライ : 2009年04月14日 09:56

イカフライ様
大兄のブログ漂流(4月15日)を拝読させていただきました。
特段に、江なる人物を擁護するつもりはないのですが、やつがれは江の言説に他者性の欠如(他者のために身代わりとなる一者を持たない)よりも、自己喪失のようなものを感じるのです。大兄は、自らを根無し草、風来坊と位置づけられますが、それは自ら選んだことで、江には生まれたときから依拠する場所がなかったのではないかと・・。立場と関係性を、予め失っていた男ではないかと。共同体への偏愛は、本人が気付いているかどうかは知りませんが、なんとかそこに潜り込もうと、藻掻き、足掻いているようなものだと思うのです。大声でがなりたてながらも、どきどきしているのでしょう。「街的なるもの」を希求しながら、そこから排除されることに怯えている。若衆宿から、仲間外れになることを恐れている。排除されないために、排除する仕組みを自分で作る。
確かに、そんな奴は鬱陶しい。お頭も、それほどよろしくない。自家中毒にも程がある。ただ、捏ね繰り回して、捏ね繰り回して、やっと手に入れた「街的なるもの」には、この男自身の、ぬたくった思索の跡がある。躁病的軽薄がある。これ、結構、嫌いじゃないのですよ。
内田樹のように、賢しらに、さも謎を解いたような言説を振りまくような輩よりは、いくらかは増しでしょう。

投稿者 PEC : 2009年04月17日 08:04

PECさん

土地の匂いと町の名称というものはなかなか味のあるものです。
その匂いと名前の数だけ人が想い続ける故郷というものがあり、わたしはそのことを否定するわけではありません。
江さんという方は岸和田五軒町の生まれらしいですが、ここは古い城下町です。
岸和田の下町の人たちの先祖というのは土佐からの移住者、流れ者が多く、いわゆる泉州(堺、和泉あたり)とはことばのニュアンスが若干違います。むかしは女性であっても自分のことを「わっし」と発音し、結婚するなら地元の人とじゃなきゃいやだというこだわりをみせる土地柄だった。
PECさんの鋭いご指摘のとおり江さんの郷土愛のなかには無意識に、

>本人が気付いているかどうかは知りませんが、なんとかそこに潜り込もうと、藻掻き、足掻いているようなもの.......

があるのかもしれません。
暴走族のヤンキーのあいだで語られている「岸和田の人間は大阪府内で1、2を争うほどキレたら怖い。キレんでも怖い。言葉が汚い。本気で祭に命を掛けている」とかいう、いわれなき? 伝説も、そういう見ず知らずの土地に根を付けるために必死で片意地張ってきたことにつながるのかもしれません。
わたしは江さんを憎からず思っているわけではないのです。
むしろある種の共感を覚えます。
わたしの場合は孤児擁護施設で育って中卒で東京へ出、怠け者ゆえ手前かってに17歳からホームレスという生活を送ってきた。わたしが十年近く育った孤児擁護施設には五十名ほどの孤児たちがひしめいており、そこはまさに極小単位での「街場」を形成していたといまになればわたしは思います。その街場からわたしは寒い戸外にひとりで出て行った口です。
だから江さんの純朴な情熱に水を差すつもりはありませんが、問題は、そこにあの内田樹たちが介在していることです。
そこに怒りを覚える。ストレートにいえば人のよい江さんを上手に持ち上げて躍らせているような感じを持ちます。わたしは内田樹の口を開けば人間に切断線を引く語り口に、もうずっと強い怒りを覚えています。
江さんがそのような思想にほいほいとついてゆくのではなく、岸和田的なめくらめっぽうはやめて言説の世界に頭を突っ込んだのならそれなりの責任があるということをよく自覚して、冷静に己の思想を律してほしいのです。
が、江さんあたりより知性のはるかに劣るわたしごときが、あまりゆうのもなんですので、このへんでわたしもお開きにします。
コメントありがとうございました。

投稿者 イカフライ : 2009年04月18日 11:11

イカフライ様
貴簡(コメント)落掌しました。大兄のブログの「コメント欄が表示されないトラブル」により、桃地さんの迷惑も顧みず、この場をお借りしております。内容からして、嘸、嫌な思いをされておられることでしょう。お詫びします。
さて、言帰正伝、『内田樹の研究室』にコメントを寄せられていた頃から、読ませてもらっていました。内田樹については、哲学や意味論や心理学を捏ねくっても、思考することそれ自体の残酷さを知らぬ輩というか、言説を生業にした者の如何わしさというか(自分の考えたことや書いたものが、金になるなんぞと思う連中の下品さというか)、解釈が、常に地獄の窯の蓋を開けてしまうことになるということすら知らない盆暗と捉えていました。まあ、60近くになって、急に人気が出れば、燥ぎたくなるのも分からないでもないのですが、そろそろ鼻についてきたことは確かです。ただ、大体において、自分の考えていることを、人前で喋るとなると、選民的になるのは致し方ないように思います。その程度の人なのですから・・(ほら、私も選民的な言辞を弄しているでしょ)。無能であることの恩寵を知らぬ者に、他者など分かるわけがないのです。
もっともっと、愚弄し、哄笑してください。ほっといても、何れ消えるでしょうが、
次回からは、大兄のコメント欄に伺いますので、トラブルの解消をお願いします。

追伸 もし、桃地さんが読んでおられるなら、「解釈は快速」について、決して『快』ではないことを一考してもらえないでしょうか。

投稿者 PEC : 2009年04月19日 09:59

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