街的なそれぞれの街には、街型インフルエンザというのがある。

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JR西日本系列の元町駅構内のコンビニ。従業員に「出た」。5月18日(月)江 弘毅写す
JR西日本系列の元町駅構内のコンビニ。
従業員に「出た」。5月18日(月)江 弘毅写す。

リーマン・ブラザーズが破綻しようが、テポドンが飛んでこようが、町内会がしっかりしていれば大丈夫」。これに「豚インフルエンザが流行ろうが」を付け足すことを、真っ先に思い出したのでした。

今回の豚インフルエンザ(しっかし「a型」とか「新型」とかよりも「豚」というのは字面も発語もいかつい)の最初の患者は、神戸そして大阪でした。先週の日曜日の昼にいつもの神戸の下町にあるお好み焼き屋に行ったら、当然のようにインフルの話で持ちきりでした。
というより大将とおねえさん、そして客の間ではその話しかしてませんし、その盛り上がりようは最高潮です。 その店は06年に書いた講談社現代新書の「『街的』ということーお好み焼き屋は街の学校だ」の舞台としてよく登場した店で、今度の「街場の大阪論」でも『「街のルール」と身体論』で書いています。

 なんでその筋の人が、フレンチとかイタリアンとかのレストラン、あるいは和食では料亭といったところより、極上のトロが出るとても高い鮨屋や、血統書付き神戸ビーフのロースが自慢の焼肉屋(セラーがあって、凄いシャトーもののワインが置いてあったりする)や、アワビやエビやステーキを目の前で焼くシティ・ホテルの鉄板焼き屋を好むのか。
 こういうことをこのところ行きつけでお世話になっている、神戸のお好み焼き屋の大将と話をして、大いに盛り上がった。
 このお好み焼き屋さんは、近所の広東料理屋とか鮨屋に混じり、地元の「うまい店」と知られている店で、中学校の先生も料理人もラガーマンも、ボスと呼ばれる人も来る店で、「和牛ヒレ炙り焼き」とか「エビ野菜焼き」とかお好み焼きじゃないメニューや、親戚の魚屋からもってくる鰹のタタキやカンパチのカマなどが出される店だ。酒や焼酎の種類も多いし、土曜日の昼に行けば赤ワインを飲んでいるおじさんおばさんカップルもいる。こういう街場、とくに下町のお好み焼き屋の客は何でも食い尽くす。

という「街的」極まりない店で、この日も客は豚玉や豚モダンやトンペイ焼きを食べ、生ビールやチューハイレモンや焼酎の水割りを飲みまくりながら、「やっぱりエイズもそうやったし、神戸は早い」(勝ち誇ったように)とか「神戸高校と兵庫高校やて、偏差値の順にかかるんやなあ。あの子ら勉強しかしてないからカラダ弱いねん」(神戸高校は元旧制神戸一中で、兵庫は神戸二中。いずれも県立で最高の進学校ですわ)とか「アホは風邪ひかんと、昔から言うからなあ」と、それでも神戸高校の学区であるそのお好み焼き屋は無茶苦茶です。もちろんその店には冷酒や瓶ビールを冷やしている縦長のガラスの冷蔵庫の上にテレビがあって、客は首をひねってそのニュースを見上げているわけですわ。

マスクみたいなもん、誰もしてへん

もはやJR神戸線の電車内が「マスクしてなかったら痴漢や犯罪者みたいに見られる状態」の月曜日の段階では、140Bに行くと尼崎の「大迫力」と書いて「おおさこちから」が「尼の高校生は普段から公害で気管系が鍛えられているから、かかりませんねん」と言うてみんなで大笑いです。ちなみに大迫力は尼崎大気汚染公害訴訟の和解金活用のタウン誌「南部再生」をやってます。まあ、昨日になって尼でも出たみたいですけど。

そういった会話が街場では交わされているのでしたが、なんでテレビのレポーターはそういう話を取り上げないのでしょうか、というのは誰にも分かることですが、今さらながら街的の「それでも、おもろく生きていくこと」への執着に近い体質はこういうところにありありと現れるわけです。

観光客や消費者の来ない神戸の中華街はがらがらで、知り合いの有名広東料理店のオーナーシェフは「テレビは営業妨害や」とぼやいています。
けれども一番マスコミが騒いだ一昨日、つまり月曜日の晩に会社帰りに大阪は福島の屋台のおでん屋に行くと、いつものように満員でした。 阪神間のマスク率と大阪市内の下町部のそれは明らかに違っていて、「メキシコでもそうであるが、そういうところに「格差」が見える」という論説はほんまかどうかは別にして、「そういうのとは違うんやけどなあ」という感覚は街的生活愛好者からはよくわかります。

また昨日、岸和田の酒屋の知人とケータイで話していたら「マスクみたいなもん、岸和田では誰もしてへん」と言うので「大阪市内へ行くんやったら、マスク買うて行けよ」とアドバイスしてあげました。彼は「ほんまかあ」と言うてましたが、別にマスクしたなかったらそれでええやん、ということはどうも言いにくい(桃知よ心配せんでもオレもマスクはしてますよ)。

パトリに自転車を止めない

その「大阪」のかたまりである大阪市では、街頭犯罪・放置自転車のワースト1返上を重点政策にしています。

今日も大阪市の広報系職員幹部の人がいらっしゃって、自転車の撤去についての政策やそれのPRの相談に応じていたのですが、ほんとうに大阪ではすさまじい自転車(放置も)の状態です。

こないだも北区役所手前の確か判子屋さんかの前で「店頭の放置自転車、燃やします」と手書きのビラ風ポスターが張ってあって笑ってしまったのですが、この天満駅周辺にしろ道頓堀にしろ、放置(というより実際は駐輪だが)自転車は難問題となっています。

しかし道頓堀の場合でも、肉屋&洋食店の「播重」やうどんの「今井」の前には止めている自転車は少ないですね。多いのは建築中のビルとかファーストフードとかコンビニとかのビル前とかエンタメ系雑居ビルとかで、そこはあらゆるディテールにまで交換経済が貫徹されている。
しかし前者はミナミそれも道頓堀ならではの店で、店先から「生活原理」が漂っている。だから駐輪にためらってしまうのです。煙草の吸い殻もほかさない。そういうとこは桃知が指摘する、まさに「広義の自営業者」がやっている店で、もちろん店というのは経済合理性がベースにないとやっていけませんが、パトリ性やテロワール性がどうしようもなく滲み出ているところがある。
そういうところの店の人は「バーテンダーがマスクしている店で酒飲みたい? それやったら店開くなよと言われるよね」ですね。自転車については「街場の大阪論」でも少し触れています。ちょっと抜粋してここでアップしておきますね。

 神戸ハーバーランドのモザイクは、デベロッパーからすると、90年代につくられた「まちなみ型商業施設」の数少ない成功例の一つだそうだが、「びっくりドンキー」や「神戸ブランド亭」といったテナントが、「明治屋神戸中央亭」とか「とんかつ武蔵」といった懐かしい三宮の店と一緒に入っているのを見ると、それは「まちなみ型」という「のようなもの」であるだけだ。
 なんだか気になって、帰ってウェブで検索していると、モザイクは「オープンモール」ということであり、その内部は「小さな店舗が絡み合うように軒を連ねてその合間を縫って隠れるように小道が縦横上下に走っている」ということだが、その小道は全くの映画セットのような「演出」にすぎない。箱モノはやはり箱モノで、だから店は店でなくテナントである。
 小道は路地であり機能である。そしてそれが正真正銘の街としての性格を決定づけているのだと思う。
 先斗町や錦市場に行くと、自転車や時には原付が通ったりしているのに驚くことがある。錦市場の店の人は、朝と夜には自転車で自分の店へ行くし、昼下がりに先斗町を歩くと、割烹着姿の兄ちゃんが携帯電話をしながらホンダのスーパーカブに乗ってる。かといってそこを自転車で通る外部の人、つまり客はいない。それは自転車の通行が危険であるとか邪魔だとかではなく、「街の常識」感覚が外来者にも直感できるからだ。そしてそれは「管理」とか「規約」とかそういったものではない。
 ハーバーランドの中を自転車で通る人はいない。その商業施設の管理規約は見ていないが、その「まちなみ」の中を自転車が通ることはあらかじめ禁止されているであろうし、自転車の通行を想定して「まち」をつくってはいないのだと思う。わたしの生まれて育った岸和田の商店街は、三輪車も自転車も通る商店街だったが、それこそ人通りであふれた70年代は、よく自転車に乗って叱られた。
 今は店が閉まる夜になると、クルマも通る。クルマはもちろん商店街の入口に通行禁止の標識が出ていて、商店街組合の規則では「自転車の通行は禁止」だったと記憶している。
 誤解がないように書いておくが、別にわたしは「街には自転車が必要だ」などというつもりはないし、いの一番に「街には緑が、広場が…」などという都市プランナーの眠たい話には付き合うつもりもない。
 西梅田のハービスエント前には、ルイ・ヴィトンとロエベとフェラガモが四つ橋筋に並んでいるが、それが出来て間がない頃、丁度お昼時が終わって自転車に乗った銀行員か証券会社風のスーツ姿のサラリーマンが、その前の歩道の片隅に停めようとした。そうすると急いで制服姿のガードマンがやってきて「ここはダメ」と高圧的に言っていた。
 店の前ではなく、側道のオブジェみたいな植え込みの外側のちょっと離れたところなのでまあ良いのでは、と判断したのだろう。チェーンの鍵を出そうとしていたその30歳過ぎくらいのサラリーマンは、よほどそれにカチンときたのか「それは道路交通法か何かで禁止されているのか」「これはお前とこの土地か」と詰め寄っていた。最後には「出来る前はここら辺に停めてたんや、ほなどこに停めたらええんか教えてくれ」と大阪弁で吠えていた。ガードマンはそれが仕事なのであるから仕方がないけど気の毒だし、忙しそうなサラリーマンもかわいそうである。
 少し離れた店の中からは、制服を着た店員がのぞいている。多分、この店の前ではこういうことはよくあることなのだろう。こんな時には、商店街では店のおばちゃんや親父が出てきて「そこは、困るねん」と言うだけで終わりなのであろうが、ここはそういうところではない。
 例えは悪いが、隣から火が出たとして、真っ先にバケツや消化器を持って駆けつける人が多いところが街であって、緊急時のマニュアルで火災報知器を鳴らし管理会社に通報するのがショッピングモールなのだと思う。
 参議院に黒川紀章が立候補していて、以前浅草に住む友人の桃知利男が「ももちどぶろぐ」でも書いていた、氏が70年代に訳したジェーン・ジェコブスの『アメリカ大都市の死と生』という書籍を再び思い出して繰ってみると、「街路に対する信頼がないということは街路にとっては一つの災難である。街路に対する信頼を高めることは制度化しえないものである。といっても、街の一人一人の個人に委ねてしまうという意味ではない」(P69)という一節に出くわした。
 今でも黒川紀章が街や街路に関してそういう見方をしているのなら、氏は東京なので1票は入れられないにしても、わたしも政見放送ぐらいは聞いてみてもよい、などど思うのであった。

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2009年05月20日 17:46

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放置自転車のワーストは大阪市ではなく、首都東京、東京特別区です。いい加減、大阪人は自虐的に言う、露悪的に言うのをやめた方がいいです。PRするならまずちゃんとした数字をPRするべきでしょう。自転車所有台数辺りや駐輪場辺りの台数など、ちゃんと検証すべきです。最多やワーストと並べ立て、煽って対策ができると思えません。

投稿者 N : 2009年06月18日 16:33

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