「街的」ということ お好み焼き屋は街の学校だ

編集責任者:江弘毅を始めとした京都・神戸・大阪の編集集団

「街的」ということ お好み焼き屋は街の学校だ

 2010年11月11日 19:37
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著/江 弘毅
講談社現代新書 2006年
書き下ろし。「街的」という言葉は、「ミーツ」時代の仲間うちの符牒のような造語である。その「『街的』とは何か」に迫った著作。メディアの中にある情報としての都会と街、記号消費と生活文化、街で大人として生きること...といった現代の諸問題にダイブする。当初、副題が「『いなかもの』と呼ばれると人は悲しい」だったが、それでは東京で売れないとのことで、そうなった(思い当たる人は、恥ずかしくてレジに持って行けないそうだ)。メディア関係のみならず、まちづくりコンサル系にも広く読まれ、現在3刷。この一冊の上梓で、京都精華大の非常勤講師(まちづくり論)に招かれることになった。書評は週刊文春の「著者は語る」、論座(井上章一さん)、クロワッサン、日経新聞、神戸新聞など。
江さんの言う「街的」なる概念は『「街的」ということ』(講談社現代新書)に本一冊使って論じられているが、新書一冊読んでも「街的」ということはやっぱりよく意味がわからない。どうして意味がわからないのかについては、かくいう私がその本の解説に「〈街的〉の構造」なる一文を寄せているので、そちらを読むと「どうして意味がわからないのかがわかる」ようになっている(行き届いた気遣い)。(「街的の骨法」 09.04.14 HP「内田樹の研究室」)

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