現在新世界に建っている通天閣は2代目。初代の通天閣は1912年、内国勧業博覧会の跡地に、ルナパークと一緒に建設された。初代のデザインは現在とは異なり、パリの凱旋門の上にエッフェル塔を載せたという、「どや建築」ならぬ「とんでも建築」だったのだが、ルナパークと展望台がロープウェイで結ばれ、大阪名所として大いに賑わった。しかし初代通天閣は1943年、火災にあって解体されてしまう。
戦後、街の復興には通天閣の再建しかないという声が地元であがり、商店主らが出資して会社を設立、様々な苦難を乗り越えて1956年に再建した。2代目通天閣の設計を依頼されたのは、昭和の塔博士として知られる構造家・内藤多仲。ちょうど通天閣再建の機運が高まった頃に、名古屋のテレビ塔を完成させていた。東京タワーも内藤の設計だ。
内藤は数多くの塔を設計しているが、電波塔などの機能を持たない純粋な展望塔は通天閣だけで、頂部に設けられた頭でっかちな展望台が特徴。八角形の塔身が上にいくほどすぼまって、四角形になるデザインもユニークだが、そういえば大阪の建築家・安藤忠雄がデザイン監修を務めた東京スカイツリーも、三角形から円形へと変化していくシルエット。安藤さんはもしかしたら、地元の通天閣をヒントにした、のかもしれない。
通天閣の高さ103mは、現在の都心では決して「どや顔」できるような高さではない。周囲に高層ビルが建ち並び、遠くからみると今にも展望台がスカイラインに埋もれてしまいそうだ。竣工当時の写真や絵はがきには、周囲に遮るもののない通天閣がそびえ立っているが、現在の展望台から望む景色には、マンションのバルコニーに干された洗濯物が目に入ったりもする。そして2013年、高さ日本一を誇るあべのハルカスが完成、高さ300mは通天閣の約3倍で、通天閣ははるか上空から見下ろされる立場になってしまった。
それでも、通天閣が「どや建築」であることは全く変わらない。大阪の街のどや精神、新世界の心意気が宿ったシンボルなのだ。