太陽の塔を大阪の「どや」認定することに異論はないと思うが、これは建築なのか?と思う人はいるかもしれない。いうまでもなく太陽の塔は芸術家・岡本太郎の代表作だが、当時万博に足を運んだ方なら覚えているだろう、太陽の塔は内部に展示空間をもつ、他のパビリオンと一緒に建設された、ひとつの建築物でもあった。
万博開催時、この場所には会場全体の中心であるお祭り広場が設けられ、中央にそびえる太陽の塔は、世紀の祝祭のまさに象徴だった。広場の上空には当時の日本を代表する建築家・丹下健三による大屋根が架けられたが、太陽の塔はその屋根を突き破るようにして立ち、科学と技術の進歩を高らかにうたいあげた100を超えるパビリオン群のなか、象徴である太陽の塔だけが、全く異質な姿で強力な「何か」を発し続けた。
大阪の勢いがピークに達した万博から半世紀が目の前に近づく今、周囲のパビリオンや大屋根は姿を消して、万博会場は緑豊かな公園に育ち、太陽の塔だけが残された。太陽の塔は今もなお、両手を大きく広げ、虚空に向かって「どやっ」を叫び続けている。
なお、太陽の塔は耐震補強工事を経て、「生命の樹」のある内部空間が常時公開されることが決定した。