第10回 公共建築 ③

新陳代謝を繰り返す建物

文/高岡伸一
絵/綱本武雄

 公共建築の最後の回に紹介するのは、日本が世界に誇る国立民族学博物館、通称「みんぱく」だ。みんぱくには世界各地の民族や文化を特徴づける34万点の標本資料、7万点の映像・音響資料、そして65万点の文献資料が収集され、日常に使われる生活道具から、祭礼に用いられる衣装など、ありとあらゆるモノが展示空間を所狭しと埋め尽くしている。1977年、大阪万博の跡地に開館し、あの知の巨人、梅棹忠夫が初代館長を務めた。
 みんぱくには、決して軽い気持ちで行ってはいけない。軽く見て回るだけでも、余裕で2時間はかかってしまう。腰を据えてじっくり観察しようものなら、1日ではとても足りない。人類の営みをダイレクトに伝えるモノの力に感動し、世界を凝縮した濃密な展示に脳は痺れ、見終わったあとはヘトヘトになってしまう。世界の果てから膨大なモノを集めてきた研究者の執念には圧倒される他ない。交通アクセスが不便なのが難点だが、何度でも足を運びたくなり、行けば必ず新しい発見と感動を与えてくれる。本館展示の他にも所蔵品と美術作家のコラボレーションを試みたり、意欲的な企画展、特別展を催すなど、話題性にも事欠かない博物館だ。

 みんぱくは万博記念公園のちょうど中央付近に建っている。万博時にはスイス館があった辺りだ。公園のゲートから10分ほど歩いて行くと、人工池の背後に、万博後40年の歳月を経て生い茂った樹木に囲まれた、灰色のシックなタイルとアルミの鈍い輝きのコントラストが印象的な建築が現れる。
 みんぱくを設計したのは建築家の黒川紀章。晩年は政治活動などを通じてエキセントリックな言動がマスコミで面白おかしく取り上げられたりしたが、彼の残した作品と建築思想は、日本の現代建築に大きな影響を与えた。間違いなく、20世紀の日本を代表する建築家の一人だ。
 黒川は1960年代、日本の都市が急成長した高度経済成長期に提唱された、新陳代謝を意味する「メタボリズム」という建築運動で中心的な役割を果たした。建築を固定したものではなく、生物のように新陳代謝していくものと捉え、古い細胞が新しい細胞へと入れ替わっていくように、建築も必要に応じて成長、更新されていくべきだと主張した。彼らの運動は世界的にも影響を与え、その功績を振り返る大規模な回顧展が、2011年に六本木の森美術館で開催された。
 メタボリズムのアイコンとしてよく取り上げられるのが、カプセルのような住居ユニットを積み上げた黒川の代表作、東京の中銀カプセルタワーだ。大阪にも心斎橋にソニータワーがあったが、残念ながら既にない。メタボリズムの熱気は1970年の大阪万博でピークを迎えてその後終息していくが、みんぱくで黒川は広大な敷地にあらかじめ余地を残し、40m×40mの展示空間ユニットを並べ、将来建築が増殖していくことを想定した計画を提案した。そして1977年の竣工後、増え続ける収蔵品に合わせて、これまで何度も増築を繰り返してきた。メタボリズムは理念としては大きな影響を与えたが、実際のところ実現した建築作品が新陳代謝していったかといえば、ほとんどが完成した当時のまま更新されることはなかった。そういう意味でみんぱくは、博物館の機能とうまくマッチして、メタボリズムの思想を体現してきた貴重な作品といえるだろう。

 さて、「大阪名所図解」もこれで最後だ。これまで大阪にある数多くの建築などを紹介してきた。それらは造形物として鑑賞される美術品ではない。ここで紹介してきた「名所」はあくまで使ってなんぼ、使われてなんぼの存在である。数多くの人がそこへ足を運んで身を置き空間と関係を結ぶことで「場」が生まれ、それが折り重なり堆積することで余所にはない、ここだけの「場所」へと育っていく。この連載で取り上げたのは必ずしも「観光名所」ばかりではない。ありふれた都市生活の背景に溶け込んで、普段意識することのない空間もある。しかしそんなありふれた日常を構成している場所の存在こそが、大阪を大阪たらしめている正体であるはずで、大体私たちはその場所が失われたときに初めて、その存在のかけがえのなさに気づくことになる。
 みんぱくには道具だけでなく、民家や集落なども展示されているが、例えば50年後とか100年後、増殖を続けるみんぱくに「大阪」という展示コーナーが設けられたとして、ここで取り上げた建築や街場が紹介されたら、訪れた未来の大阪人や世界の人々は、そこから何を読み取るだろうか。私たちが全く意識しないような部分から、現在のステレオタイプな大阪イメージとは全く異なる、しかしどうしようもなく大阪的な固有の価値を、そこに読み取ってくれるのではないだろうか。みんぱくの中央には「未来の遺跡」と名付けられた大きな中庭空間が設けられているが、みんぱくに引っかけて少々大げさにこの連載を閉じさせてもらうならば、私たちは、現代の大阪という「未来の遺跡」に生きている。