阪急の中でも中津駅と一、二を争う「狭い駅」として知られる春日野道駅。ホームの一番狭いところで2.5mというから、特急が通過する瞬間はちょっと怖いぐらい。高架駅なのでホーム幅を広げるわけにもいかず、エレベーターのない「ノンバリアフリー」な駅として、ベビーカーや重い荷物を持っている時にはとても不便な思いをしていたが、ついに2022年、ホーム柵とエレベーターの設置、および東改札口の新設工事が始まった。
待ち合わせするなり綱本さんから、「あのベンチ面白いですね」との声。春日野道駅は限られたスペースに、ベンチやゴミ箱、トイレ、自動精算機、スタンプ台、TOKKラックなど、様々な駅設備や備品をパズルのように収めていて、思わず感心してしまう。さらに工事が始まって、どのようにスペースをやり繰りするのか興味津々だ。
駅北側に出ると、笑顔のナマズのアーチが架かる「かすがの坂商店街」が山へまっすぐ伸び、枝分かれするように「中西市場」「大日商店街」が東へ続く。どちらも昭和以前は灘浜重工業エリアの従業員の街として買い物客でにぎわっていたが、工場の移転に伴い(跡地が兵庫県立美術館のある「HAT神戸」だ)人通りが激減。時が止まったような場所になってしまっている。
付近の阪急・JRの高架下は、自動車整備や板金塗装の工場に交じって、オーダーメイドの家具店やアトリエなどが近年オープンし、新旧ものづくりエリアとして面白い景観を作っている。大きな音を出せる、振動OK、高い天井など、通常の物件ではかなわない条件が、ぴたりと揃っているからだろう。『TOKK』の連載「阪急沿線ちょい駅散歩」で取材した[一の宮ベーカリー][お好みハウス ひかりや]も高架下で健在だった。
「ただ者ではない」街道市場のプロショップ
さて、今日のメインである駅の南側へ。「春日野道商店街」が浜手へ伸び、阪神春日野道駅までを結ぶ。こちらは新しいお店も多く活気がある。だが、春日野道の「真打ち」は、商店街から300mほど西にある「大安亭市場(おおやすていいちば)」だ。ここは「市場」というだけあって、生鮮食品のお店が特に充実。八百屋さんだけで10軒以上もあり、店先にはちょうど夏野菜が山盛りだった。どれも新鮮で安い。お肉屋さんも多く、その中の[モリシタ精肉店]では、ハチノス、ツラミ、テール、タケノコ、コブクロなどなど、牛肉の様々な部位を売っている。珍しい部位でも買って、今日は焼肉にしようかな、という気分に誘われる。
また、多国籍なお店も増えていて、韓国や中国の食材、インドのスパイスも手に入る。肉も魚も野菜も世界の食材も、種類豊富で新鮮なので、三宮・元町界隈の料理人が仕入れに来るというのも納得だ。もちろん、おそうざい店や豆腐屋さん、お肉屋さんの作る焼鳥やコロッケなど、庶民のグルメもスタンバイ。ここが通勤経路だったら、夕飯のおかずや晩酌のアテに困らないのになぁと羨ましくなる。
大安亭市場の南端には、旧西国街道が通る。阪急沿線を歩いていると、高確率で出くわす旧西国街道。京都から九州・太宰府までを結び、官民ともに多くの旅人が歩いた幹線道路だ。芦屋・打出浜で、内陸部を大名行列などが通る「本街道」と、海岸沿いを進む庶民の生活道路「浜街道」に分かれ、神戸・生田筋で再び合流。沿道はにぎわい、市が立ち、宿場町が栄えた。そうして見ると大安亭市場のにぎわいも、西国街道の長い歴史の一部なのだと感慨深い。
歩き疲れてきたので綱本さんとひと息つけるところを探していると、[大安亭 エンヂニア珈琲店]という店を発見。これ幸いとアイスコーヒーを頼むと、「氷を使わず冷やしてます」という。なんとも飲みやすく、香りも強い。DIY感満載の店内も、何台も並んだエスプレッソマシンも気になる……! 思い切って店主に聞くと、元はエスプレッソマシンのエンジニアだったという。機械のメンテナンスはもちろん、不具合が起これば解体・修理まで自分でこなす。マシンを良い状態に保つことが、美味しいコーヒーを淹れるための重要なポイントなのだと熱く語ってくれた。焙煎も手掛け、徹底的に品質管理。「変態的なこだわり」そんな言葉がふと頭に浮かぶ。
熱量に圧倒され、自宅で飲んでみたくなったので「モカ・ゲイシャ」という豆を購入。自宅で淹れてみると、ふくよかな香りとふわっとした甘さ。こんなスペシャリストが、しれっと市場の一角で珈琲店を営み、1杯400円の庶民価格でハイレベルコーヒーを出しているなんて、恐るべし大安亭市場!