電車の発着時以外はとても静かな駅。ピン、ポン、パン、ポンという視覚障がい者向けの音声案内がよく響く。設置された駅スタンプの印影が濃く、この駅で降りる観光客が少ないことが窺える。地元の人のための駅なのだ。
阪急塚口駅に接続する3駅だけの支線、阪急伊丹線。神戸線と同じ大正9年(1920)7月16日に開業したが、当初は終点の伊丹駅しかなく、中間駅である稲野駅は翌大正10年(1921)5月10日に開業。阪急のお家芸でもある、沿線の住宅地開発に合わせて駅が設置された(隣の新伊丹駅は1935年開業)。
稲野駅の東側に出てみれば、趣のあるタバコ屋さんが一軒。その奥に住宅街が広がる。この街に住む友人によると、『すみれの花咲く頃』の作詞家としても知られ、“レヴューの王様”と呼ばれた宝塚歌劇の演出家・白井鐵造(1900〜83)が友人宅の向かいに住んでいたという。とても気さくなロマンチストで、遊びに行くと孫のようにかわいがってくれ、誕生日には「えみちゃん、おめでとう」とスミレの花束をプレゼントしてくれたのだという。
住宅街を抜け、かつて「大手前大学 いたみ稲野キャンパス」があった場所は、移転に伴い広大なマンション用地として開発が進んでいた。約1,000人の学生が通った場所は、どのように変貌を遂げるのであろうか。隣接する「伊丹市立稲野公園」には、変わった形の自転車や一輪車で遊べる運動施設がある。年季が入ったオモシロ自転車たちは大切に整備され、マンション完成後は令和の子どもたちの思い出になるのだろう。大規模マンションで景色が変わり、新旧住民が交じりあい、街は変わっていく。暑さに負けてベンチでペットボトルの水を飲み干しつつ、綱本さんとそんなことを話した。
百舌鳥古墳群でおなじみの形がここにも!
駅に戻って、西側へ。駅スタンプのモチーフにもなっている「御願塚古墳(ごがづかこふん)」を目指す。バスの停留所がなく、家族の送迎専用のような小さなロータリーから[いなの商店街]を歩く。5分もすれば、水路に囲まれこんもりと木々が繁る小さな山が見えてくる。
御願塚古墳は5世紀後半に造られたとみられ、上空から見た形から前方後円墳の一種である「帆立貝形古墳」(世界遺産である百舌鳥古墳群44基のうち8基はこの形)に分類され、兵庫県指定文化財に指定されている。水路は古墳を囲む周濠で、発掘調査では円筒形埴輪が多数出土したという。墳丘の頂上には神社があり、参拝できる。感心するほどよく管理された木々が印象に残り、後で調べてみたところ、地元自治会や企業からなる「御願塚史跡保存会」が清掃・剪定・笹刈りなどを毎月実施しているというから驚いた。
春には桜の花見と「つつじまつり」にカモの子育て、夏にはザリガニ釣り、秋は紅葉にカワセミが訪れ、冬は濠に氷が張る。四季折々の自然が、まるで自宅の庭のように身近にあることは、どんなに暮らしの潤いになるか。文化財がこうして地域の憩いの場として、愛されているのって素敵だなと思う。
伊丹の市鳥でもあるカモが暑さから逃れるように木陰へゆっくりと泳いでいくのを見て、綱本さんと帰路につく。一戸建てのような三角屋根の駅が、住宅街に溶け込んで、私たちを「おかえり」と迎えてくれた。