酒場を情報誌やガイドブックに書くことは難しい。とくに酒だけが店の商品であるバーについては文章技術とかでは書けない。
ある店を雑誌のバー特集に載せるとする。
それはきっといい店だから掲載されていて、その店が「選ばれている」、というのが特集全体のなかでの大きな情報の一つであるが、それ以上は、店に取材に行って何かを聞いてきて書いても一つも面白くない。
たとえバーAではうまいビールはキリンかアサヒかサントリーかサッポロかヱビスビールだし、しびれるマティーニはゴードンかタンカレーかで、ベルモットはノイリーかチンザノといったところで、そのレシピは…、というようなのを書いてもしょうがないのだ。
ラーメンの特集みたいに麺の加水率だとかスープは豚骨50%、鶏ガラ30%、煮干し20%とかのデータではないのだ(これもこれでしょうもないと思うが)。
隣のページに載せるバーBもまったく酒の銘柄とレシピが同じだったりして「これではあかん。誌面になれへん」となる。
その店に飲みに行くと、「この銘柄です」と使った酒はカウンターに置かれるが、そのラベルは初めて行っても誰にも見える。料理屋と違うところはそこのところだ。
店は「行ってないと書けない」。取材だけでは書けないのだ。
つまりその酒場でどう過ごしたのかなど、客(自分)とその店の関係性によってでしか読むに値する文章は書けないからだ。
だからこそ、その酒場に初めて行った書き手は「物語」つくる。これはライターにとって非常にハードな仕事となる。
その店で出すシングルモルトの蒸留所やハイランドやアイラ島の物語(正しくは蘊蓄)を書いたとて、マニアの人には面白いかも知れないが、基本的にその酒場やその店がある街の話ではないから的外れなことになる。
「その店の物語」の場合だと、それがイケてない話になってしまうと、目も当てられない。
そういうことはMeets誌をやり始めた頃から、なんとなくわかっていた節があって、だからか特集タイトルは「酒場実況中継」だった。
わたしがミーツをやっていた頃、この「酒場実況中継」は毎年恒例のように特集していて結構売れた。
街場ではとくに反響が大きかった。
その4分の1ぐらいが、「なんでこの店、出てるんや」と「書いてること違うやん」というブーイングだった。
そんな中でミーツの書き手や編集者たちは手足をばたつかせていた。
そして後に「日本初の酒場ライター」と言われることになるバッキー井上らは、確かにある種のある部位の筋肉が鍛えられるように「書ける」ようになっていく。
独特のその文体やメッセージ的なコンテンツは、それまで類がなかったので、たちまちファンを獲得した。
それを真似る新人ライターも多かったが、まだそこのところの筋肉の使い方を知らないライターの書く酒場の記事は、新聞のコラムを読まされているようで、少々イタかった。
街の雑誌にはその雑誌の手触りや体温や匂いがあるのだ。
バッキー井上が書いた[バー・ウイスキー]。
バーで何かを求めない。ただ喉が鳴る。
バー[バー・ウイスキー](大阪・道頓堀)
ミナミに行く用事があるとそのスケジュールが夕方の5時近くに終わるように必ず段取りする。道頓堀の[バー・ウイスキー]に行きたいからだ。俺はこのバーが好きだ。だからこのバーには男女を問わず大好きな奴としか行ったことがない。だからたくさんの奴と行ったがそのすべての顔をハッキリと覚えている。その時にどんなことを話して何を飲んだかもほぼ覚えている。
バーで何かは生まれない。生まれると思うのは錯覚に過ぎない。バーは何かを失いにいくところだ。知ってか知らずかそれを潜在的にわかっている奴と飲む酒はうまい。それが[バー・ウイスキー]であれば至福である。マスターの小野寺さんもそれを知っているからだ。だからマスター小野寺さんのシャツのカフスが長い。ピールを宙でふる。バーは空気だと言いたげだ。
大人という単語をむやみに使っている雑誌は気色悪いのは、物欲しげだからだ。いいバーに行きたい相手は「もういらん」と言いたげな奴だ。雨が降っているからバーに行こう。寒いからバーに行こう。気分がいいからバーに行こう。したいことなどないからバーに行こう。マスター、今宵また我々をよろしくおねがいします。我々は何も言いません。
とても「行儀が良い」文章だ。視点からして、そう思う。
そして井上は単行本化するにあたってこう書き足した。
[バー・ウイスキー]
ずいぶん昔にこの店に取材に行ったことがある。その時こんなやり取りがあった。
「創業は何年ぐらい前ですか」
「昔のことは振り返りませんけどな」
「失礼しました。お酒を注文させてもらっていいですか」
「いけるくちですな」
などのやり取りから始まって俺はこの手練れマスターからの貴重な言葉をたくさん引き出しコースターにメモしていた。曰く、
「同じオーダーでもお客さんのアレで微妙にバランスを変えますわな」
「お客さんもノドを鳴らすわけですわな」
「酒飲みの気持ちとかにならんと全然ダメですわな、こういう仕事は」
「バーなんていうのは商売やないからね。ひとりの生き方やからね」
「そら自分が酒飲みやないと意味がないですわな」
こんなことを俺はメモしていた。俺はこの店の、コースターが世界一好きだ。そして今まで何枚持ち帰ったかわからない。小野寺さんすみません。
ウォッカマティーニは体の中を流れていくのが感じられる頃に飲むと格別。無理して飲んじゃいけないと小林幸子の歌だったが。俺はマスター小野寺の信者である。俺もマスターになりたい。大阪市中央区道頓堀2-4-1 シモウラビル地下1階
電話:06-6211-9625
営業時間:5・00PM〜0・00AM
定休日:日曜休
『京都店特撰 たとえあなたが行かなくても店の明かりは灯ってる。』著/バッキー井上
この文章を読んで、いてもたまらなくなったわたしは、カメラを持って[バー・ウイスキー]へ行った。
というのは嘘で、実は自分がたまたま撮った写真を見て、「酒場ライター」があるとしたら「酒場フォトグラファー」というのもアリちゃうか、などと考えてしまったのである。
しかし、この日この夜でやめた。
理由はまた次の機会にでも。
バー・ウイスキー
大阪市中央区道頓堀2-4-1
06-6211-9625