大阪・京都・神戸 街をよく知るからこそできる出版物&オリジナルメディアづくり
「大阪のこと知らんかった」と知った『アルキメトロ』の2年半

担当/中島 淳

OsakaMetro(大阪市高速電気軌道株式会社)のシニア向け沿線行楽フリーマガジン『アルキメトロ』が第10号「記憶をのせて  祝! 御堂筋線90周年」を最後に発行を終了した。

コロナ禍真っ最中の2020年10月に、「自然や植物をテーマに、OsakaMetroや大阪シティバスでアクセスできる、沿線の行楽情報を届ける」ことを目的に発刊されたフリーマガジンで、140Bが企画・編集を最終号までずっと担当させてもらった。

発行元が「名の通った企業や行政機関」である場合、担当者によってメディアの「手ざわり」はホンマに左右される。

その人が会社上層部のご意向(多くは訳の分からんことが多いが)を配慮し過ぎてしまうと、忖度ブレーキがはたらいて記事の中身や誌面のノリにまで口を挟んでしまうことがよくあるのだが、『アルキメトロ』担当者のKさんやSさんはむしろ「もっと面白くしたい」ことにベクトルが向く人たちで(それでも社内調整は大変だったと思うが)、私らも「期待に応えんとな」という感じでページを作った。奥付には弊社のクレジットも入れていただいた。有り難かった。

「面白がって仕事する」スタッフに恵まれた

当初は取材先・掲載ネタは感染リスクが少ない「野外」というのが重要で、どちらかというと「飲食・物販店」「美術館・博物館・図書館」が多かった弊社的にはあまりなじみのないジャンルだった。

それなら、これまで仕事をしたことがない人たちとこの新しいメディアを立ち上げたほうが面白い……ということで、表紙と誌面デザインは画家でグラフィックデザイナーの神谷利男さんにお願いした。岡本京子さんが第4号まで編集を担当してくれて、『アルキメトロ』という見事なネーミングと第1号の企画案「世界有数のバラの都・大阪」を考えてくれたので、それをもとに神谷さんはコンペに提出する表紙と誌面デザイン案を仕上げてくれた。

自作のバラの絵と、遊び心があってシュッとしたロゴ。

一瞬で「コレはいけますな」であった。

せっかくなので……とプレゼン当日にこの表紙をB全ポスターにして3人がかりで広げて披露したことでとどめを刺したかもしれない。神谷さんは食品のパッケージデザイン(ロッテ「Ghana生チョコレート」や東海漬物「きゅうりのキューちゃん」など)も数多く手がけているので「一瞬で人の目を惹ける」引き出しが実にたくさんあったのだと思う。

神谷さんの驚異的なところは、毎号フルカラーで3案、表紙を描き下ろしてくれたことである。通常、イラストの表紙を制作する場合はモノクロの下描きを2案ほど出して、OKが出た方を清書・着色してもらい、その画像に文字をデザインして印刷入稿することが多いのだが、神谷さんはすぐにでも印刷できるような精巧な表紙を3案つくってくるのだ。

「これは悩ましすぎるな〜」OsakaMetroに送る前に、弊社スタッフの間でもいつも意見が分かれていた。

 

第5号からは放送作家の奥村康治さんが企画と執筆を数多く担当し、大阪城公園や淀川べりなどの野鳥観察に携わる人たちが協力してくれなかったら絶対に実現しなかった「とりどり大阪」をつくることができた。

第6号では企画と執筆に放送作家の関真弓さん、編集に川嶋亜樹さんが新たに加わり、「ハスの沼へようこそ」という超季節限定のエッジな特集も展開することができた。

 

第7号あたりから当初の「植物や自然」という縛りも徐々にユルくなり、以前から上町台地界隈の情報紙『うえまち』に子どもが読みやすい連載「大阪をつくった『なにわのヒーロー』」を執筆していたライターの須藤みかさんに「大阪ヒーロー推しの旅。」を取材・執筆してもらった。

この号のみ、井上ミノルさんにヒーローのイラストを描いてもらい、それをもとに神谷さんがヒーローたちの頭文字をロゴ風にデザインした。華やかでカラフルな表紙である。

月面のクレーターにも名を残す江戸中期の天文学者・麻田剛立(あさだ・ごうりゅう)の頭文字は「ジョルジオ・アルマーニとおんなじG.Aやな」なんて話を打ち合わせの時にしていたが、それを聞いていた神谷さんが表紙にさりげなく活かしている。手練れである。

「身体を現場に連れて行く」意味を思い知る

筆者の一番の思い出は、何度も足を運んで書かせてもらった第3号「大阪『八低山』をゆく」である。

古くは4世紀末〜5世紀初頭に築造された帝塚山古墳から、新しきは「SWEET MEMORIES」を松田聖子が歌っていた昭和58年(1983)に誕生した鶴見新山まで、すべて「人間の手で造った」8つの低山をOsakaMetroや大阪シティバスでめぐる特集である。

山を造った目的も、時代とともに大きく変わっている。

「支配者の埋葬」「軍事要塞の構築」「船舶通行のために河川を浚渫し、その工事で出た土砂の観光地化」「廃棄物を盛土で埋めて公園緑地造成」など実にバラエティに富んでいるが、一番高い鶴見新山でも標高39mしかない。

ふるさとの山に向ひて言ふことなし(啄木)は好きな歌であるが、頂上の手前まで来ないと「向ひて」になるような状況にはならないような、低い山ばかりである。

それでも、大阪の歴史の中で1500年ほどの時代変化を文字通り体感でき、1日乗車券を使えば八低山をその日のうちに回ることができて、それぞれの街の食堂やカフェ、パン屋さんに立ち寄れば幸せは増すばかり……これにハマり、この号の取材から何度も八低山をめぐっている。それぞれの山には古代から現代までゆかりの「人」がいるが、それはまた時期を改めて書きたい。

8つの山で筆者が一番「山らしい」と感激した大正区の昭和山(標高35m・1970年造成)に対しては、作家の柴崎友香さんが芥川賞を受賞する直前に『大正島(アイランド)体感地図』(大阪市大正区)に寄稿してくれたテキストを読んだ時からずっと気にはなっていたが、7年後にやっと「登頂」が実現した。

昭和山頂上直下からは、土の山道で登れる

登った感想はただ一つ。「現場に来てみんと大阪は分からへんなぁ」である。

こんなに素晴らしい場所が、工場や巨大構造物が建ち並び、表通りを大型車両がひっきりなしに走る大正区にあったとは。そんなことも知らずに40年近くの間「大阪の編集者でござい」と言うてたのがほんまに恥ずかしい。

『アルキメトロ』の日々は、イコール大阪に対する自らの無知に毎回気がつく日々であった。そんな経験を与えてくれたOsakaMetroや愛読してくださったみなさまに心より感謝したい。

誌面に寄稿し、写真を撮影・ご提供いただいた小林渡さん、藤田雅矢さん、髙岡伸一さん、髙島幸次さん、馬場尚子さん、陸奥賢さん、伊藤廣之さん、元山裕康さん、小川流水(清)さん、小川勝章さん、湯川真理子さん、浜田智則さん、北川央さん、Brenda Chenさん、吉川公二さん、釈徹宗さん、橋爪節也さん、大西ユカリさん、楠木新さん、武部好伸さん、松井宏員さんたちにお礼を申し上げたい。

そしていきなりの「飛び込み」取材にもご協力いただいた関係者のみなさん、『アルキメトロ』をお店や施設に配架してくださった大阪の街のみなさんに、ほんまにお礼を申し上げます。

ありがとうございました。また別なところでお会いしましょう。

『アルキメトロ』のバックナンバーはこの行をクリックしたら全10号ともダウンロードして見られます。