担当/中島 淳
前回のブログに書いたように、父の「10の伝言」を胸に15歳で周防大島(山口県)から大阪に出てきた宮本常一は、逓信講習所(桜宮)の生徒募集を目にして叔父の勧めに従って受験し、合格する。
翌大正13年(1924)には大阪高麗橋郵便局で宮本の社会人生活が始まるのだが、郵便局員として採用された彼が、どのようなプロセスを経て「民俗学者」へと成長していったのか……。
とりあえずは宮本常一『民俗学の旅』(講談社学術文庫)に登場する大阪の地名を列記する。
釣鐘町の長屋(郵便局員時代に間借り)
東区と呼ばれていた範囲の街路ほとんど
堂島川、土佐堀川、安治川、天保山
松屋町筋(駄菓子屋・玩具屋)天神橋六丁目、天王寺公園
長柄橋、都島橋
大阪府天王寺師範学校(天王寺区南河堀町)
泉南郡有真香小学校(現・岸和田市立修斉小学校)
釘無堂(孝恩寺観音堂・貝塚市木積)
泉南郡田尻小学校(田尻町嘉祥寺)
泉北郡北池田小学校(和泉市池田下町)
大阪朝日新聞
南河内郡高向村滝畑(河内長野市滝畑)……etc.
といった大阪市内・府下の各地に、1920年代、30年代における宮本常一の「足跡」がある。
それらの場所でしかきっと会えなかったであろう人間や事物と出会うことによって、宮本常一は民俗学者への扉を開き、後世「旅する巨人」として日本の民俗学や人の記憶に残ることになるのだが……
若き日の宮本常一は大阪のこれらの場所で、どんな人や事物に出会って「覚醒」したのであろうか。
11月17日(金)のナカノシマ大学「フィールドワーカー・宮本常一を覚醒させた大阪の日々」で、畑中章宏さんが詳しくお話しします。
どうぞお楽しみに!