担当/中島 淳
7月18日(木)のナカノシマ大学に向けて、講師の陸奥さんから『沙界怪談実記』の50篇を送っていただいた。
これらの怪談集はすべて「具体的な発生場所」が明記されているので、まち歩きにもうってつけ。怪談自体に「所在地」のタイトルが付いているのである。
「一、絹屋町の妖怪」「二、北蛇谷の飯縄の法術」「三、川尻町の老獺」「四、高須町に鬼の腕ありし話」「五、櫛屋町の戯れ狸」「六、万代庄金口の異獣」「七、寺地町大道より古銭掘出す」「 八、少林寺町の地下より古碑出土」などで、今はなき地名もあるが、かつての地図(前回のブログで投稿したアレです)を見てみると出てくる出てくる。
地図を拡大してオレンジの印をつけていたら結構な数になった。
それを今の地図に落とし込んだのが下のこちら(青いのが「怪談」の現場)。
京や大坂と同様に、堺も旧市街地は街の構造が基本的に変わっていないので、「かつての現場」をたどりやすい。
陸奥さんは、この『沙界怪談実記』の現場めぐりもライフワークにしていて、そのツアーは外国人観光客も参加するほどの人気コンテンツになっている。
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その怪談50篇を読んでみたら(古文なので大雑把にしか分からないが)、「もののけ」が出てきて人間に悪さをするというのが多く、「もののけ」は、狐や狸のほか、大蝦蟇(オオガマ)とか獺(カワウソ)とか、想像上の動物である「河童」も出てくる。
「河童」と言えば水木しげるのマンガを思い出すが、そんな可愛いものではなく、人間を咬み殺してしまう困ったヤツと書かれている。
子どもが聞いたら恐ろしいから早く寝よう、夜遊びせんとこ……と思うだろうから、青少年教育に「怪談」はきっと役に立ったことはずである。
というより、18世紀半ばの堺はすでに刺激が満載の都会だったから、子どもが悪さをせんように、このような物語をこしらえて「教化」していったのかもしれない(筆者の勝手な推測ですが)。
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35番目の怪談「千日橋下より霊泉湧出す」という話は、もののけも出て来ず、「怖い話」ではない。
「明和元年(1764)、堺の北の端、千日橋のあたりの堤の中腹からにわかに清水が湧き出た。当時ここに漁夫がいて、脚気で足が痛んで難儀していた。ある夕暮れ、僧が一人来てこう告げた。
『近々、お前の家の辺りに霊泉が湧き出るだろう。これは高野大師(弘法大師)から賜わられた霊泉だ。諸病に効く。痛む足を浸せばすぐに治るだろう。大師のお恵みに感謝せよ』
と言って僧は去り、その後の行方は知れない。漁夫は怪しくも思ったが、千日橋の堤に湧き出た流泉に『これは大師の教え』と足を入れると、次第に痛みが去っていき、完全に回復したと漁夫が伝えている」
「怪談」とはちょっと毛色が違う感じもするが、これも一種の「人智を超えた」超常現象なので、『沙界怪談実記』の50篇に加えられたのであろう。なかなかバラエティに富んでいる。
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この話を読んで、2年前のことを思い出した。
陸奥賢さんが主催する「堺七墓巡り」のツアーで、「七墓」のほかにこの井戸も立ち寄ったのである。
残暑真っ盛りの9月上旬。20人ほどのメンバーでJR阪和線の浅香駅に集合し、駅の周辺の神社や史跡を巡った後、JR堺市北の東雲公園と東雲墓地(前回のブログで紹介)を散策してから昼食を摂って旧市街地に入り、月蔵寺(がつぞうじ)や紀州街道を経て、一番北にあるこの「千日井」にたどり着いたのであるが(他所の人には何のことかぜんぜん分からないと思いますが、すでに軽〜く6kmは歩いている)、隊列も長〜くなって、みなさんバテバテ。
陸奥さんはここでかなり大事なことを解説しておられたと思うのだが、お恥ずかしいことながら覚えていない。しかし今から考えると、ほんまに大事なところに寄っていたのだなと心から思う。その証拠に写真は撮っているし。
ファミリーマートの近くにある車道沿いにこんな場所があった。まち歩きをしていると、何百年も前の「過去」が、「現在」の景色の中に急に出現してくる。
それらは大抵、「今までに見たことがあるもの」なのであるが、先達が現場でその「過去」の物語を紹介してくれると、これまでと違った景色が立ち上がって、ぜんぜん違うところに来たような気さえする。
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なので7月18日(木)のナカノシマ大学では、陸奥さんの話を通して「怪談」という視点からあたらしい堺の街を発見してほしいと思います。
当日の講義だけで飽き足らない人は、現地のツアーもあるのでお楽しみに。よその国の人たちと楽しく回りましょう。