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4月23日のナカノシマ大学で販売する、河井寛次郎の本

担当/中島 淳

左は1,760円。右は1,870円(税込)。右には『島根新聞』での河井のインタビューや盟友・柳宗悦(1889〜1961)の寄稿も載っている。両方とも中島の私物ゆえシワや汚れが目立ちますが、当日販売するのはもちろん新品です(笑)

おかげさまで受講申し込みも定員に達し、あとは「キャンセルを見越して」いつ締め切ろうかと考えている4月23日(水)のナカノシマ大学「炎の人、言葉の人。生誕135年 陶工・河井寛次郎と大阪」である。

当日は講師・鷺珠江さんの講義だけでなく、河井寛次郎(1890〜1966)のことをもっと知っていただこうと、講談社さんにお願いして代表的な著書2つを送ってもらい、会場で販売する。

一つは昭和28年(1953)に朝日新聞社から初版が発刊され、平成8年(1996)に文庫化された随筆集『火の誓い』。

もう一つは河井の没後40年の平成18年(2006)には文庫の形で発刊された『蝶が飛ぶ 葉っぱが飛ぶ』。いずれも講談社文芸文庫である。

前者も後者も、日々の仕事や旅、民藝のつくり手たちとの切磋琢磨から生まれる陶工・河井寛次郎の「言葉」を丹念に集めた著書。どのページを開いても、今回の講座名にした「言葉の人」である河井の姿が生き生きと浮かんでくる。

タイトルこそ違えど両者はシリーズのような感じで、併せて読むとより面白いかと思う。

どちらの本にも、前回のブログで紹介した河井の一人娘、河井須也子さん(1924〜2012)が寄稿している。『火の誓い』では「人と作品・点描記」を、『蝶が飛ぶ 葉っぱが飛ぶ』では「解説」を書かれていて、異なるエピソードが掲載されている。

記念館の奥にある登り窯「鐘溪窯(しょうけいよう)」。河井が使っていたのは手前の室

前者では彼女の少女時代。民藝メンバーの「たまり場」であった河井家での、バーナード・リーチ(1887〜1979)たちとの懐かしい交友の記憶を紹介している。

長身だったリーチに合う布団がないために、河井の妻で須也子さんの母であるつねさんは自分の着物をほどいて中に綿を入れ、細長い布団を急遽こしらえた。

須也子さんがそれを「八ツ橋のおふとん」と名付けてはしゃいでいたくだりが微笑ましい。

後者には、須也子さんの夫である陶芸家の河井博次(河井の養嗣子/1919〜93)のことも書かれている。

彼女が見た、父・寛次郎と夫・博次による「美のシーソーゲーム」についての記述が印象的だ。博次が「打掛釉」に仕事の突破口を見出し、新境地となる作品を次から次へと送り出すと、その出来栄えを見た河井が「ついにわしを越えた」と手放しで称賛する。

須也子さんはそのくだりを書くのに、きっと胸がいっぱいになったのではないか。こちらの本には二人の対談も載っている。

不世出のクリエイターには、その人の人生を間近に見ていて、没後も作品の価値や人間的魅力を大衆に伝える優れた「翻訳者」がいるかいないかで、その人の歴史的・社会的評価も変わってくるように思う。

中身は開けてのお楽しみです

岡本太郎には仕事と人生のパートナーで彼の養女でもあった岡本敏子がそうであったように、一人娘の須也子さんも見事な「翻訳者」として人生をまっとうされたのではないか。

河井がこの世を去った7年後の昭和48年(1973)に記念館を立ち上げ、開館から52年が経過したいまも国内外から連日、ファンが訪れる場になっているのは、須也子さんや河井家の方々、スタッフの人たちの献身的努力の賜物だろう。
記念館や資料館の維持がいかに大変かは、これまでに鳴物入りでオープンした館の「その後」を知るだけでもう十分だと思う。
4月23日(水)ナカノシマ大学の講師である鷺珠江さんは、河井の孫であり、博次と須也子さんの三女。
須也子さんの「翻訳者のDNA」と河井家に代々伝わる「上機嫌のDNA」を両方持っている、全国的に知られた河井寛次郎記念館の学芸員だ。
だから、話がおもしろくない訳がありません。「締切」になる前にぜひお申し込みください♬

記念館からは写真のおみやげも受講者全員にお渡しします。

受講お申し込みはこちらから→ https://nakanoshima-daigaku.net/seminar/article/p20250423