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5月25日(日)の天神寄席は、札埜和男さんの「大阪弁」

担当/髙島幸次

2025年4月28日発売。1,155円(税込)

5月25日(日)天神寄席にゲストとして登壇される札埜和男(ふだの・かずお)さんから落語ファン、大阪弁好きのみなさまにメッセージが届きました。以下、ぜひご一読ください。

 このたびPHPより『大阪弁の深み−その独特の魅力を味わう』という新書を出しました。

今回の天神寄席のタイトルが「ほんまもん」の大阪弁。テレビや小説、映画などバーチャルな世界で使われる疑似大阪弁ではなく、まさしく大阪の町をフィールドワークして、拾い集めた大阪弁をもとに、「ほんまもん」の大阪弁について使用場面ごとに分析した書です。

フィールドの場は地元・天神橋筋商店街はもとより、遊園地ひらパー、野球場のほか、大阪の裁判所・税務署・警察・役所・学校の現場など「お堅い」ところも含まれます。

 今回、トリの桂塩鯛師匠に「ふたなり」を演じて頂けること、大変嬉しく思います。

  初めて本を出したのが『大阪弁看板考』(1999年/葉文館出版)という、大阪弁のお店を取材し、その由来や店主のライフヒストリーを描いた内容でした。その取り上げた店の中に「いててや」というお店があります(今はもうありません)。最寄り駅は本町でした。店には灘の「白鷹」、アテはイカの足とメザシのみ。大阪弁で「いて下さいね、どうぞゆっくりしていって下さい」という意味ですが、店主に伺うともっと話は奥深かったのです。

「『ふたなり』ゆう落語があって、そこから付けてん。落語の中で娘さんが森の中で首つり自殺して男の者(もん)二人がそれを見に行くんやわ。ほんで二人とも怖なって『(ここに)いててや、いててや』いうセリフがあって、そこから採ったんや。その案出したらここのお店のブレーンの和多田勝さん(1942年大阪生まれ1994年没。6代目松鶴の甥、エッセイスト)や古川嘉一郎さん(放送作家)もOKしてくれはって・・・」(拙著『大阪弁看板考』p.103より)。

 店主の「おかん」は若野淑子さんという雑誌『上方芸能』元記者、「いててや」の暖簾の字は和多田氏によるものでした。僕が「大阪弁ゆうのんは要するに船場のことばですね」と水を向けると「何ゆうてんねん! 船場のことばなんぞ一部の特権階級が使てた特殊なことばやないの! 元々京都から来よった連中のことばやがな。あんなもん大阪弁ちゃう。ほんまの大阪弁は昔から大阪に住んでた庶民のことばを大阪弁ゆうねん」と激しく言われました。新たな視点が啓かれた瞬間でした。

松鶴、広澤瓢右衛門、三田純市、仁鶴、枝雀、松原千明、三林京子などが常連で、店内の和多田さんの絵を見ながら「いい文化人皆死んでもた」と寂しそうに呟いておられました。

強いもんにはまず疑ってかかり、権威をカサに着て偉そうにする人間に対してはボロクソ、弱い方に寄り添い、その道でコツコツ努力するいい文化人を評価していた方でした。とりわけ芸が素晴らしいのに認められていない人に優しかったそうです。桂文我さんが「ワシ、独演会したことがないねん」と言ったのをきいて「ほな、わしがやったろ」と言ってコスモホールが満員になったエピソードも残っています。

 若野さんとの出会いはこのときだけ(1995年11月滞在時間5時間)です。名残惜しく店を出る時、カウンターから出てまっすぐ立ってお辞儀して見送って下さいました。その時励まして下さったことばが「ほんまもんになりや」。心に深く染み込み、その後の研究の支えになりました。

もう一度イカの足とメザシで、白鷹を呑んで、若野さんと話がしたかった。そうずっと思ってきました。塩鯛師匠の「ふたなり」を通じて、若野さんとの再会を楽しみにしています。

5月25日(日)天神寄席の申し込みはこちらで→ https://nakanoshima-daigaku.net/seminar/article/p20250525