担当/中島 淳
山崎豊子(1924〜2013)をテーマにナカノシマ大学を開催するのは、今回で3回目になる。
1回目(2016年9月)の講師は、代表作の一つ『大地の子』の編集者で、文藝春秋の元代表取締役社長の平尾隆弘さん。2回目(2018年9月)は『女系家族』以来半世紀にわたって秘書として作家を支えてきた、『山崎豊子先生の素顔』(文春文庫)の著者・野上孝子さん(故人)だった。
いずれも作家の出身校である相愛大学(旧制相愛女学校)本町キャンパスの音楽ホールで、満員の受講者を前に平尾さん、野上さんが、山崎豊子との濃密な時間を思い出しながら語っておられたのが記憶に残っている。
平尾さんは山崎豊子が作品ごとに新境地を開拓し、「ブレイクスルー」を果たしていったことをこう評していた。
「流行作家も“境界領域”に入るときが来ます。売れている時の“残像”は麻薬のようなもので、その作風を変えないまま消えていく人もいますが、山崎先生は自分でその“領域”に気がついて自分で脱皮していった 。その根っこにあるのはやはり船場。ビジネスではなく自らの“暖簾”を守るために走り続けた」
野上さんは、山崎豊子作品の魔力のような面白さこそ、その類まれなエネルギーにあると語っていた。
「お生まれこそ船場の『いとはん(お嬢さん)』だけど、性格、行動力、発想は全然いとはんではなく、人喰い(笑)。『これ!』という人に狙いをつけたら離さない。相手の都合もお構いなし」
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ナカノシマ大学9月講座は、作家が亡くなる直前まで作品づくりのために奔走した、編集者の矢代新一郎さん(新潮社)が登壇する。筆者が平尾さんや野上さんと出会い、これまでにナカノシマ大学を2度も開催できたのは、ひとえにこの人の橋渡しがあったからこそであった。
今回ならではの特色は、同じ大阪府立中之島図書館(3階展示室・ナカノシマ大学会場の隣)で開催される「山崎豊子パネル展(9/4〜28)」の最終日に実施することだ。ぜひセットで楽しんでください。
矢代さんは開催日までまだひと月以上あるのに、すでに投影資料を気合十分でぐいぐい書き進めている。大作家の手足となって動いた編集者のエネルギーおそるべしである。
矢代さんは、最後の小説となった未完の『約束の海』のほか、「山崎豊子 自作を語る」シリーズ3部作『作家の使命 私の戦後』『大阪づくし 私の産声』『小説ほど面白いものはない』に加え、作家の没後に刊行された『山崎豊子スペシャル・ガイドブック(新潮文庫版では『山崎豊子読本』)』を責任者として編集してきた人。
それだけに、受講者に披露せずにはいられない「とっておきのネタ」がてんこ盛りにある。
すでに矢代さんからは「時間がちょっと押しても大丈夫ですか?」となかなか悩ましいリクエストを送ってこられていて、主催者としては「ぜんぜん大丈夫ですよ〜」と言いたいところをぐっと堪えて、「そこを何とか12時45分までに終わってください(汗)」とお願いしている。
それほど内容がたっぷりなので、どうぞご期待ください。
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矢代さんとは、140Bがかつて『月刊島民』(2008〜21)で特集「山崎豊子をあるく」を編集していた際に、「この『山崎豊子スペシャル・ガイドブック』を編集した人から話を聞かねば」と東京の新潮社にお邪魔して、お話を伺った。
その島民90号は、有り難いことに島民100号記念読者アンケートの結果が「第1位」に輝いた号だったので、読者のみなさんにとっても読み応えがあったのだと思う。実際に作っていて本当に楽しかった記憶がある。
特集のラスト(p8-9)には、矢代さんや秘書の野上さんを取材した拙文を掲載している。よろしかったらぜひご一読ください。
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矢代さんが山崎豊子を担当したのは2009年から13年まで。
山崎豊子は「戦争三部作」といわれる『不毛地帯』(全5巻・新潮文庫)、『二つの祖国』(全3巻・新潮文庫)、『大地の子』(全4巻・文春文庫)を完結させて、そこで作家人生を終えるつもりだった。が、新潮社の「天皇」と呼ばれたカリスマ編集者・斎藤十一はそれを許さなかった。
「芸術家に引退はない。どうしても引退したいのなら先の短い私のために香典原稿をいただきたい」と言われて『沈まぬ太陽』(全5巻・新潮文庫)を書き上げた。2009年というのはその後に『運命の人』(全4巻・文春文庫)を完成させた頃だろう。
この時、山崎豊子は御年85歳。「大作家の担当」というのは文芸編集者冥利に尽きるとはいえ、40歳も年長で強烈な個性のかたまりのような山崎豊子が相手というのは、本当に大変だったろうと想像する。以下、『月刊島民』90号から。
「最初は冗談の好きな人だということが分からなかったんです。先生のお宅で打ち合わせしているときに大きな声で『アンタと付き合ってると殺されちまうわ!』と言われてビビりましたよ(笑)。秘書の野上さんからは『冗談だから笑っていたらいい』とフォローしてもらいましたが」
と話している(そりゃビビるわな〜)。
誌面ではこの後に「打ち合わせが終わった後の、山崎先生のありえない歓待の仕方」や「編集者がうるっとくる殺し文句」などについても触れている。もう9年近く前のことだが、30分程度の取材の中で、「相手が書きたくなる」ネタを次から次へと提供してくれる。抜群のサービス精神と頭の良さ。山崎豊子に信頼されるだけのことはあります。
当日の講座「生誕100年。最後の担当編集者が語る 作家・山崎豊子の『華麗なる』執筆秘話!」はこの3倍以上(でも足りない)のネタがてんこ盛りの濃い濃い資料を用意して来阪されるから、どうぞお楽しみにしてください。
「閉会時間大丈夫かな……」という悩みは当日まで消えないだろうが。