担当/中島 淳
2009年の10月にはじまったナカノシマ大学は今年で16年になるが、アイルランドの人が登壇するのも、「百人一首」にちなんだ講座を行うのも初めてなので、主催者としては二重三重のうれしさを感じている。

この4月20日(日)に京都の「須佐命舎」(上京区)で開かれたマクミランさんの講座「シン・百人一首」。超満員で、北海道から来た人もいて驚きました
地球の裏側にあたるアイルランドの研究者が、百人一首の沼にのめり込んだのは最近の話ではない。
2008年には、百首を英訳してコロンビア大学出版から発刊し、日米で翻訳賞を受賞している。日本文学研究者として名高いドナルド・キーンが絶賛したほどの内容だった。
マクミランさんは現在、百人一首の「聖地」である京都・嵯峨の小倉山の麓に住んでいる。
小倉山峰のもみぢ葉心あらば 今ひとたびのみゆき待たなむ(貞信公)
の場所だから、日本の古典文学の研究をするのにはうってつけのロケーションだろう。
昨年秋にはEテレ「100分de名著」に百人一首のプレゼンターとして出演。
今年1月22日に皇居の宮殿・松の間で執り行われた「歌会始の儀」では召人(めしうど)控を務め、召人三田村雅子さんの後に次の歌を詠んでいる。
初春に言の葉の花はblossom(ブロツサム)海越えてゆく夢をぞ見たる
それもこれも、一千年続く百人一首には、それだけ「時代を超えた普遍性」があり、「国際性」のある文学だということを彼が一貫して主張し、その研究成果が認められている故の大役だと思う。
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今回、マクミランさんにはナカノシマ大学での講義をお願いするにあたって、「大阪で詠まれた歌」についての解説もお願いした。
その中でどれが取り上げられるかは当日のお楽しみだが、百人一首の六首は「大阪発」の歌である。
⚫︎住の江の岸に寄る波よるさへや 夢の通ひ路人目よくらむ(藤原敏行朝臣)
⚫︎難波潟みじかき蘆のふしの間も あはでこの世をすぐしてよとや(伊勢)
⚫︎わびぬれば今はたおなじ難波なる みをつくしても逢はむとぞ思ふ(元良親王)
⚫︎音に聞く高師の浜のあだ波は かけじや袖の濡れもこそすれ(祐子内親王家紀伊)
⚫︎難波江の蘆のかりねのひとよゆゑ みをつくしてや恋ひわたるべき(皇嘉門院)
⚫︎わたの原八十島かけて漕ぎいでぬと 人には告げよ海人の釣舟(参議)
※最後の歌は「篁(たかむら)が島根から隠岐に船出する際に詠まれたもの」という説と、「大阪で船に乗り込んで隠岐まで行った」という説とがあり、筆者は「八十島」という表現を考えて、大阪説を採っている

住之江区の、木津川河口近くに架かる渡船場にて。埋め立てのせいで海までの距離が遠くなったが、この辺りもきっと「岸に寄る波」の住の江だったはずである

ナカノシマ大学の会場でも販売しますが、それまでガマンできない人はぜひご購入を。1,980円(税込)
つい最近、新しい原稿を書き上げた。出版社募集中というその本は…。
「百人一首の〝超訳〟です。和歌の世界を現代に置き換えるとどうなるか。意外と現代的な表現で言い換えられるんですよ」
(産経新聞WEB2024年5月31日)
原稿は5月に書き上げていたけれど、本にするまでにちょっと時間がかかったのは、デザインを凝りまくっているのが理由としてあるだろう(何と本文もオールカラーなので驚く)。
しかもカバーと本文挿絵を、売れっ子中の売れっ子マンガ家、東村アキコに頼んでいる。マクミランさんによると、「カバー絵の構図も考えました」と。LINEを送る小野小町のイメージだ。
「小野小町って左利き!?」と一瞬思ったが、この本(右開き)のことを考えると、スマホを右手に持たせて左手で操作させるほうが、小野小町の指先も着物のディテールも無理なく綺麗に見える。完璧なディレクションやなぁ……
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中身についてはネタバレを避けたいので、百首のうち一つだけご紹介。
今はただ思ひ絶えなむとばかりを 人づてならでいふよしもがな(左京大夫道雅)
こちらの現代語訳は
「今となってはただもう、あなたへのこの思いをきっぱりと断ち切ってしまおうということだけ、せめて直接あなたに言う方法がないものだろうか」
なのであるが、超訳ではこのようになっている。
「あなたのこと諦めるから最後にLINEじゃなくて直接話したい」























