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楠木新さんの柔らかさとフットワークと眼差しがええなと思う

担当/中島 淳

チラシの写真はメガネをかけていただいて撮影しましたが、こちらの方が笑顔が映えます

2025年の最後を飾るナカノシマ大学は、大手町のエスタブリッシュメント系出版社から弊社のような大阪のへそ曲がり版元までが大注目する、文筆家・ビジネス評論家の楠木新(くすのき・あらた)さんが登壇してくださる。

楠木さんは、神戸の歓楽街(という表現が相応しい街)新開地・福原の薬局の息子として幼少期から青春時代までを過ごし、京都大学を出て淀屋橋の某銀行を会社訪問したがその雰囲気に「なんか違うなぁ」と引き返し、卒業を1年遅らせて、同じ淀屋橋の比較的風通しが良さそうな某生命保険会社に入社して、定年まで勤め上げた。

カイシャというのは大なり小なり、従業員には「企業の論理」を刷り込んで「同調圧力」を迫ってくる。その某銀行の「圧」はしんどいなと判断されたのだと思う。

「ちょっと違うなぁ」という感覚を大事にすることは、人生のいつの局面でも必要なことなんやなぁと思った。

楠木さんのホームタウンの新開地・福原では「この人いったい何して食うてるんやろ」と思うような大人がごろごろいたそうだが(会社員とか公務員はほとんどいなかったとか)、一様に話が面白く、楠木さんのことを可愛がってくれた。

「街というコミュニティの人間関係」と「企業社会の同調圧力」はぜんぜん違うな、というところを就職する前に感じて、少しでもベターなところに身を置くことができた楠木さんは、「生きもの」としての判断力に優れた人だったと思う。

トークイベントでは質問多数。神戸市須磨区[井戸書店]にて(2025年11月9日)

楠木さんの生命保険会社でのサラリーマン人生については、申し訳ないがさほど存じ上げない。

ただ、40代に入った直後に阪神淡路大震災を経験し、先が見えない状態になって鬱になり、しばらく休職されたことが、楠木新(ペンネーム)という「もうひとりの自分」を誕生させることになったエピソードが心に沁みる。

「もうひとりの自分=楠木新」は、会社勤めの傍ら、50代以上のいろんなサラリーマンや定年退職者を取材し、そこからどんなことが導けるか、文章にまとめていった。

しかし、街でいきなり「お話を聞きたい」と言われて、果たしてあれだけたくさんの人が取材に応じてくれるだろうか……

それを思うと、楠木さんから声をかけられた人が「この人、おもしろそう」「話をしてみようかな」と思ったからこそ、取材でいろんなことを楠木さんに話したのだと思う。

三宮センタープラザ6階の「スペースアルファ三宮」で開催された、[働く悩みを解決するための書店 Work-Books]のトークイベントのゲストとして語る楠木さん。右はWork-Books店主の西澤明文さん(2025年11月24日)

「シニア市場の研究者やコンサルタント」みたいな人は、きっとそこまでの「突撃インタビュー」はしない(というよりできない)であろうが、楠木さんがそれができたのは、一つは幼少期からホームタウンで鍛えられたコミュニケーション力(「コミュ力」という物言いは薄っぺらいな)であっただろうし、もうひとつは話を聞くスタンスが「研究対象」「調査対象」ではなく「自分と同じ当事者」というところにあったからではないか、と思う。

今回のナカノシマ大学のお題は「淀屋橋サラリーマンに『たのしい老後』はあるか」。

本町や梅田は関係ないということではありません(そんなこと誰も思わないけど)。

勤め人として何十年間働いてきた人生が変わった時のことを、ちょっと先取りして、「あっという間にやってくる70歳になっても、自分なりの“おもしろいこと”を見つけて実行できることはどんどん実行しましょう」というお話を、楠木さん自身の新チャレンジのことや、取材で得たいろんな人のヒントも盛り込みながらお伝えする、というものです。

楠木さんが育った新開地・福原は演芸の街。実は子供の頃から「芸人として舞台に立つ」ことが夢だったので、なんと「R-1グランプリ」にも出場したそうだ。

結果は「でも1回戦で敗退したんですよね〜」ということをまた、楽しそうに話しておられる。この人を見ていると、「自分を笑える」というのが、いくつになっても大事な資質やなぁといつも思います。

2025年、けっこう大変な年ではありましたが、締めくくりに、肩の力を抜いてこれからのことを考えたくなる「楠木新」の言葉のシャワーを浴びてください。ええ気持ちにぜったいなります。

お申し込みはこちらから→ https://nakanoshima-daigaku.net/seminar/article/p20251218