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  • その1

大阪の干支えと地名エトセトラ【前編】 ―十二支トップ3は午(馬)と酉(鳥)と何?― 2022年2月21日

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意外と多い動物地名

 2021年は牛、2022年は虎の年。毎年1月になると話題に上がる干支の動物。十二支とも呼ばれる子(鼠)・丑(牛)・寅(虎)・卯(兎)・辰(竜)・巳(蛇)・午(馬)・未(羊)・申(猿)・酉(鳥)・戌(犬)・亥(猪)は、旧暦で用いられた呼び名です。それぞれの動物は人と関わりの深いものが選ばれ、地名にもしばしば登場して、親しまれてきました。
 大阪といえば水都。島、川、江、堀、橋などの文字がつく水辺地名が豊富ですが、意外と動物にちなんだものも多いのです。都会のビルの街角にも古風ともいえる十二支地名は生きていて、並べてみるだけでも面白く、由来をたどれば土地の記憶もありありとよみがえります。
 さて、今年の干支の寅(虎)にまつわる地名の話は後ほどの楽しみに、まずは大阪の干支地名で登場頻度の高いトップ3の話題から。今回のサブタイトルにもなっている、午(馬)と酉(鳥)の地名をご紹介しましょう。

大阪平野を駆ける馬地名

①中央区馬場町(地図左下)「最新大阪市街地図 昭和4年(1929)」和楽路屋 ②茨城市馬場村(地図上)「最新大阪府・日本統制地図 昭和16年(1941)」

 大阪の馬地名では中央区の馬場町(ばんばちょう)①がよく知られています。「ああ、大阪城の前のNHKのビルがあるとこ」と、うなずく方は多いでしょう。その横から「そうそう、大阪放送局の代名詞みたいなJOBKはジャパン・オオサカ・バンバチョウ・カドの略」と定番のジョークを添える方もいるかも(JOBKは放送局のコールサイン)。
 でも、もし、この場に守口市と貝塚市と泉南市と茨木市と堺市と東大阪市と平野区の方がいたら、話がややこしくなります。まず、「うちにもその地名はあるけど、読みは馬場町(ばばちょう)」と守口市の方が口火を切れば、「こっちでは町(ちょう)なしの馬場(ばば)」と貝塚市と泉南市の方が声をそろえ、「このへんは昔の馬場村(ばばむら)②。町名が佐保になった今も馬場のバス停がある」と茨木市の方がつぶやく。さらに「金岡町にある馬場町(ばばちょう)自治会館は、ここが戦国時代から馬場町(ばばちょう)やった名残。大阪市の馬場町(ばんばちょう)は明治の新町名」と堺市の方がうなずき、その横で平野区の方が「今の町名、平野馬場(ひらのばば)のもとは、中世の自治都市やった平野郷の馬場町(ばばちょう)」と胸を張ります。最後に手をあげたのは東大阪市の方。「生駒の麓の馬場川遺跡を忘れんといて。縄文時代の土器が出た」と、話はまだまだ広がりそう。

牛よりも馬の大阪地名

 馬の訓練などに適した広い野原にちなむ場合が多いとされる馬場地名(都島区の毛馬町のように馬と無関係の地名もありますが)。関西は牛、関東は馬の文化ともいわれますが、大阪地名は牛よりも馬のほうが目立ちます。一例が寝屋川市の馬甘(うまかい)で、この一帯は朝廷の馬の飼育地でした。『日本書紀』にも河内馬飼(かわちうまかい)氏と呼ばれる馬の飼育に携わった人々が住んでいたと記され、寝屋川市と四條畷市にまたがる讃良郡条里(さらぐんじょうり)遺跡では馬具が多数発掘されています。北河内、中河内の生駒山地西側のふもと一帯では馬の骨も多数出土していて、生駒の山々を仰ぐ野原を馬の群れが駆けていた風景が浮かびます。

バス停になった馬地名

 ここで、門真市の方から「下馬伏町(しもまぶしちょう)があって、上馬伏町がないのはどうして?」と疑問が出ました。そうです、馬伏荘(うまぶせのしょう)という荘園が門真市にあり、今の下馬伏町はその名残。かつてあった上馬伏(かみまぶし)という村名も、今はバス停の名になっています。
 馬地名のおしまいに、羽曳野市の駒ケ谷(こまがだに)は、当地を訪れた聖徳太子が馬を停めた伝承にちなむという話を添えておきます。駒もまた馬の意でした。
 駒のつく他の地名、今はなくなった馬の地名などまだ話題は尽きませんが、自動車が道路を疾走する時代になっても、人が馬と親しんだ時代の風景は地名の記憶となって日常にとけこんでいます。というところで、馬地名はひとまずこれにておさめます。

馬飼があれば鳥飼も

③摂津市鳥飼上・鳥飼中・鳥飼下(地図中央)「最新大阪府・日本統制地図 昭和16年(1941)」 ④泉南市鳥取中、東鳥取、西鳥取「日本交通分県地図・大阪府 大正12年(1923)」毎日新聞社

 大阪で馬よりもまだ多いのが鳥地名です。まずは、馬飼(うまかい)があれば鳥飼(とりかい)もあるという話から。摂津市の町名、鳥飼(上・中・下の3つあり)③は、平安時代の文書『延喜式(えんぎしき)』に載っている鳥養牧(とりかいのまき)に由来します。鳥養は鳥飼とも書き、牧は飼育地のこと。鳥飼は紀貫之の『土佐日記』にも記された遊興の地でした。淀川の流れをここで一望するのが、貴族たちの楽しみだったのですね。一方で、卵や肉を食べるための鳥の飼育は古墳時代から広まっていたのです。
 今、当地の名物といえば、摂津市と守口市を結んで淀川に架かる長さ554mの鳥飼大橋。川端の堤に立つと、近年の架け替え工事でリニューアルされた橋の上の長~い歩道を川風に吹かれて渡る人の姿が小さく見えます。
 鳥または酉(とり)の字がつく地名は他にも多彩。『日本書紀』の白鳥の逸話ゆかりの阪南町の鳥取(とっとり)④、飛鳥時代から奈良時代にかけて活動した仏教僧・行基を導いた霊鳥にちなむ貝塚市の鳥羽(とば)は他県の地名と迷いそう。羽曳野市は飛鳥(あすか)が「近つ飛鳥」とも呼ばれて知られる一方、同市には翠鳥園(すいちょうえん)との昭和の新地名も。和泉市の黒鳥(くろどり)は鎌倉時代からの地名ですが、由来は不詳。大阪市では此花区の酉島、西淀川区の酉洲がどちらも江戸時代の酉年に開発された新田名にちなんだ地名です。
③摂津市鳥飼上・鳥飼中・鳥飼下(地図中央)「最新大阪府・日本統制地図 昭和16年(1941)」

もずやんが大阪府のキャラクターになるまで

⑤堺市の百舌鳥赤畑町・百舌鳥梅之町・百舌鳥金口町(地図右)「堺市詳細図 昭和31年(1956)」産経新聞社

 続いて、東住吉区の鷹合(たかあい)。こちらは飼いならした鷹を猟に用いる鷹狩りのはじまりを物語る地名で、『日本書紀』に登場。仁徳天皇の逸話に、献上された見なれぬ鳥を飼い慣らし狩りをして多くの雉を捕えたとあり、この鳥が鷹でした。鷹の飼育地は鷹甘邑(たかかいのむら)と呼ばれ、後の鷹合村となり、地元には今も鷹合神社があります。ちなみに、仁徳天皇が最初に鷹狩りを楽しんだ場所は百舌鳥野(もずの)と『日本書紀』に記されています。
 「なるほど、そういえば府の鳥は百舌鳥、大阪府のキャラクターはもずやん!」と、ここで堺市の方から声がかかりました。そうです、ただちょっとややこしいことに百舌鳥(堺市)⑤の地名由来は鷹狩りとは別で、仁徳天皇陵の造営中に走り出て倒れた鹿の耳から百舌鳥が飛び出たとの『日本書紀』の逸話によります。鷹と百舌鳥は仁徳天皇で古代史とつながり、百舌鳥は出世して大阪府の鳥になり、もずやんになったというストーリーはなかなか意外性があります。
 こぼれ話をもうひとつ。大阪には鷹地名もあれば鷲(わし)地名もあるというわけで、羽曳野市の高鷲(たかす)、東大阪市の鷲尾山(わしおさん)の名を挙げておきましょう。

鶴、かりしぎさぎかもめ……みんな水鳥だった

⑥生野区鶴橋(地図下)、⑧鴫野(地図上)「日本交通分県地図・大阪府 大正12年(1923)」毎日新聞社 ⑦堺市鶴田(地図中央下)「日本交通分県地図・大阪府 大正12年(1923)」毎日新聞社

 ここまで登場した鷹、鷲、百舌鳥は実を言うと、鳥地名としては少数派。大阪の地名に最も多く登場する鳥はさて、何でしょう。
 答えは鶴! と言えば早速、鶴見区と生野区と北区と大正区と西成区と守口市と堺市と和泉市と泉佐野市と茨木市と摂津市の方の手が上がりました。「鶴が群れ住んでいたから鶴見区」「鶴見緑地は守口市と鶴見区にまたがる大阪でいちばん大きな緑地」との声はもちろん鶴見区と守口市の方。すかさず「鶴橋⑥も鶴が集まる橋の名が地名のもと」と生野区の方が言えば、「今の堂ヶ芝、下味原町、東上町のあたりは昔、鶴橋北之町、鶴橋南之町やった」と天王寺区の方が思い出してのひと言。鶴の生息地は生野と天王寺の両区にまたがっていたと地名が教えてくれました。
 続いて「鶴見と鶴橋を足して鶴見橋か」とは西成区の方からのクエッション。地図上では鶴見橋のある西成区、鶴橋北之町・鶴橋南之町があった天王寺区、鶴橋のある生野区が東西に並んでいて、鶴見橋、鶴橋は上町台地の東西の麓、旧町名の鶴橋北之町・南之町の一帯は台地の切れ目にあたります。これらの地域はかつての水辺や湿地で、鶴が好んで集まる場所でした。
 そこへ「鶴浜通と鶴町は?」と大正区の方、「鶴野町もあるけど」と北区の方の声。近郊からも茨木市から「大字地名の鶴野は?」、摂津市から「鶴野町は?」、堺市から「鶴田町⑦、鶴松町は?」、泉佐野市から「鶴原!」、和泉市から「鶴山台!」と各地の方々の声が続々と……。出てきた鶴地名の由来については、万葉集の「潮干れば葦辺に騒ぐ白鶴(しろたづ)の妻呼ぶ声は宮もとどろに」からとった大正区の鶴町のように、鶴が好む土地柄を思わせるものもあれば、美称としての鶴を冠した和泉市の鶴山台のように戦後の新地名もあります。茨木市の鶴野、摂津市の鶴野町、泉佐野市の鶴原は中世からの地名、堺市の鶴田町のもとは明治生まれの鶴田村、鶴松町は昭和の一時期にあった旧地名でした。
 いずれにせよ、ずらりと並ぶ鶴地名に、鶴という鳥が愛されてきた歴史の厚みを感じます。
 水鳥の地名は他にも福島区の鷺洲(さぎす)、城東区の鴫野(西と東がある)⑧があり、浪速区には明治から昭和50年代まで鷗町(かもめちょう)がありました。四條畷市の雁屋(北町・南町・西町)の雁(かり)は秋の季語にもなった水鳥で、たくさんの雁が飛んでいく風景に由来する柏原市の雁多尾畑(かりんどおばた)という地名になりました。高槻市の鵜殿(うどの)は、古代の合戦場で敗軍の将兵の首が淀川に鵜のように浮いたとの『日本書紀』の逸話をもとにしたシリアスな命名。同市内には道鵜町(どううちょう)という町名もあります。

闘鶏つげかささぎおおとり、白鳥……伝承の鳥地名

⑨堺市鳳(地図左)「日本交通分県地図・大阪府 大正12年(1923)」毎日新聞社

 水鳥以外の鳥を最後にまとめておきます。高槻市には闘鶏野(つげの)という名の神社があって、闘鶏を「つげ」と読むのは神託を告げて鳴く鶏に由来するとのこと。闘鶏野神社の門前には、2002年に未盗掘の石室発見がニュースになった前方後円墳、闘鶏山古墳が横たわります。余談ですが、神社と古墳のある氷室町(ひむろちょう)は『日本書紀』に氷の貯蔵所として登場。当地の氷は仁徳天皇に献上されたとのこと。
 枚方市の天野川(あまのがわ)に架かる鵲橋(かささぎばし)は、七夕に天の川を渡る牽牛星と織女星のために橋渡しの役をする鵲にちなんだロマンチックな命名。鵲橋は秋の季語にもなりました。「天野川の鵲橋は明治の初めまで通行料を徴収して、銭取橋(ぜにとりばし)とも呼ばれてた」と、枚方市の方からオチのようなひと言。鳥と取りの洒落ですね。
 堺市の鳳(東・西・南・北・中がある)⑨は古代豪族の大鳥氏ゆかりの地名ですが、鳳は想像上の鳥。地元の大鳥神社のはじまりは日本武尊(やまとたけるのみこと)が死後、白鳥になって当地に飛び来たり、停まった故事によると伝えられています。

おなじみの市名に隠れ鳥

 さて、鳥地名のエンディングには、鳥の名を秘した例をご紹介しましょう。いわば隠れ鳥地名。八尾市はなぜ八尾市というのか、ご存じでしたか。ひとつの説は、八尾が八つの尾を持つ鴬(うぐいす)の生息地だったから。別の説では、昔の大和川が当地で鳥の尾のようにいくつにも分流したからとも。空を舞う姿の神秘と奔放。どちらの説も、おなじみの市名に人々が鳥に抱いたイメージが託されています。

 それぞれの土地柄を示しつつ、多種多彩な鳥が出てきた鳥地名。数の上で大阪の十二支地名のトップ3の中のトップを占めています。
 なかでも目立つのが鶴をはじめとする水鳥にちなんだ地名。大阪市中を貫く上町台地の東西の麓、台地の南部の周辺に並ぶ水鳥地名が物語る古代以来の風景のうつろいに、天の川を渡る鵲の伝承に、空と水の間で羽ばたく鳥に憧れた人々の想いを感じます。鷹や百舌鳥、鳳、鴬など、他の鳥たちも語り伝えのなかで今も羽ばたいています。