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「喰い溜め」




 普段の暮らしにおいては整理整頓の下手っぴいな片づけられないおじさんです。友人だった吉野朔実さんは、ほらもういつでも小ざっぱりと生活してはって、どうしたらこんなふうにやってけんの? 本も器もわしと同んなじくらい持ってんのにーと彼女んちにお邪魔するたんびに思うてました。訊けば「捨てるレベルを上げるのよ」て涼しい顔。断捨離という言葉は必要のあるものでも無理やり捨ててしまうような冷たい響きがあって苦手やけど、吉野さんの言葉は腑に落ちました。けど腑に落ちたからて実行でけるもんでもおへん。
 そやけどエントロピーがめきめき増大しているような我が家でも比較的片付いてる場所があります。それは冷蔵庫んなか。台所だいどことちゃいまっせ。台所はかなりしっちゃかめっちゃか。けど、冷蔵庫だけはしっかり管理せんとえらいことになりよりますんで、どうにかこうにか片づけてあります。キッチンで唯一キッチンとした場所(駄洒落のチャンスは逃しまへん)。
 ゆうても冷蔵庫がキッチンとなったんは、ここ10年やそこらの話。まず第一の理由は吉野さん曰くの【捨てるレベル】を上げたせいです。
 あんね、あるとき冷蔵庫で傷めるもんのあまりの多さに我

慢ならんようになりましてん。タッパを開けるとそこにナウシカに出てくる腐海の盆栽が出現してたりして思わず心の安田成美が歌いだすこともしばしば。それも美味しいもん好きなもん貴重なもんほど長く楽しみたいと考える意地汚い性格やよって美味しいもん好きなもん貴重なもんほどやられてまいよる。
 おまけに歳を喰うた弊害で忘れっぽさに拍車がかかった。暗い音のない世界で保存瓶のなかに新たな生命が生まれて「早く人間になりたい!」とか叫びだしたりしてはる。これはアカン! と心の巨神兵が立ち上がりました。『冷蔵庫、火の七日間』の始まりです。
 粛清のあと、しばらくはなるべく冷蔵庫に物を溜めない暮らしをしてた儂ではありました。が、これがなんとも落ち着かない。冷蔵庫が満たされているかいないかではおよそ日々の充足感が違うんです。空腹時の惨めさと、満腹時の幸福くらい違う。ひとりぽっちの心許なさと、お友達が一緒にいるときの安心感くらい違う。

 そこで儂がやりだしたんが【お作り置き】ちゅうやつでございました。
 ただいま儂は新潮社の『Webでも考える人』で「御つくりおき」という京都の注文文化、職人さんとの付き合い方についての連載をやっとりますけれど、ことばの音便は同じでも、やってることは正反対。冷蔵庫を満たすための【お作り

置き】ゆうんは確たる目的を持たずして拵えられるものを意味します。それらは様々な状況、天候やったり体のコンディションやったり、あるいはメインディッシュとの相性に応じてピックアップされ、取り合わされ、あるいは再加工されて食卓に上ります。
photo  フリーザーには氷のほか、コーンやエンド豆などの冷凍野菜、あまりご飯を一膳分ずつラップして凍らしたもん、ほんでから京都から持ち帰ってきた白(西京)味噌、酒粕、餅、実山椒といったお宝類が詰まっておりますが、これらはアイスクリームなんかを除けばあくまで素材です。【お作り置き】は温めたりはあっても即食できるんがほとんどで、再加工するものは、その段階で食べ切る必要があるものにほぼ限られます。
 なによりモノによって保存期間に差はあれど、いずれにせよそない長ごうはたん。そやから、だいたいであっても何があるかくらいは把握しとかなあきまへん。やないと、また

腐海を再生産してまいます。ちょっと聞くと難しそうでっけ ど冷蔵庫内のコンテンツを減らし、その分でけたスペースをお作り置きで充填したるいうシステムやと意外と覚えとけるもんやったりします。
 簡単にもう一品増やせる良さや、不足になりがちな野菜を補える有難さと同時に「あっ、もうアレ喰わんとわやになる!」という必要に迫られて献立が決まってゆくのも忙しいときには助かります。メインから考えるよりもむしろバラエ ティ豊かな食卓になったりとか、お作り置きはええことだらけですわ。
 そやけど、ここちょっと重要でっせ。満腹がええというても寝転ばんで済むくらいの腹八分目、なんぼ気の合う同士でも人大杉でわちゃわちゃにならん程度の集まりがええんとおんなじで、貯蔵するお作り置きもまた塩梅が肝心。気ぃつけんと、あっというまに食べ切れん量のタッパが冷蔵庫を占領してまいよる。

 もともと保存食作りが大好きで、毎年一年分のジャムを煮る楽しみなんかもあったんですが、泣く子と糖尿には勝てまへんので諦めざるを得んかった反動もありまっさかい、程々程々を心掛けつつお作り置きする毎日どす。
 具体的には、どないなもんを並べてるかゆうたら、こんなんです。ご参考までにご紹介させていただきまひょ。
 まあ、まず写真をご覧ください。ついこないだまで同時に

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うちの冷蔵庫にほんまに入ってたもんですわ。全15種類。こ れがピーク。半分以下になったところで、また5つ6つ足してゆくという感じで増減を繰り返します。これ以上になると記憶による管理に支障をきたして腐海化の確率がぐっと上がってまいますのや。
 上の左から順に右へ、まず「白菜のたいたん」。京都人のソウルフード。きんきんに冷えたんも美味しいので頻繁に作ります。白菜いっこてなかなか使い切らんよって、鍋とか八 宝菜の翌日とかにちゃっと作っときます。お昼とかやと、これとチンしたご飯だけでオッケーやし。
 「挽肉のそぼろ」。困ったときの三色丼、という諺が我が家にはおます。これに炒り卵と、なんぞ青いもんをごはんに乗っけたらけっこうご馳走感が出て食事を簡単に済ましたいときも侘しくならへんのが嬉しい。あと、儂はこれをオムレツの具ぅにしたりもします。
 「コロネーションチキン」。いまのエリザベッさんが戴冠 しはるときのお式のメニューで、鶏と細こうに刻んだ野菜、レーズンや干杏なんかをカレーマヨネーズで和えたもん。「酒蒸し鶏」もお作り置きの定番やけど、それが中途半端に残ったんでアレンジしました。
 「葱」。ただ斜めに〝笹〟に切っただけのもんやけど、なにはのうても冷蔵庫に貯蔵されてるもんの筆頭です。包丁を念入りに研いでしゃっしゃっとリズムよく細く引き切りしとくと、断面の細胞が壊れへんのでぐっと長保ちするんがほん

まに重宝しますのや。
 「ポロ葱(リーキ)のくたくた煮」。鶏を酒蒸ししたときの残り出汁でリボン状に切ったポロ葱を柔らかこうに炊といたもん。軽う塩味がつけたぁります。そのままでもええし、クリーム煮にしても旨い。粒マスタードのドレッシングかけてサラダとしても楽しめます。
 「湯剥きトマトのピクルス」。完熟トマトが安売りしてることがよおありますやん。見つけたら躊躇せず買うてこれに します。ピクルスゆうても酢を回したぁるだけ。ニンニクと一緒に刻んでブルスケッタにしたり、オリーブ油で炒めてパスタソースにしたり。万能ですわ。
 「塩鮭」。こっちは生鮭一辺倒なんやけど儂は焼いたら潮吹くくらいのんが好きなんで自分で塩して清潔な布巾で包んで余分な水分を飛ばして常備してます。充分にメインになるし、お茶漬けに供するとめっちゃ豪華やし、お弁当にかてええし、ほんま助かる。
 「きうりの塩揉み」。長保ちさせるコツは、葱同様細胞を壊さんように刃の鋭いスライサーを使うこと。たっぷり塩して、水分が充分に排出されるまで待ち、揉むというよりボウルの中で何度も水洗いして塩を抜くこと。よくよく水を切ってタッパに詰めること。
 「もやしナムル」。薄切りしたセロリと一緒にさっと湯通しして胡麻を振り、酢と胡麻油、コチュジャンで和えたもん。なんか一口ピリ辛のもんが食べたいことがようあるん

で、そういうとき用にいつでもなんぞ刺激のあるお作り置きを欠かさんようにしてます。
 「あまり野菜のマッシュ」。汁もんは面倒くそなることが多いんでこれが活躍します。マジで余った野菜なんでもあり。ジャガイモは足が早よなるんでいれません。昆布出汁で割るもよし。ぎゅうちち混ぜてポタージュもよし。夏場は「冬瓜スープ」にとって代わられます。
 「人参のラペ」。千切りにして塩して、きゅっきゅっと揉んだらオリーブ油回して柚子ジュースで和えておしまい。酢やレモンより柚子のが長保ちになるんですわ。人参ともよう合う気がします。ラペはビタミンCも壊れへんのやと、どっかのエライ先生がいうたはりました。
 「焼き茄子のおひたし」。皮ごとオーブンで真っ黒になるまで焼いて水の中で剥いてタッパに移したらかつ節と一緒に蕎麦汁(これもお作り置き)をかけるだけ。これを「揚げ茄子」でやることもあるし「炒め煮」にすることもある。 ちょっと目先を変えるだけで存外飽きひん。
 「大根と豚肉の鼈甲煮」。大根はどうしても余りがちなんで、お作り置き登場率も高い。ふつうに「おろし」にもするし、「柚子大根」のおつけもんにもする。でも、それでも余んのが大根。こういうお惣菜的なメニューをいくつか知っとくと割に役立ちます。
 「コールスロー」。実は好きな市販品があるんやけど、じじいにはちょい重い。んで、キャベツを千切りにして塩揉み

して水分を絞ったんを混ぜて倍量にしたもんを常備してます。侮られやすいメニューやけど、和洋中どんなメインの傍に置いてもええ仕事してくれはるのえ。
 「ブロッコリの塩昆布和え」。硬めに湯掻いて、塩昆布と混ぜてレモン絞っただけのもん。向田邦子さんのレシピから拝借しました。仕事を持ってる人間が、それでも己の食い意地に忠実にいきてゆくための一助となるのがお作り置きで、これは象徴的な一品と申せましょう。
 どないです? ありきたりでびっくりしはりましたか? けど、ありきたりやからこそ汎用性も広いもんやというのが儂も続けてくうちに解ってまいりました。凝れば凝るほど本来のお作り置きのよさから遠ざかってくんです。こんなもんやけど、なかなか奥深いもんです。

入江敦彦(いりえ・あつひこ)
1961年京都市上京区の西陣に生まれる。多摩美術大学染織デザイン科卒業。ロンドン在住。エッセイスト。『イケズの構造』『怖いこわい京都』(ともに新潮文庫)、『英国のOFF』(新潮社)、『テ・鉄輪』(光文社文庫)、「京都人だけが」シリーズ、など京都、英国に関する著作が多数ある。近年は『ベストセラーなんかこわくない』『読む京都』(ともに本の雑誌社)など書評集も執筆。2018年に『京都喰らい』(140B)を刊行。2020年1月に『京都でお買いもの』(新潮社)を上梓。