第9回 ホヤとの遭遇(前編)大阪にて

「関西人は納豆を食べない」という説がある。東西の食文化の違いを言う時によく出る例だが、私は20代半ばだったか、まあまあいい歳になるまで知らなかった。幼い頃からわが家の食卓にはふつうに納豆があったし、友人知人にも「あんな腐った豆食えるか」とか、わかりやすく毛嫌いする人がいなかったのだ(その説を知って以降20年ほどの間に2、3人会った)。

ここ数年の都道府県別消費量ランキング(→こちら)を眺めてみると、なるほどそういう傾向はあるようだ。大阪や和歌山は下から2、3位が定位置。兵庫や京都も30位台後半から40位台をウロウロしている。上位をほぼ東北~北関東が占める一方、真ん中より下は軒並み西日本だ。けれども個人的な実感としては「関西人は納豆を食べない」かと言えば、そんなこともない。地域や世代によってずいぶん差がある気がしている。

私は神戸の灘区に住んでいるが、スーパーに行けば常時10種類以上の納豆が並び、牛丼屋の朝定食はもちろん、立ち飲みや居酒屋でも当たり前に品書きにある。何年か前には、京都・洛北の紫竹で140年近く続く納豆の会社を取材したことがあるし、つい最近も、兵庫県の福崎町にある会社が「全国納豆鑑評会」の「小粒・極小粒部門」で特別賞を獲ったという記事を読んだばかりだ。この会社は阪神・淡路の震災で全壊するまで灘区にあったらしい。

連載の初回に書いたとおり、うちの両親は大阪の天満あたりで生まれ育った人間で、やはり子供の頃は納豆を食べなかった、というより、売ってなかったそうだ。母親の話では、大人になって関東出身の義姉(私から見ればおば)から、卵の黄身とネギと鰹節を入れてにおいを抑える食べ方を教わり、それがおいしかったので食べるようになったという。たぶん50年近く前の話である。

味覚というものは習慣によって形成される保守的な面が強いから、食わず嫌いを直したり、知らない食べ物に手を出すのは結構な時間と働きかけがいる。しかし一方で、うまいタイミングときっかけさえあれば、案外ひょんなことで長い間食えなかったものが食えるようになったりする。そういう経験ないですか。

納豆はそんなタイミングときっかけと、それからもちろん、食べやすい製品の開発やPRなどメーカー側の努力もあって、関西の食卓にもそれなりに根付いてきた。ちなみに、7月10日は「ナナ・トオ」で「納豆の日」らしいのだが、これを最初に制定したのは、関西での消費拡大を目指す関西納豆工業協同組合(京都市)だったそうだ。1981年のこと。

と、納豆が糸を引くように長々と枕を書いてしまったが、今回の本題はホヤである。三陸沿岸部の、さらにディープかつマニアックな郷土食であるホヤは果たして納豆になれるか──。東北通い5年目にしてホヤに目覚めてしまった関西人の立場から、3回にわたってその魅力を綴ってみたい。

●酒や水を変える5つの味

関西におけるホヤの認知度はどれぐらいだろうか。「海のパイナップル」とか「三陸の珍味」といったイメージぐらいはなんとなく知られているかもしれない。

しかし、「パイナップル」とは被嚢(ひのう)と呼ばれるイボイボの殻をどうにか親しみやすくしようと喩えたもので、味は関係ない。見た目だけを言うなら、われわれ世代だとウルトラ怪獣のガラモンピグモンがふさわしい。いわば「キモかわいい」感じ。そして、「珍味」とはしばしば──ゲテモノとまでは言わずとも──珍重はされるが、あまりうまくない食べ物のソフトな言い換えだったりする。

「ほやおやじ」こと木村さん。じっくりボイルした殻付きホヤが一番のおすすめまたしても身内の話で恐縮だが、私の父は40歳で仙台へ転勤して初めてホヤを食ったという。とてもうまそうには思えない奇妙な見た目と、苦いのか生臭いのか、なんだかよくわからない味に閉口していたら、酒席にいた人に「これ食わねえと東北人になれませんよ」と言われ、思わず「いやあ、そこまでして東北人にならんでもええですわ」と、営業マンにあるまじき挑発的なセリフを口走ってしまったそうだ。35年経った今でも「あれだけは堪忍」という表情で振り返っていた。

「ホヤって、だいたい第一印象で損してるんですよ。これほど誤解されてる食材も珍しいでしょうね」

と言うのは、仙台市青葉区にある「三陸オーシャン」の社長、木村逹男さん。30年間勤めた保険会社を辞め、生まれ故郷である牡鹿半島の特産ホヤを広めるため、ホヤ専門の加工会社を立ち上げて10年あまり。地元では「ほやおやじ」の名で知られる彼に出会ったのは今年3月、大阪は阿倍野で開かれた宮城県物産展でのことだった。

「慣れない人が見たらグロテスクでしょうし、ちょっと鮮度が落ちれば金属臭やアンモニア臭といわれる嫌なにおいが出る。昔は『東京ホヤ』なんて言いましてね。流通が発達してない時代だと、水揚げから5日も経ったようなのが東京方面へ出回るわけです。そうすると食えたもんじゃないというので、まずい物の代名詞になっていた」

ホヤは長いこと生食が主流だったが、極端に足が早いため、獲れたての物だけが持つさわやかな磯の香や複雑かつ豊かな味わいがなかなか伝わらなかった。そこで木村さんは味噌漬けや三升漬け、塩辛やジャーキー、それにたっぷりだしが出るよう殻ごと茹でたボイルホヤなど、加工に力を入れてきた。

ほやっぴー。口元は笑みがあれど、表情が読み取れない「ホヤは人が感じる5つの味をすべて持ってるんですよ。苦み、酸味、塩味、旨味、甘み。それらが複雑に絡まり合って、なんとも不思議な味わいになる。一口食べてすぐわかるようなうまさじゃない。最近私は『ホヤはR30』、つまり30歳の大人にならないとわからない奥深さがあると言ってるんですけどね」

その奥深さは、酒や水の味も豊かにする。論より証拠とほやおやじが勧めてくれた殻つきボイルを食べ、間を置かず口に含むと、酒は明らかに旨味が増し、水は驚くほど甘くなる。じわーっとゆっくり口の中全体に染み渡っていくような、しみじみとした味わいである。これはすごい。なんかこう、わびさびな感じ? うまく言えないが、深い感動に包まれた私はしばし言葉を継ぐのも忘れて堪能した。

「でしょ。だからホヤがあれば、酒は安くてもいいんですよ。十分旨くなるから」と、いたずらっぽく笑うほやおやじ。売り場の片隅では「ほやっぴー」というマスコットが大漁旗を掲げ、ホヤのように複雑な、いや、モナリザのように神秘的な──味わう人によって、どのようにも解釈できる──微笑を浮かべていた。 

●ほんとうのホヤを関西に

宮城を中心とする三陸のホヤは、これまで地元と東京圏、それに韓国や中国が主な市場だった。ところが東日本大震災以降、韓国や中国が東北産食材を輸入禁止にしているため市場を失ってしまった。震災から4年、ようやく出荷サイズの三年子、四年子が獲れ始めているのに、なんとももったいない話である。

「そういう事情もあって、宮城県としても関西になんとか販路を広げたいと思っているんです」とは、ほやおやじを紹介してくれた宮城県庁のサイトウさん。彼もわりと最近になってホヤのうまさに目覚めたクチらしい。いかに地元民であっても、やはり若造にはわからない味なのである。

実は、ほやおやじの木村さん、サラリーマン時代に大阪で9年間の勤務経験がある。中之島の朝日新聞ビル内に事務所があって市内外を歩き回っていたそうだから、関西人の味覚や好みはだいたい把握できている。かつての勤務地へ売り込みに来た手ごたえを尋ねてみると、

「お客さんの反応は結構いいですよ。ほとんどの方は『食べたことないわ』と言われますけど、変に先入観がない分、手が出やすいのかもしれません。今回の物産展でボイルホヤを試食して買っていただいた方も多いです。

大阪へは、これが3回目のチャレンジなんですよ。舌の肥えた大阪の人にホヤのうまさを認めてもらえれば、関西へ西日本へと大きく広がるチャンスになると思ってるんです」

物産展には、牡蠣の回で紹介した末永海産も出店していた。新鮮なホヤを丹念に炙り、真空パックにした「炙りほや」を買って帰った。実は、同社には「おさしみほや」という大ヒット商品があると聞いていたのだが、品薄で手に入らなかった。何せ、「1年分作ったつもりが2カ月で売れてしまった」というのだ。

ホヤのほんとうのうまさを関西に──。ほやおやじ、サイトウさん、末永海産など宮城の人びとの情熱と、初めて遭遇したホヤの奥深い世界の余韻に浸りながら、私は帰宅後あらてめて一人しみじみ灘酒との取り合わせを楽しんだのだった。

私がほやおやじの年齢になる頃、ホヤは納豆のようになっているだろうか。この関西で。

末永海産の炙りほや


松本創(まつもと・はじむ)

1970年生まれ。神戸新聞記者を経て、フリーランスのライター/編集者。関西を拠点に、政治・行政、都市や文化などをテーマに取材し、人物ルポやインタビュー、コラムなどを執筆している。
著書に『ふたつの震災 [1・17]の神戸から[3・11]の東北へ』(西岡研介との共著/講談社)。その続編を『現代ビジネス』で随時連載(→こちら