第11回 ホヤとの遭遇(後編)女川にて

ホヤのすべてがわかる『女川ほや本』というガイドブックがある、と前回書いた。その最初にアンケートが載っている。今年2~3月、宮城県内で20~70代の男女に聞いた結果だ(県内在住者が8割強、残りは県外在住。サンプル数は記載なし)。

〈Q1 ホヤを食べたことはありますか?〉はい81.6% いいえ18.4%
「いいえ」は主に関東以南在住者だったとのこと、宮城や東北他県の在住者はだいたい食べたことはあるようだ。しかし、続けてこう聞くと……

〈Q2 ホヤの味は好きですか?〉大好き9.7% 好き25.8% あまり好きじゃない29% 嫌い25.8%
肯定的回答が約35%に対し、否定的回答が約56%と完全に上回る。「嫌い」の理由は「見た目が気持ち悪い」「これは一体、何物?」「独特の臭いと味がイヤ」「ご当地以外でわざわざ食べなくても」……ホヤ王国宮城にして、なかなかの嫌われっぷりである。

しかし、好き嫌いの分かれる、一筋縄ではいかないものだからこそ、コアなファンが付くこともある。女川町といえばサンマやギンザケが全国屈指の水揚げ量を誇るが、その中であえてホヤを押していこうという動きが最近盛り上がっているらしい。

女川のホヤ押しから生まれた『碧のか』珍味とほや本『女川ほや本』もその一つだが、それと一緒に宮城県庁サイトウさんから女川産のホヤ珍味各種──ほやせんべい、ほや煮、さきほや、ほや生ジャーキー──が送られてきた。花札を模したラベルで統一した地元ブランド『碧(あを)のか』の第一弾として、今年3月に発売されたばかりだという。さっそく酒のアテに試してみたら、どれもまだ出会ったことのない、めくるめくホヤの新世界であった。

町ぐるみで動き出したホヤ再興ムーブメント。その担い手に会うため、私たちは鮫浦湾のホヤ漁取材を終えると、コバルトラインで一山越え、女川町へと向かったのだった。

●「コロンブスの卵」だった珍味開発

女川を訪れたのは2年ぶりぐらいだろうか、町はすっかり様変わりしていた。津波に流されたJR女川駅が200m内陸寄りに再建されて1カ月あまり。真新しい駅舎に、4月も末の青空と大型連休の始まりも相まって、駅前の風景や人びとの表情に、これまでとは異なる明るさと開放感が見て取れた。駅にある町営温泉の足湯を楽しむ人。広場でダンスやスポーツに興じる若者。つぶ貝やなにかの串焼き屋台。ちなみに駅舎は、阪神・淡路の被災地に「紙の仮設住宅」や「紙の教会」を作り、今や世界的な建築家になった坂茂氏の手による。

ホヤの珍味は、町の本格的な再出発を告げたこの新駅オープンに合わせて生まれたのだという。

「もともとは『地域のじまんづくりプロジェクト』という資源エネルギー庁の事業があって、女川は(東北電力の)原発立地町ということで、駅の開業に合わせて地元産品を使った新しい土産物を作らないかという話がJRから持ち込まれたんです。それで、地元の若手経営者で作る『復幸まちづくり女川合同会社』や私たちも入って、一緒に考えることになって」

と言うのは、東日本大震災を機に生まれたNPO「アスヘノキボウ」の久保田歌織さん(29)。駅近くの「女川フューチャーセンター」を拠点に復興支援に携わる。具体的な商品開発で中心的な役割を担ったのは、地元で90年続く「マルキチ阿部商店」の4代目で、まちづくり合同会社の役員も務める阿部淳さん(40)。

阿部さんと久保田さん。女川フューチャーセンターにて「目指したのは、ホヤが苦手な人でもそれと知らずに食べられて、『なんかこれおいしいよね』って中身を見たら『え、これがあのホヤなの?』と驚くようなもの。常温保存できて、持ち帰り可能で、500円以内という条件だったので、最初はホヤ味のおかきを作ろうと思ったんですよ」

実家の会社ではサンマやサケの昆布巻きを看板商品に、ホヤも扱ってきた阿部さん。おかきにするべく、生地に練り込んだり、エキスを抽出してパウダーにしたり、ホヤ塩を使ったり、いろいろ試すもどれもしっくりこない。じゃあ得意の佃煮はどうかと作ってみたら、甘辛い味が想像以上になじんでうまかった。「これならおかきに使うより、そのまま食べられる」となって、まず一品目のほや煮ができた。

「さきほやも、きっかけはコロンブスの卵みたいなもの。県の施設に通っていろいろ模索していた時、そこにあったプレス機を借りて、試しに挟んで焼いてみたんです。そしたら、これがいける。食べやすく、でもホヤの味もちゃんと残る。なんで今までこういう食べ方がなかったんだろうって」

当初目指したおかきは、ほやせんべいに姿を変えて実現した。ホヤペーストと小麦粉の生地を練り合わせ、仕上げにホヤを載せて焼く。「初心者向けの食べやすさでは、これが一番でしょうね」と阿部さん。逆にホヤ独特の味と香りを好む人には、もう一品のホヤ生ジャーキー(これは鮮魚と寿司の「岡清」が開発)がおすすめ、と。

4種のお土産ホヤ珍味は、女川駅や仙台駅、それに、つい先日オープンした水産業体験館「あがいんステーション」などで販売中。「好きな人は好きだけど……」のマニアックな食材だったホヤが、新しい味わいとブランドを得て、女川からじわじわと広がりつつある。

●薫る浜風、笑みのにじみて

震災前1万人だった女川町の人口は今、7000人を切っている。4年で3割の減。人口減少率は全国一だ。漁業と水産加工業、それに原発関連で食ってきた町は、そのすべてが津波で大打撃を受け、とりわけ若い世代の流出が激しい。まちづくり合同会社ができたり、新たな女川ブランドづくりが進むのも、「このままでは町がなくなってしまう」という危機感が背景にある。

けれども、そういう状況にあって、阿部さんや久保田さんの語り口や表情に悲壮感はない。むしろ、「やるしかない」と突き抜けたような明るさが印象的だった。女川の復興まちづくりにおいては、「60代は口を出さず、50代は口を出しても手は出さず」と言われているそうだ。年長者があれこれ指図せず、若い人たちを信頼して町の将来を手渡す。ある種の潔さと風通しのよさが、町のムードを明るく、前向きにしているのかもしれない。

ホヤを押すのでも、大阪弁で言うところの「必死のパッチ」で売り込むのではなく、「こんなの作ってみたんですけど」というふうに、飄々と、肩の力を抜いて、面白がっている観がある。「わが町最高」だけで押してくる〝まちおこし〟や〝名物づくり〟にありがちな押し付けがましさや暑苦しさがない。バランス感覚とセンスのよさ。そこがいい。

ホヤたまご。不思議な見た目です「こんなの作ってみました」的な面白さで言えば、ホヤたまごなるものを『金華楼』という中華の店で食った(この時季はメニューになく、サイトウさんの手配で特別に出していただいた)。ホヤの卵ではない。袋状に開いたホヤの身に、ゆで卵を詰めて甘辛く煮た料理。女川の出島が発祥のもてなし料理らしいが、詳しい歴史はわかっていない。うまかった。うまかったけど、それ以上に「なんでわざわざホヤに卵を……」と首を傾げずにはおれない珍品感覚が楽しい。

伝説の?ほやチンコ。マリンパル女川にあります噂に聞いた女川名物「ほやチンコ」にも遭遇した。巨大パチンコ盤にイボイボの真っ赤なホヤを投げ入れ、ポケットに入れば、そこに書かれた数だけホヤがもらえる、ナゾの遊具というかなんというか。毎年5月のホヤ祭りでは行列ができるらしい(1回100円だそうです)。

「実は、震災の前年に『世界ほやエキスポ in 石巻』というのが開かれましてね。女川から持ち込まれたほやチンコは大人気だったんですよ。津波で流されてしまったので、今あるこれは二号機でしょうね」

というサイトウさんの説明もどこか飄々として、人を食ったような……。

関西人にはほとんどなじみのないホヤが、かつての納豆のように食卓に上る日が来るかどうかはわからない。いつか来るにしても、相当時間はかかるだろう。だから三陸沿岸部へ行った時にはぜひ食べてみてほしい。産地でしか体験できない「味」以上に、三陸の海や気風や食文化、つまり「風土」をしみじみ感じる食べ物だから。

〈女川の 薫る浜風 やさしきに ほややはらかし 笑みのにじみて〉
『碧のか』のラベルにあるこんな歌を眺めつつ、私は灘酒のアテにホヤの珍味を噛みしめている。


『碧のか』のさきほや。酒の中に笑みがにじみます


松本創(まつもと・はじむ)

1970年生まれ。神戸新聞記者を経て、フリーランスのライター/編集者。関西を拠点に、政治・行政、都市や文化などをテーマに取材し、人物ルポやインタビュー、コラムなどを執筆している。
著書に『ふたつの震災 [1・17]の神戸から[3・11]の東北へ』(西岡研介との共著/講談社)。その続編を『現代ビジネス』で随時連載(→こちら