御堂筋を歩けばひときわ目を引く「白くて大きなモダンなビル」。
大阪ガスビルは、近代建築に興味を持つ前からなんとなく存在を認識していたビルでしたが、美しいアールと規則的に並んだ窓、白い壁、モダンでおしゃれな外観を見ると、とても昭和初期に建てられた建築とは思えませんでした。
いまも昔も存在感のある大阪ガスビルですが、竣工当時はガス会社の本社というだけでなく、昭和の都市生活の文化を育てる大事な役割を担っていたビルなのです。- 大阪ガスビル(大阪瓦斯ビルヂング)
- 所在地⚫︎大阪市中央区平野町4-1-2
- 竣工年⚫︎1933年
- 改築年⚫︎1966年(北館増築)
- 設計⚫︎安井武雄(南館)、佐野正一(北館)
- 施工⚫︎大林組(南・北館とも)
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竣工当時の昭和8年(1933)は都市ガスがまだ珍しく、新参者でした。
炭などに比べてガスのほうが便利なことを伝えるために実演販売を行っていたり、館内にコンサートホールや美容室も携えていたため、大阪ガスビルはご近所の「お出かけスポット」として親しまれていました。
現在の大阪ガスビルは、大半がオフィス利用されていることもあり、内部の多くは改装され当時の趣を残す部分は少なくなっています。
その中でも内装が当時のまま残っている部分が「エレベーターホール」と「階段」です。
エレベーターのデザイン。扉の幾何学的な模様がモダン
エレベーターホールの壁にはイタリア産のトラバーチン(大理石)、床には琉球産のトラバーチンが敷かれています。
エレベーターホールの横にある階段を1階から見た様子
階段も石が使われており、上品で重厚な雰囲気を感じられます。
階段を2階から見た様子
階段部分は2階までの吹き抜けになっており、レトロな照明と講演場(ホール)に設置されている丸窓が印象的です。
現在の階段の手すりは木
階段の手すりは戦時中に金属供出となり、戦後に木と真鍮の手すりに代えられています。
階段の照明
安井武雄がデザインした、大阪ガスビルの柄の丸窓。
大阪ガスビルといえば外観の曲線が印象的ですが、1階の柱廊部分にあるショーウィンドウも曲線が美しい形をしています。
1階柱廊とショーウィンドウ
ショーウィンドウは石の部分や構造は竣工当時のままで、柱廊部分は当時からバリアフリーのつくりとなっていて、安井武雄が建てた大阪倶楽部や高麗橋野村ビルディングよりも機能的な造りとなっています。
大阪ガスビルといえば、ガスビル食堂を思いつく人も多いかと思います。
ガスビル食堂は当時では珍しい本格欧風料理店としてオープンし、お店の大きな窓からは再建された大阪城を望むことができました。ビルの南側を走る「平野町通」は江戸期から大阪城に通じる通りで、明治末期までは大阪の五大商店街の一つでした。
また、食堂の調理スペースは客席から見えるようになっており最新のガス機器を使用し、ガスの便利さや革新さを伝える役割も果たしていました。
現在のガスビル食堂
大阪ガスビルは、2階にあった講演場と食堂部分も含まれる6階以上の部分などが太平洋戦争のあとに米進駐軍に接収され、宿舎として利用されていました。
接収当時の記録は全て持ち去られ、ほとんど残されていないそうです。
ガスビル食堂は平成13年(2001)に内装をリニューアルし、当時の写真や絵画を参考にして内装を復元しています。
現在の大阪ガスビルの外観を御堂筋の東から見た右側部分は北館(新館)で、昭和41年(1966)に増築されました。
増築にあたって設計を行ったのは安井武雄の娘婿である佐野正一です。
新館部分は新しい鉄骨の技術が使われ、旧館よりも大きな窓が用いられています。
新館部分を建設する際に「旧ビルの風格を伝えるものであってほしい」との声が少なからずあがり、佐野正一は旧館の外観の特徴である庇やタイルの貼り方を踏襲しながら、最新のオフィスビルとしての機能性も追求して設計したそうです。
現在の大阪ガスビルの外観を御堂筋の東側から見て右側部分は北館
大阪における近代的で美しいビルとして親しまれてきた大阪ガスビルは、2003年に南館(旧館)、2024年に北館(新館)が登録有形文化財に指定されました。
いまではすっかり日常に定着した都市ガスも、大阪ガスビル竣工当時では最先端の技術だったといいます。
きっと当時の人々は、新しい技術と美しく機能的なガスビルに大阪の発展の兆しを見出し、希望に溢れた生活を送っていたのだろうなと思います。
楽しいことばかりではなく、戦争や接収などさまざまなことを乗り越えた大阪ガスビルは、その時代を生きた人々の想いものせてこの先も堂々と美しく、御堂筋で大阪の発展を見守ってくれることでしょう。
