• その1
  • 北区 西日本書店

コロナ禍を跳ね返す「本好きが来たくなる」店づくり。 2021年4月7日 取材・文/中島 淳

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社長の石井久二子さん(中央)を挟んで、長女で事務全般を見ている金谷文(あや)さんと、大学時代に「アルバイト情報誌でここを見て」働きはじめ、そこから20数年という店長の槌賀さん「ここの景色好きなんです。ずーっと遠くまでアーケード続いているでしょ。これだけ人が歩いている商店街って、なかなかほかにありませんよね」(店長・槌賀啓二さん)

 西日本書店のある天神橋筋商店街は、アーケードが日本一長い。書店から北は天六まで1.5㎞も続く。人通りの多さは大阪天満宮や天満天神繁昌亭が近いとか、安くて美味い飲食店が多いということだけではない。地下鉄谷町線・堺筋線の「南森町駅」、JR東西線の「大阪天満宮駅」へは徒歩3分以内なので、会社や事務所がそれだけたくさんあるのだ。

 10代、20代の人に「今までに行った本屋さんって、どんな場所にあった?」と聞いたら、多くは「百貨店とか地下街とか駅ナカとか、〇〇モールとか……」と答える可能性が高いはずだ。
「商店街の本屋さん」と答える人はきっと少数派だろう。実際、出版販売金額が25年前の1996年をピークに下がり続けている中で、商店街の個人店は「後継者がいない」「通り自体がさびれてしまった」という理由で廃業する店も後をたたない。

一番売りたい本、売れる本は入り口そばの平台で面陳。傾き具合が絶妙だ そんな中での「コロナ禍」はこの西日本書店にとってもさぞ深刻なダメージだったのではないかと思ってお邪魔したら、意外な言葉が返ってきた。昨年の緊急事態宣言の期間(2020年4月7日〜5月21日)は、お客さんの数も売上も前年を大きく上回ったというのだ。
「みなさん、本屋に行くことに飢えていたのだと思います。梅田や天満橋の大型書店さんが軒並み休業せざるを得なかったでしょ。そういったお店のお客さんも来店してくださいました。私は高齢者なので、コロナを心配してお店には出なくていいと言われて家にいたのですが、みんながLINEで状況を知らせてくれました」(代表取締役社長・石井久二子さん)

 従業員はLINEで連絡を取り合い、料理本の棚でワイングッズも展開するなど、売り方などを提案し、すぐに実行に移している。
「スタッフはみんないい人ばかりで、家族みたいです。誰からともなくアイデアが出てくる」(石井さん)

 緊急事態宣言が明け、大型書店が営業再開した後も、学習参考書や『鬼滅の刃』などのコミックが牽引して、2020年度は好調を維持できたという。
「40代ぐらいの女性が来られてね、“これまでネットで本を買っていたけど、やっぱり本屋さんがええわ〜”としみじみ言ってくれたんですよ。そういう話を聞いたら、ぜったい閉めたらアカンなと思いました」(石井さん)

この店だけで『鬼滅の刃』(1〜23巻)を30,000冊売ったという。おそるべし 店長の槌賀さんには忘れられない出来事があった。2020年のクリスマスイブのことだ。
「若いお母さんが、『鬼滅の刃』の全巻セットを買いに来店されたんです。京橋の向こうの城東区からママチャリで来られて。強い商品があったらお客さんはわざわざ来てくれるんですね」

 西日本書店が誕生したのは、大阪万博を前年に控えた昭和44年(1969)のこと。最初は同じ天神橋2丁目でも国道1号の南側、行列で有名なコロッケ[中村屋]の向かい辺りに店を構えていた。創業者は久二子さんの夫、石井英明さん(故人)。団体職員をしていたが、昔から読書が好きで、書店開業を考えていたらしい。彼が30代半ばの頃だ。

 石井さん夫妻が住んでいたのは堺市内。なのに天神橋筋商店街に開業したのは?
「よく分からないんですけど、主人がなんか……探してきたんですよね(笑)。最初は小さなお店でしんどかったんです。その頃は、(天神橋)1丁目にも3丁目にも4丁目にも本屋がありました」。今は古書店こそ商店街には何軒かあるが、新刊書店は天神橋筋6丁目まで行かないとない。

老舗和菓子店[薫々堂]の店主で、書店創業時からの常連の林喜久(よしひさ)さん(右)にお薦めの料理本を紹介する石井社長の次女・水野亜紀さん。「小学校の頃、年始に来た親戚とここへ行くと、好きな本を買ってくれるのが楽しみでした」 昭和50年(1975)には現在の場所に移り、株式会社として登記する。お店のHPに「1975年創業」となっているのは法人化の年だ。創業者の英明さんは福岡県中間市(なかまし)の出身。福岡県には「西日本新聞」「西日本鉄道」などの全国区の会社があり、社名もそこからイメージしたそうだ。
「小さな書店なのにえらい大それた名前だなぁと、恥ずかしかったんですけど(笑)」

「最初の頃、奥はギャラリーだったんです。このあたりはデザイン事務所が多かったし、そこそこの値段のする作品や豪華本がよく出ました。平山郁夫とか、東山魁夷とか……」(石井さん)

 街は、天満天神繁昌亭が開席した2006年あたりを境に劇的に変わり、店もその変化に合わせて品揃えをシフトしていった。
「昔は暗い商店街だったんですよ。それが明るくなっていったし、小さな会社も増えました。新しいマンションがたくさん出来てね……児童書やコミックは置いてなかったんですが、棚を新しく作り、学参の売り場も大きくしました」(石井さん)

ノーベル文学賞作家、カズオ・イシグロの最新刊『クララとお日さま』を直木賞受賞作『心淋し川』の隣に面陳 1995年に85,487人だった大阪市北区の人口は2021年2月1日現在の推計で139,609人と、63%も増加している。その多くは子育て世代ファミリーで、マンション住民が圧倒的に多い。最近も1,200戸ぐらいのマンションが、倒産した会社の跡地に建つことが決まった。いつの間にかタワーマンションの街になっている。
「街が変わったことに対応できなかったらどうなっていたでしょうね……でもまたこのコロナで変わりますよ。仕事の仕方がもう以前と違うでしょ。会社だって、そんなに大きな事務所なんて、もう要らないでしょうから……」(石井さん)

「働き方が変わった」という意味で最近動いている本は、ステイホームで時間が出来た人のための料理本、そして文芸書である。
「ハードカバーが売れるようになったんです。読書っていいな、というお客さんが増えているのはうれしいですね」(槌賀さん)

雑誌『Meets Regional』とのタイアップ企画で、周辺書店の一押し本を面陳。弊社の本もありました この辺りの見どころは天満宮や繁昌亭だけではない。天満宮表大門の近くには、日本初のノーベル文学賞受賞者・川端康成の生誕地の碑や、若き日の松尾芭蕉に影響を与えた俳人の西山宗因(1605〜82)が主宰して井原西鶴などを輩出した私塾「向栄庵」も天満宮そばにあった。
 書店から北へ歩けば東西に寺が並ぶ。大塩平八郎や適塾の創設者・緒方洪庵、その弟子・大村益次郎、18世紀の大阪で花開いた学問所「懐徳堂」のエース山片蟠桃らの墓のある寺や、明治初期に池上雪枝が少年少女に職業訓練を施した、日本初の感化院跡の石碑がある。すべて徒歩10分圏内だ。文学や歴史好きにとっては格好のロケーションではないか。

 そういえば、西日本書店の歴史がはじまったのは川端康成がノーベル文学賞を受賞した半年後だった。創業者の石井英明さんは、そんな「地場」の力を見抜いていたのだろう、きっと。

西日本書店
●大阪市北区天神橋2丁目北1-14
06-6352-5577

9:00~20:00(土日祝10:00~)
無休
http://www.books-nishinihon.com/